海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

異常さを押し通そうとする日米両政府

2012-01-09 13:44:11 | 米軍・自衛隊・基地問題

 琉球新報電子版に、「普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価書(要旨)」が載っている。

http://ryukyushimpo.jp/uploads/img4f092bac124b2.pdf

 その上から二段目に〈給排水計画〉があり、〈普天間飛行場からの軍人・軍属の転入、基地従業員を含む約6400人〉とある。辺野古区のホームページを見ると、区の人口は平成18年で1799人。国立高専関係の増減をのぞけば、この5年間でそれほど大きな変化は生じていないと思う。新基地が建設されれば、区の人口の3倍以上の軍人・軍属、基地従業員が〈転入〉してくることになる。
 そのすべてがキャンプ・シュワブや辺野古区に移り住むわけではないにしても、同区は沖縄でもかってないほどの「基地の街」になる。小さな区に基地を集中させることが住民の生活環境に及ぼす影響は、MV22オスプレイの爆音や墜落の危険だけではない。米軍人・軍属による事件・事故は、彼らが生活し、活動する地域で起こる。辺野古区を中心に名護市、宜野座村、金武町など北部東海岸沿いの街や集落で、米軍関連の事件・事故が増加するのは目に見えている。

 基地の集中化によって教育環境の悪化も進む。問題は小・中学校や国立高専の授業に及ぼす騒音の影響にとどまらない。この67年間にくり返されてきた米軍犯罪を思い出すべきだ。戦場に身を投じ、敵に向かってためらいなく銃の引き金を引けるように、軍隊は若者の心と体を改造する。その改造(訓練)の場として沖縄基地はある。沖縄において軍人・軍属がおかす犯罪は、一般市民のそれとは質を異にする※。
 普天間基地「移設」問題の出発点は、1996年9月4日に起こった事件だった。その事件が起こった北部の地に、さらに基地を集中させる。それがどれだけ異常なことか。日米両政府がその異常さを押し通そうとしているいま、それを食い止めきれなければ、新たな犠牲者が生み出され、沖縄は米軍による事件・事故に半永久的に苦しめられ続ける。
 日米両政府が口にする沖縄の「負担軽減」とは、米軍による犠牲と苦しみの「負担」を沖縄に固定化するということでしかない。けっしてそれを許してはならない。

 

※ 以前にも紹介したが、デーブ・グロスマン著/安原和見訳『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)をあらためて紹介したい。基地・軍隊について考えるために必読である。

 同文庫の紹介文より

 本来、人間には、同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。それを、兵士として、人間を殺す場としての戦場に送り出すとはどういうことなのか。どのように、殺人に慣れさせていくことができるのか。そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。心理学者にして歴史学者、そして軍人でもあった著者が、戦場というリアルな現場の視線から人間の暗部をえぐり、兵士の立場から答える。米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍士官学校の教科書として使用されている戦慄の研究書。

 


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