海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

4・25県民大会に参加して

2010-04-26 23:08:43 | 米軍・自衛隊・基地問題
 25日は午後1時頃に名護を出て県民大会の会場に向かった。恩納村あたりまでは58号線はわりと空いていたのだが、読谷村に入ってから混み出し、やがて車の長蛇の列になった。駐車場に指定されている滑走路跡にやっとたどり着いたと思ったらすでに満杯で、端まで行って止めることができず、開会時間が迫っているので草ぬみーに突っ込んで駐車した。
 北部からでさえこういう状況だから、中・南部方面の渋滞はもっと大変だったようで、大会の終わり頃になってやっと着いた、という知人もいれば、結局、大会に間にあわなかったという人、渋滞の酷さに引き返したという人もいた。中には高速道路を使って石川インターチェンジで降り、58号線を北から会場に向かったという中部の人もいた。
 鉄軌道のない沖縄では、大規模な集会を開くときに、駐車場の確保と交通渋滞対策が大きな問題となる。実行委員会としても、分かってはいるが有効な対策法は無い、というのが実情だろう。できるだけバスを利用するようにと呼びかけても限界があり、敗戦後27年間に及ぶ米軍支配下で鉄軌道の建設がなされず、アメリカ風の車中心社会になったことの歪みが、こういうところでも現出する。※

 このような交通状況だから、大会参加者も帰りの大渋滞を恐れて途中から帰り始める人が出る。開会中も遅れて来る人と帰る人の二つの流れができ、集会参加者の流動が大きいというのが、沖縄の大規模集会の特色となる。こういうことを知らずに、あるいは意図的に無視して、ある一瞬を撮った会場の写真から参加者を割り出せると主張するのは、ためにする政治宣伝にすぎない。
 今回の県民大会についても、航空写真をもとに会場に空きがあると指摘して、参加者は少ない、とネット上でケチつけしている人がいる。それこそ現場に足を運ばないから分からないだけで、私はずっと会場内や周辺を歩き回って様子を見ていたが、渋滞と車を止める場所探しで遅れて来た人が多く、会場が埋まったのは大会の終盤になってからであった。それでも空いている所があるのは、前々日までの雨で赤土のグラウンドがあちこちぬかるんでいて(写真でもグラウンドの色を見れば分かる)、参加者がそこを避けて座っていたのと、通路が確保されていたからである。
 当日は晴天で日差しが強く、グラウンド周辺のガジマルやソウシジュの木陰に座っている人が大勢いた。大会に参加しているウチナンチューは、男女を問わず長袖の上着に帽子姿が多く、日傘を差し、手袋をしている女性も少なくなかった。午後3時というのは、沖縄では繁華街をのぞいて普段なら道を歩く人も少ない時間帯だ。そういう時間帯に屋外集会を開けば、日差しを避けて木陰に人が集まるのも仕方がない。

 こういうことを細々と書いているのは、このような沖縄の状況を知らないか目を伏せるかして、なおかつ現場の状況をきちんと確認もしないで、県民大会の意義を否定するために、デマ宣伝を行っている者たちがいるからだ。沖縄にいればテレビや新聞が詳細に報道するので、参加しなくても県民大会の様子をかなり把握できる。しかし、ヤマトゥでは報道も限られている。それをいいことに、意図的に県民大会について事実を歪曲し、県知事や全市町村の首長(代理二名)が参加し、自民党や公明党も含めて超党派で「県内移設」拒否の意思を示した県民大会の意義から目を逸らさせようと、インターネット上で姑息なデマ宣伝を行っている。
 ところで、2007年9月29日に開かれた教科書検定をめぐる県民大会では、参加者は1万数千人と主張した人たちがいた。そういう人たちは昨日の4・25県民大会の参加者を何人だと主張するつもりだろうか。まかり間違っても9・29県民大会以上の数は言えないはずだし、例えば1万2千人と主張した人が整合性をつけるには、今回は1万人以下と言うしかないだろう。主催者発表で1万5千人が参加した徳之島の集会よりも、25日の沖縄の県民大会は参加者が少なかった、と主張せざるを得ないわけで、さて、どういう対応をとるやら。彼らは一度デマ宣伝を行ったが故に、さらにデマを重ねなければならず、沖縄県民の怒りと物笑いの対象になるしかあるまい。

 25日は私の家族や親戚も今帰仁から参加していた。今帰仁には米軍基地がないので、基地に反対する集会に参加する機会も少ない。そういう人たちがバスや車で読谷まで足を運んだ。普段は市民運動や労働運動に関わっているわけでもない人たちが、自らの意思で実行委員会の呼びかけに応えて行動し、交通渋滞や暑い日差しの中を県内各地から会場に向かったのだ。
 沖縄にはまだこのような民衆の連帯意識が残っている。それが辺野古や高江の現場でたたかっている人たちを孤立させずに支える力となっている。知事の発言や大会スローガンなど問題点もあったが、普天間基地の「県内移設」や現在のまま固定化することを許さないという意思を示すために、沖縄県民が9万人(主催者発表)も集まったことの意義は大きい。「県内移設」を強行すれば、さらに多くの人が集まり、実力阻止に立ち上がるはずだし、現状のままの固定化にも不満と怒りが噴出するはずだ。
 沖縄県民が怒っているのは、米軍基地がもたらす直接的な被害だけではない。普天間基地の「県内移設」という主張に端的に示されている、日本の「平和」と「安全」のために沖縄に犠牲を強いるのはやむを得ない、とする日本政府及び日本人=ヤマトゥンチューによる差別政策。そして、いつまでも占領軍気どりで沖縄を軍事植民地として利用しようとする米軍と米国政府の傲慢な姿勢に対する怒りが、日々募っている。
 1995年の10・21県民大会の後、自公政権は振興策というアメをばらまき、辺野古新基地建設というムチをふるってきた。米軍基地維持のために有効とされる補償型政治(ケント・E・カルダー『米軍再編の政治学』日本経済新聞出版社)を行ってきたわけだが、普天間基地「移設」(新基地建設)に関しては、その手法はもはや破綻している。
 昨日の県民大会では、宜野湾市、名護市、うるま市の市長が発言し、「県内移設」反対の意思を明確に示した。同日行われた沖縄市長選挙では、無所属で社民党、共産党、社大党が推薦する東門美津子氏が再選を果たしている。嘉手納町長や北谷町長も当然反対の立場だ。仲井真知事も県民大会に参加したからには、整合性のある行動をとらなければ県民から激しい批判にさらされる。「県内移設」はもはや不可能であるという現実を、日米両政府は直視すべきだ。

※新聞報道を見ると、会場に着けずに引き返した団体バスや個人車両がかなりあるようだ。58号線から左折または右折して会場に向かう道路が限られていて、そこで詰まると特に中・南部方面からは大渋滞になるのは予想できたと思うのだが。緊急の取り組みでほかに場所がなかったのかもしれないが、今回は会場選定の問題もあったように思う。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« りっか、県民大会かい | トップ | 4・25県民大会の式次第と... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
渋滞対策もなされたが (真喜志 好一)
2010-04-30 18:40:30
木陰にいる人たちにグランドに出るように呼び掛けるアナウンスもありましたし、私も「ヘリコプターから見えないってよ」と声をかけたりしましたが、お年寄りには日差しがきつかったようですね。

目取真さん御指摘のとおり、58号から会場に入る道が限られていて、自家用車、路線バス、団体バスの到着時間が集中すると渋滞しますね。それを避けるために、実行委員会では2時開始予定であったプレ・イベントを1時開始に繰り上げたそうですが、23日の新聞全面広告で読み落とした参加者が多かったのかも知れませんね。私は那覇発11時の団体バスで会場に入りましたので、スムーズでした。
返信する

米軍・自衛隊・基地問題」カテゴリの最新記事