どんなものを作るにも方法を会得しなければ何も出来上がらないので、生活上必要なものごとは真似が近道、ハウツーが手短で便利です。
Web にはあらゆるハウツーが載っていて何でも教えてくれます。
ゆるんでガタガタするドアノブの直し方までありました。
便利屋さんに頼まなくても、だいたいのことは探しさえすれば、真似ごとでも自分でできる時代になりました。
絵の稽古にも模写という方法があります。
模写が苦手な私は絵が上達しません。
真似ることのつまらなさを感じながらの模写が巧くいくはずがないからです。
ひとが作ったものを同じように作れても、それだけのことで、作ったという喜びは生まれません。
パソコンで何かしたいという人が、真似ごとの方法を知りたいのか、真似の仕方を知りたいのか、真似でない何かをしたいのか、これは検索ではわかりません。
検索はぶつ切りの言葉のつながりという、ややこしい機械の働きの応用ですから、人の心は読めません。
直接会って話をしてみなければ、その人の望んでいることは読み取れるものではありません。
教える側の好みに当てはめようとしても、巧くいくかどうかは予測できないのです。
内弟子に初めは何も教えず掃除番をさせておく、その期間の長短は、師匠の目利き度の違いなのかもしれません。