知人が農作業中にハブに咬まれたということで、救急車で病院に運ばれた。治療してすぐに帰れるかと思ったら、一週間ほど入院が必要だと言われてしょげていたとのことだが、それくらいですんでよかった。
梅雨に入って蒸し暑い日が続くこの時期は、ハブの活動も活発化する。サトウキビ畑はネズミが多く、それを狙ってハブが枯れ葉の下に潜んでいて、農作業中に指や手を咬まれることが多い。知人もサトウキビ畑で草取りをしていて、薬指を咬まれたという。
咬まれた箇所や体内に入った毒の量にもよるが、ハブに咬まれて血清を打たずに放っておくと、数時間で死に至る。それくらいの猛毒である。沖縄ではどこの病院や診療所でも血清が用意されているので、ハブ咬傷による死亡事故は今では殆どなくなった。しかし、私が子どもの頃はまだ、手当が遅れて亡くなる人がいた。
沖縄戦のとき、私の祖父母は幼い叔父や叔母を連れて、今帰仁の山中に逃げ込んでいた。一緒に行動していた村人の中に、ハブに咬まれて亡くなった人がいたという話を聞いた。六四年前のことだから、今よりはるかにハブは多かったはずだ。山や森だけでなく、海岸沿いのアダンの茂みや墓の中にもハブは潜んでいる。戦火に追われて逃げるさなかにハブに咬まれ、血清がなく犠牲になった人はかなりいるのではないか。
サイパンやテニアンは大陸と地続きになったことがないので、蛇が生息していないとのことだった。沖縄から移民した人たちにとって、毒蛇がいなことは驚きであり、大きな喜びであったはずだ。サトウキビの栽培や収穫作業のとき、あるいは野山を歩くときに、ハブがいるのといないのとでは、緊張感がだいぶ違う。
サイパンには戦前の病院の建物が残っていて、現在は博物館として利用されている。そこにサトウキビ畑で働く労働者を写した写真が展示されていた。その前に立ち、サイパンのサトウキビは沖縄よりずっと高く成長した、と墓参団の元サイパン在住者が語っていた。
沖縄戦の記録フィルムを見ると、サトウキビ畑が火炎放射器で焼き払われ、そこから日本兵や住民が出てくる場面がある。同じような場面はサイパンやテニアンでもあったはずだ。火に追われて逃げ出す日本兵や住民を、米軍は狙い撃ちしている。また、米軍はテニアン戦からナパーム弾も使用している。山らしい山のないテニアンの森やサトウキビ畑などに隠れていた日本兵や住民は、一瞬のうちに焼殺されてしまっただろう。
先月、桜坂劇場でフローラン=エミリオ・シリ監督『命の戦場ーアルジェリア1959-』(2007年・フランス)という映画を見た。その中にアルジェリアの山中で戦うゲリラ兵を、「特殊爆弾」で空爆する場面がある。フランス軍の兵士たちが、あの爆弾はやめてくれ、と叫ぶのだが、飛来した味方の飛行機は「特殊爆弾」を投下する。オレンジ色の火の塊が山の斜面を覆い尽くし、敵のゲリラ兵を襲う。岩まで白く焼けたあとには黒こげになり、炭化した敵の死体が残っている。自分たちが巻き添えになることを恐れただけでなく、そのあまりに残虐な殺し方にフランス軍兵たちは、やめてくれ、と叫んでいたのだった。
その「特殊爆弾」がナパーム弾であることが、映画の台詞に出てくる。ナパーム弾はその後、沖縄戦やベトナム戦争でも使われていくが、現在は残虐な兵器として使用が禁止されている。『命の戦場ーアルジェリア1959-』を見たときに、かつてこのような死が沖縄にもあったのだ、と思ったが、それはサイパンやテニアンでも同様だった。
サイパンやテニアンの大地に広がっていたサトウキビ畑は今は面影もなく、米軍が種をまいたギンネムの林で覆われている。
梅雨に入って蒸し暑い日が続くこの時期は、ハブの活動も活発化する。サトウキビ畑はネズミが多く、それを狙ってハブが枯れ葉の下に潜んでいて、農作業中に指や手を咬まれることが多い。知人もサトウキビ畑で草取りをしていて、薬指を咬まれたという。
咬まれた箇所や体内に入った毒の量にもよるが、ハブに咬まれて血清を打たずに放っておくと、数時間で死に至る。それくらいの猛毒である。沖縄ではどこの病院や診療所でも血清が用意されているので、ハブ咬傷による死亡事故は今では殆どなくなった。しかし、私が子どもの頃はまだ、手当が遅れて亡くなる人がいた。
沖縄戦のとき、私の祖父母は幼い叔父や叔母を連れて、今帰仁の山中に逃げ込んでいた。一緒に行動していた村人の中に、ハブに咬まれて亡くなった人がいたという話を聞いた。六四年前のことだから、今よりはるかにハブは多かったはずだ。山や森だけでなく、海岸沿いのアダンの茂みや墓の中にもハブは潜んでいる。戦火に追われて逃げるさなかにハブに咬まれ、血清がなく犠牲になった人はかなりいるのではないか。
サイパンやテニアンは大陸と地続きになったことがないので、蛇が生息していないとのことだった。沖縄から移民した人たちにとって、毒蛇がいなことは驚きであり、大きな喜びであったはずだ。サトウキビの栽培や収穫作業のとき、あるいは野山を歩くときに、ハブがいるのといないのとでは、緊張感がだいぶ違う。
サイパンには戦前の病院の建物が残っていて、現在は博物館として利用されている。そこにサトウキビ畑で働く労働者を写した写真が展示されていた。その前に立ち、サイパンのサトウキビは沖縄よりずっと高く成長した、と墓参団の元サイパン在住者が語っていた。
沖縄戦の記録フィルムを見ると、サトウキビ畑が火炎放射器で焼き払われ、そこから日本兵や住民が出てくる場面がある。同じような場面はサイパンやテニアンでもあったはずだ。火に追われて逃げ出す日本兵や住民を、米軍は狙い撃ちしている。また、米軍はテニアン戦からナパーム弾も使用している。山らしい山のないテニアンの森やサトウキビ畑などに隠れていた日本兵や住民は、一瞬のうちに焼殺されてしまっただろう。
先月、桜坂劇場でフローラン=エミリオ・シリ監督『命の戦場ーアルジェリア1959-』(2007年・フランス)という映画を見た。その中にアルジェリアの山中で戦うゲリラ兵を、「特殊爆弾」で空爆する場面がある。フランス軍の兵士たちが、あの爆弾はやめてくれ、と叫ぶのだが、飛来した味方の飛行機は「特殊爆弾」を投下する。オレンジ色の火の塊が山の斜面を覆い尽くし、敵のゲリラ兵を襲う。岩まで白く焼けたあとには黒こげになり、炭化した敵の死体が残っている。自分たちが巻き添えになることを恐れただけでなく、そのあまりに残虐な殺し方にフランス軍兵たちは、やめてくれ、と叫んでいたのだった。
その「特殊爆弾」がナパーム弾であることが、映画の台詞に出てくる。ナパーム弾はその後、沖縄戦やベトナム戦争でも使われていくが、現在は残虐な兵器として使用が禁止されている。『命の戦場ーアルジェリア1959-』を見たときに、かつてこのような死が沖縄にもあったのだ、と思ったが、それはサイパンやテニアンでも同様だった。
サイパンやテニアンの大地に広がっていたサトウキビ畑は今は面影もなく、米軍が種をまいたギンネムの林で覆われている。
①咬まれた女性がお灸をすえられているのを見た
②咬まれた後、血清を打ってもらった女性(著者)の所に兵士が何人も尋ねて来て色々と質問された
③敗残兵が咬まれた所の肉を銃剣で削ぎ落として苦しんでいた
住民の証言は今後全て読んでいく予定なので、ハブに咬まれた話は出てくるだろうと思いますが、一般に「戦時中はハブは砲弾の音に驚いて隠れていたから咬まれた話が少ない」みたいな話が信じられているのですが、実際はどうなのかわかりませんが。