明日になれば

料理の苦手な主婦です。『簡単でも美味しい物』を見つけて紹介していたら、いつの間にかサイクリングブログになってます(^^)

マスクの再利用

2020-03-02 13:01:02 | 健康・病気

私はマスクは嫌いなんです。
視界に入って来るし、話をするとさわさわと触れるし、自分の吐いた二酸化炭素をまた吸ってる気がするし、口紅やファンデーションの付いてしまったマスクをまた装着するのもどうかと思うし。眼鏡も曇ったりするよね。

でもコロナが長引くと「マスク嫌い」とばかりも言ってられないのかな?と思い、一応ネットで注文したから(ちょっと高いかな)間に合うとは思うのですが、
以前に不織布のエコバックを洗濯した事あるし、ネットでも不織布のマスクは洗えると言ってるので、試してみる事にしました。

キッチンの洗剤で口紅とファンデーションは概ね落ちました。
その後、「オスバン」という消毒液が家にあったので10分間程浸して干してみました。

う~む!どうかな!?使えそうです。


久々の通院は楽しかった(まる2年)

2019-09-28 23:14:13 | 健康・病気

9月26日(木)手術後まる2年の検診。

造影剤使用のCT撮影・尿検査・残尿測定・採血・泌尿器科医師の診察。

CTは即日は分からなかったけど、気になる残尿測定は大分少なめだったらしい。
膀胱の収縮を助ける薬が(2年間も飲み続けたのに)出されなかった。
医師が「もう要らないかな?」と呟いた。 実は自宅にたくさん残っているんです。
言おう言おうと思いつつ言えなかったけど、時々飲み忘れてたくさん余ってるんです。
それを伝えると、「では朝と晩2回ずつ飲んでください。そして次の診察日の2週間前位からは止めて、来てください。その結果によって判断しましょう」

あ~、いよいよ終わりが見えてきた。
手術をする前と同じになったのか?と言えば、そうではないが、日常生活ではあまり困らなくなってきた。

CTの結果と腫瘍マーカーの結果は来週分かる。 多分大丈夫だと思う。

天気の良い日に自転車で通院も久々で楽しかった。











この後は、学童まで孫をお迎えに行く。今日はパパとママの帰りが遅いから。

ああ!どうしよう!! 折り畳み自転車。買うか?どうか?決めなくっちゃ。
消費税上がっちゃうょ。

http://www.gic-bike.com/renault/lineup/platinum_mach8.html

 


人生初の事って何?

2019-08-27 11:29:22 | 健康・病気

人生の後半になって初めての事ってありますか?何ですか?

私は2年前子宮頸がんをやって、早期発見、早期治療の大切さが身に沁みました。

毎年職場での健康診断は受けていたんです。
でも自分は健康だと思い、毎年やって来る行事みたいな軽い気持ちでした。
なので特にバリウムが嫌で数年おきに仕方なく受けたり、また婦人科系はオプションでしたからサボりにサボっていました。 でもそのツケが回って来たんですね。退職後『子宮頸がん』が見つかって。

その手術と治療に一時は打ちのめされ翌年の健康診断は受ける気がしませんでした。
やっと立ち直り始めたので、今年は健康診断を受けましたが、 当日風邪気味で体調が悪かった事も有り、どうしてもバリウム前のあのシュワシュワ~が呑み込めず、バリウム断念!! (ToT)>゛スミマセン
従来ならこのまま諦める所ですが、今年は初胃カメラに挑戦することにしました。(バリウムは嫌いだが、胃カメラは恐ろしい。)

でも家の近所に軽い麻酔をして胃カメラをしてくれる医者が有るという事で、そこに頼りました。
噂通り、眠っている間に胃カメラ終了。なぁ~んだ、こんなんだったらもっと早くすれば良かった。

約一ヶ月が経過し、気になる検査結果が出ました。

ポリープは、そこここに結構数あるとの事。しかしそれが悪い事でもないらしい。心配無用でした。
今回は胃カメラのついでに骨密度も調べてもらいました。初です。
こちらも「良くも無いけど悪くも無い」    一安心っていいね!また遊べるわ。

もうすぐ9月、やっと少し気温も下がってきて、屋外活動も出来そうですね。
サイクリングと山歩きの計画立てましょう。


笑顔で2年目

2019-07-18 10:07:09 | 健康・病気

子宮頸がんの手術後、約2年経過。

※思い出

2年前の今頃、医師から約8時間の手術と聞かされて私も周囲の人もビックリ!  
もしかしたら死ぬのかな?
麻酔が効いてる間に死ぬんなら怖くないからいいけど、突然死なれたら息子は困るだろうな~と、余計な心配をして、入院前には預金や保険の事まで話し合ってしまったよ(笑)  

手術後誰かが遠くで私を呼んでる。返事をしたいけど強烈に眠い。
ぼんやりした頭で「そうだ!私手術したんだっけ」と思い出した。
心配してくれている皆さんにお礼を言いたいが声が出ない。
「終わったんだよ」という息子に「凄く眠い、声が出ない」つまり話したいが話せないと伝えるので精一杯でした。

ICUに居たのは2晩。
体中に管やら何やら色々付いてて本人は身動きさえ取れないと思っているのに、翌日から歩くためのトレーニングが始まった。
水平になっている身体を起こしただけで、クラクラしたっけ。
身体を起こし立ち上がりベッドの脇で足踏みするだけ。たったそれだけの事が、凄く大変で助けてもらわないと出来なかった。
翌日のトレーニングはICUのカーテンを開けて部屋内を歩いた。
飲んで良いのは水だけ。痛みと辛さでお腹は減らない

その次の日にICUから一般病棟に移った。
おしっこの管以外は全部取れてかなり身軽になったが、お腹に力が入らない為寝たり起きたりが超大変。
6人部屋なんだけど居住者は私だけ。TVもイヤホーン無しで見れる。物音を立てても平気。
病院内をウロウロ歩いていいよと、勧められる。 シャワーも許可される。  

元気な時には何にも食べられない“ひもじい思い”をすると思っていたが、そんなこと無かった。
自分の置かれた境遇に体がビックリしてて、食欲なんかまったく湧いてこない。  
やっと流動食→3部粥→5部粥と進んでゆくが、まずいまずい。全然食べられない。
ちょっと食べると「ふ~、もういいや」
シャワー&シャンプーして部屋に戻って来るだけで、相当疲れてぐったり。

その頃おしっこの管が抜かれて、さぁここから辛く長い排尿障害との戦いが始まった。(まさかその後1年半以上にも及ぶとは考えもしなかった)
看護師さんがどれくらい水分を摂ったか?どれくらいおしっこが出たか?日に3度聞きに来る。(それで私はメモを取るようになった。)
とにかく便座に座れば何も考えなくても出るはずのおしっこが出ないんです。オシッコの仕方忘れちゃったよ!どうしたらオシッコは出るの~?
(一応そういう事も有りますと説明は受けていたけど、まさかそれが現実になるとは。)
これは本当に困りましたね。 いちいち看護師さんにお願いして取って貰わねばなりませんでした。
退院する頃には回復しているだろうと期待したが、そんなに甘いもんじゃなかった

つい先日エコーによる残尿検査があったが、結果は40ccでした。
まぁまぁだね。もう2年だもんね。次回の残尿検査は9月。


今思うとその全てが懐かしい思い出になろうとしている。
患部の組織検査も先日の胸部CTも異常なかった。
再発や転移は2年以内が多いと聞かされてるが、笑顔で3年目を迎える事が出来そうで~す。
私は幸いにして放射線治療や抗がん剤といった追加治療が無かったので、一歩一歩快方に向かうのみ。健康は有難い。幸せです。

今年はへし折れた心も少し立ち直ったので年に1度の健康診断を受けた。
(子宮頸がん以外)
早期発見、早期治療、心掛けましょう。


★MRIの日

2009-02-19 20:42:25 | 健康・病気

今日は仕事を休んで・・・
MRIの日・初体験です。
 
「腹部の検査の場合は朝食を抜いてください。」とあった。
事前に注意事項を読まなかったので、朝食のパンとコーヒーをいただいてしまった。
大丈夫かな?(急に不安になってきた)
どこを検査するのか聞かされていない。
でも、坐骨神経痛なんだから腰のあたりを検査するんだろうな!たぶん。
もう食べてしまったものは仕方がない。
開き直りだ!
なんだか、だんだんドキドキそわそわしてきた。
怖くないよ、と言われてるが、初体験はやっぱり怖いなぁ。
仕事仲間には「生きて帰って来いよ」と言われているが・・・
落ち着かない。早めに支度しよう。
 
「あやめさん、金具のついている衣類は脱いでこちらに着替えてください。」

「あの・・・朝食を食べてしまったんですけど大丈夫でしょうか?」
「撮影は腰ですから大丈夫ですよ」

「ほっ」

MRIは、細いベットのようなところに2枚のついたてのような物があり、その間に頭を入れて仰向けに寝ました。
そして、胸からお腹あたりまでの幅の広い帯のようなもので、軽く体を固定すると「では、始めます」と言われ、トンネルのようなところに静かに入っていった。
「15分くらいかかりますが目を閉じて動かないでください。大きな音がしますが正常に動いている音なので心配ありませんから・・」
大きな音とは工事現場にいるような音らしい!(ネットで調べた)
いよいよ始まりました。
 
コン ズン ドンドン ビービービービー ブビーブビーブビー ダダダダダダダダ・・・・
デットデットデットデットデットデット・・・・・
 
本当に工事現場で昼寝をしているみたいでした。
時々薄目を開けて見ましたが、トンネルの内側が見えるだけで何もわからなかった。
少しすると、先程まで冷たかった私の手はホッカホカになっていた。