海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

強いられる犠牲を誰が「理解」するか

2011-11-14 21:15:29 | 米軍・自衛隊・基地問題

 在日米軍の米軍属が公務中に起こした事件・事故について、2006~10年の間に軍法会議にかけられた事案がゼロで、「処分なし」と処理された件数が4割に及ぶ、という記事が11月13日付の県内紙に掲載された。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-183990-storytopic-1.html

 日米地位協定に基づいて日本側が米軍属の公務中の事件・事故に対し裁判権を放棄する一方で、米国では平時における軍属の軍事裁判を認めていないという。日米間の法の隙間=不備によって、本来なら刑事裁判に処されるべき事案でも、米軍属が免罪もしくは軽い処分ですまされる構造が生じている。驚くべきは、このような構造が〈50年以上放置されるという異常事態が続いていた〉(11月13日付琉球新報)ということだ。
 公務中の米軍属に対する日本側の裁判権放棄は、米国にとっては外交・防衛上の特権であり、彼らが自らそれを手放すことは考えられない。日本側から地位協定の改定を打ち出し、米軍属の裁判権を要求しない限り、〈異常事態〉が解消されるはずはない。しかし、日本政府はそれを怠り、問題を〈50年以上放置〉し続けているのである。
 言うまでもなくこれは、沖縄だけの問題ではない。米軍属との事件・事故にあう可能性は、米軍基地を抱える全国の自治体の住民はもとより、仕事や観光でその地を訪れる人にもある。自らが被害者となったとき、加害者の米軍属が裁判にもかけられずに軽い処分ですまされたら、とても我慢できないはずだ。

 この問題にはまた、沖縄における枯れ葉剤問題と共通するものがある。住民の生命や健康、安全よりも米軍の特権的な地位および基地の運用を優先する。それが日本政府の基本姿勢である。そのしわ寄せ=被害は基地周辺の住民に負わせて、米軍の意に沿うようにひたすら努める。そういう日本政府の姿勢は、民主党を中心とした政権になっても変わらないばかりか、野田政権においてより酷くなっている。
 11月12日にハワイのホノルルで開かれた日米首脳会談で、野田首相はオバマ大統領に対し、環太平洋連携協定(TPP)への参加方針を伝えると同時に、〈名護市辺野古への県内移設に向けたアセスメント結果をまとめる「環境影響評価書」を年内に提出すると明言した〉(11月14日付琉球新報)。
 それに対し、14日に開かれた沖縄県議会臨時会では、〈米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた環境影響評価書の提出を断念するよう政府に求める意見書を全会一致で可決した〉(11月14日付沖縄タイムス電子版)。

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-11-14_26032/

 野田内閣の閣僚たちによる「沖縄詣で」が続いているが、彼らが一様に口にするのが「沖縄の理解を求める」という台詞だ。今回の県議会決議は、彼らが口にするご都合主義丸出しの「沖縄の理解」に対し、明確に” 否 ”を突きつけるものである。野田首相のオバマ大統領に対する公約を真っ向から否定し、それと対立する決議が沖縄県議会で上がっている現実を、日米両政府は直視することだ。
 日米地位協定の問題であれ、枯れ葉剤問題であれ、普天間基地「移設」問題であれ、どれも沖縄で生活する人々の生命と健康、安全に直結する問題である。普天間基地の「県内移設」=たらい回しが沖縄の「負担軽減」になると主張するのは、沖縄の現実と沖縄住民の生活感覚、意思、要求からかけ離れ、それらを無視するものでしかない。我が身に犠牲を強いる「日米合意」に、どうして「理解」を示せようか。

 


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