27日付県内紙は、昨日の八重岳での自衛隊電子戦に対する阻止行動を紹介し、桜の枝で自衛隊車両が走行困難なため、訓練が中止となったことを報じている。
沿道の桜の枝が大きな要因とはいえ、電子戦訓練が中止となったのは、市民が現場で阻止行動を取り組み、自衛隊車両が桜の枝を折るのを抗議、監視していたからだ。市民がいなければ自衛隊は、素知らぬ顔で車両を八重岳頂上の訓練場に入れていただろう。
市民と桜の力で自衛隊の訓練を阻止したという点で、昨日の取り組みは大きな成果を上げた。県内各地、全国で取り組まれている自衛隊の強化反対の行動にも励ましとなるだろう。
車のバンパーに桜のマークを付けた自衛隊車両が、桜の枝をへし折って走行するわけにはいくまい。沖縄の桜はヤマトゥのソメイヨシノのように潔く散ったりはしない。
自衛隊は本部町に対し、今回の訓練は「通常の通信訓練で、電子戦ではない」と説明している。
それではこれまでの訓練でも、上の写真のような車両を八重岳に上げたというのか。これまでは桜の枝をへし折ってきたというのか。もしそうなら大問題だし、そうではない、というなら本部町役場を欺いたことになる。
県民を守るかのように言いながら、実際には自治体や住民を欺いて訓練を行う。これが自衛隊の実態である。「通常の通信訓練」でも今回のような車両を使用したのか。自衛隊には説明義務がある。
「防人」が聞いてあきれる。都を守るために切り捨てられるトカゲのしっぽ。「本土」防衛のために琉球列島を利用し、対中国の軍事要塞にする。それを美化するために「防人」という用語を使ってごまかしているだけだ。
市民を弾圧し、強制排除する前に、自衛隊と県警が何度も打ち合わせをしていた。
自衛隊の現場指揮官はしきりにスマホで連絡をし、上官の命令を受けているようだった。
県警と自衛隊が一体となり、市民を強制排除して訓練を強行する。警察も軍隊も国家の暴力装置であり、有事=戦争の際には市民を弾圧し、その本質をむき出しにする。自衛隊にとって市民排除も訓練の一環なのだろう。
災害救助や急患移送、新型コロナウイルス対策などは自衛隊の一面にすぎない。戦争を戦うのが自衛隊の本来任務であり、八重岳も76年前と同じように重要な軍事拠点なのだ。
しかし、今はまだ76年前のように軍隊が好き勝手にできる状況ではない。自衛隊であれ米軍であれ、桜の枝をへし折って大型車両を山上に上げることは許されない。
ここは国家によって戦争を強いられ、殺された人たちの慰霊の場であり、植えられた桜は平和を願い、市民が憩うためにある。二度と戦場にしてはならない。
市民が抗議・監視するなか、桜の枝を折らないように車両の上に自衛隊員が乗って、ゆっくりと山上に向かった。
しかし、枝が引っかかって遅々として進まない。
自衛隊はこれまで何度もこの道を使用し、訓練の前には下見も行っていたはずだ。自分たちの車が枝に引っかかるのは分かっていたはずであり、分かっていなければ軍隊として能力を問われる。
ネトウヨあたりがこの映像を見て、自衛隊が桜を守るために努力しているかのように言いふらすかもしれない。それは大嘘である。桜を大事にするなら、最初からこのような場面は生じない。市民の監視の目があることを想定せず、侮っていたのだ。
狭い山道でUターンするためにさんざん苦労し、30分もかかっていた。
予算と労力を使い、八重岳まで何をしに来たのか。自衛隊は二度と八重岳に来るな。
沖縄戦は中南部だけで戦われたのではない。八重岳で何があったのか。自衛隊員は学ぶべきだ。
いざ戦争となれば、真っ先に狙われるのは通信基地である。八重岳が標的となるのは間違いない。地域住民にとって巻き添えになる脅威が生じるのだ。
本部町役場の職員も現場に何度も駆けつけていた。
沿道の桜を守るのは町役場の大事な仕事である。自衛隊や米軍の車両を通すため桜の枝を切るように、という圧力が日本政府からかかるなら、怒りをもって拒否してほしい。
今後、政府からそのような圧力があるなら、市民も決して許さない。