海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

新聞週間に考えること

2009-04-08 23:55:19 | 米軍・自衛隊・基地問題
 6日から新聞週間が始まっている。全国の新聞社がこの週間にまずやるべきことは、今回の北朝鮮の人工衛星打ち上げをめぐる一連の報道の検証と反省だろう。新聞・テレビは日本政府・防衛省のお先棒を担いで、今にも北朝鮮の長距離ミサイルが日本に飛んでくるかのように報道し、東北地方の住民の不安や恐怖を煽り立てた。もし北朝鮮の発射が8日まで伸びていたら、住民生活に大きな支障が出て、不満や不安、緊張からパニック状態になった可能性もある。
 宇宙開発用のロケット技術が軍事用のミサイル技術と表裏一体のものであることは、今さら言うまでもない。第二次大戦後のアメリカの宇宙開発の基礎は、Vー2ミサイルを開発したドイツのヴェルナー・フォン・ブラウンとそのチームの協力によって築かれた。ソ連もまたV-2を持ち帰り、ドイツの現場技術者も連れ帰って、ロケット製造技術を取得している。その後のソ連の人工衛星スプトーニクの打ち上げや、アメリカのアポロ計画などの技術開発は、ドイツのV-2を基礎にしていたといえるし、それはまた軍事目的のミサイル開発へと再転用され、大陸間弾道弾の開発にまで行き着く。
 今回の北朝鮮の人工衛星打ち上げにしても、それが長距離弾道ミサイルの開発でもあり、9日から開かれる最高人民会議に向けた国威発揚や、今後の対米交渉、ミサイル・ビジネスなどの思惑が絡んでいることも、報道されている通りだろう。核兵器の開発(保有)を主張する北朝鮮が、長距離弾道ミサイルの開発を進めることは、私も反対だ。それだけの国家財政があるなら、北朝鮮政府がまず優先すべきは、飢えに苦しむ民衆のために食糧生産に力を入れることだろう。
 そのことを踏まえたうえで考えなければならないことは、今回の北朝鮮のロケットあるいはミサイル打ち上げに反対するに際して、搭載されたものが人工衛星なのか、弾薬なのかをきちんと区別しておく必要があるということだ。たとえ人工衛星であってもミサイル開発につながるのだから…ということで、そこを曖昧にしてはならない。なぜなら、人工衛星か弾薬のいずれかによって、日本の市民の受ける心理的影響や政府、自治体の対処方針も大きく変わってくるからだ。
 今回、発射された「飛翔物」は太平洋に落下したようだから、実際に載っていたのが人工衛星だったのか、弾薬だったのかが確定するのは、しばらく時間がかかるかもしれない。ただ、ロケットが発射台に設置され、先端部の形状が明らかになった段階で、搭載されているのは人工衛星だ、という軍事評論家の指摘がいくつもあった。弾薬を積んだミサイル兵器なら、大気圏に再突入して地上に落下する際、加速度を増すために弾頭部分が円錐形であるのに対し、人工衛星の場合は先端部が丸みを帯びている、という点を挙げて、搭載されているのは人工衛星であるという指摘がなされていた。
 政府・防衛省も対外的姿勢とは裏腹に、実際には人工衛星であると分析していたでろう。弾薬を積んだミサイルが落下する可能性を想定していたなら、住民の避難も行わせていたはずだ。打ち上げ失敗による破片の落下を云々しても、実害が生じる可能性はゼロに近いと認識していたから、住民が過剰反応しないように注意してもいたのだ。にもかかわらず、秋田県や岩手県、市ヶ谷などにPAC3を配備し、地方自治体に警戒態勢をとらせ、EmーNetを使用したのは、実戦に近い形で「防空大演習」を行う絶好の機会と捉えたからであろう。
 そういう政府・防衛省の思惑にマスメディアも無批判にのっかり、連日扇情的な報道をくり返した。その結果、発射誤発表という重大ミスが発生し、自衛隊の対応能力がどの程度であるかを露呈させたえ、東北地方の自治体や住民を大混乱させた。おそらく、北朝鮮をはじめ世界の軍関係者は、日本の対応の拙さ、うろたえぶりに呆れていたのではないだろうか。
 新聞週間を迎えて、新聞の役割として「権力の監視」が必ず言われるだろう。だが、今回の北朝鮮の人工衛星打ち上げをめぐる一連の報道のどこに、「権力の監視」があっただろうか。あったのはただ権力への追随ではなかったか。射程20キロで半径数キロ内しか守れず、命中精度も不明なPAC3の映像や写真をくり返し流し、あたかも市民を守ろうとしているかのような欺瞞を垂れ流しているテレビや新聞は、政府・防衛省の広報の役割をはたしていただけでないか。連日の報道に接して、私はほとほとうんざりしてしまった。
 こういうさなかに「関東防空大演習を嗤ふ」を書いた桐生悠々のことを思い出し、「対北朝鮮防空大演習を嗤ふ」を書いてみせるだけの新聞記者が、全国に一人くらいはいてほしいのだが…、そこまでは無理にしても、政府・防衛省が有事=戦争体制を構築しようとしていることを批判することはできるはずだ。新聞週間だからといって、読者の期待の声を並べたり、自画自賛や内輪ぼめを年中行事のようにくり返して終わりではなく、新聞社や記者たちは、自らの報道が本当に権力監視をやっていたかを真摯に振りかえるべきだ。
 各分野の専門家が、直接ブログやホームページで情報を発信する時代に、権力と対峙して隠された情報を探り出し、分析や検証を深めた記事を書かなければ、読者が離れていくのは当たり前のことだ。読者に媚びてエンターテインメントの要素をいくら増やしても、質の高い記事を求める読者を繋ぎ止めることはできない。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「風流無談」第22回 | トップ | あちこーこーから、うさがらせー »
最新の画像もっと見る

米軍・自衛隊・基地問題」カテゴリの最新記事