テキトー度などという言葉は辞典には載っていません。
その書き方は正しいですかなどと、どこかのFAQにもし載れば、これを見てくださった方の範囲の広がりを勝手に想像できるぐらいのことでしかありません。
昨日もTVニュースでこんなことを聞きました。
「再発防止のため、管理体制のチェックに万全を期します」という、たびたびある事故後の報道です。
体制をチェックしたところで役にはたたないだろうと、聞けばすぐに思いたくなるような発言ですが、テキトーの度合いもこのぐらいになると、もう上がなさそうな気もします。
テキトー度というのは、ものごとに取り組むときの真剣度の逆数と定義しておきましょう。
たとえば、ブログに写真を載せます。そのとき撮った写真を全部並べて載せればテキトー度が100%に限りなく近づきます。
厳選した写真を選び抜いて、これという1ショットを見せられると、テキトー度は感度の埒外に消え去ります。
その1ショットも、生まれるときには、その人がその場で粘ってその時をつかんでいるのです。
テキトー度が上がってすぐに切り上げていれば、1ショットをつかんだそのときは来なかったでしょう。
真剣度は粘れる度合いとも言えそうです。
そんなものかと、たいがいはやり過ごされるテキトー度も、言ったことは消えても、撮ったもの書いたものには残ります。
うっかり書いていると、テキトー度が沈殿して、ゴミ屋敷条例に抵触することになるかもしれません、くわばらくわばら。