ツイッターでもかなりつぶやいていた『ガッチャマン』について。
ネタバレをしていく前に総評として少し書いていきたいと思います。
この手のアニメの実写化でしばしば比較されるのが邦画だと『デビルマン』と『CASSHERN』、洋画だと『アベンジャーズ』『ドラゴンボール エボリューション』だと思うんですが、やはり『ガッチャマン』公開から数日しかたっていないのにそれらと比較し各所掲示板を賑わしています。
僕はこの中でじっくり見たことないのが『アベンジャーズ』ですが(ちら見はあり)、そのほかの映画は『デビルマン』を除き映画館で公開して間もなく見に行く大のくそ映画ラバーであります。『ドラゴンボール エボリューション』がくそ映画かっていうと、あれはあれですごい現実と非現実な世界観をそこまで不自然でなく描けてて予想していたよりもくそ映画ではなかったという印象です。『デビルマン』を最下層とするランク付けで今回の『ガッチャマン』は実写化アクション映画として『CASSHERN』を超えられたかが一つ焦点だったと思います。
結論から言うと、遠く及ばない。
あの『CASSHERN』のどろどろとした世界観、それがもたらす一定の緊張感というか重さ、そして衣装の壊れ方やアクションは評価は低いけど、けして見られないわけではない。むしろ僕は洋画のカーアクション映画なんかよりも、レトロアニメ好きな年配の方には『CASSHERN』の方が好きなんじゃないかなぁと思ってしまうほどである。
しかし、『ガッチャマン』。世界観が一定に保てない。これが究極の問題だと映画を見ながら思いました。設定とストーリー(この場合脚本というべきか)のスケールがミスマッチ。いうなれば『スターウォーズ』の世界に半袖Tシャツの衣装のキャラクターがデフォルトのごとく、もしくは富士登山をしようと思って軽装備で登ろうとするアホな登山者のごとくである。そう。この映画は登場する人物たちの置かれている環境(世界観)と彼らの言動がいちいちずれている。おかげさまで最後何がしたかったかが謎のまま終わる。
ただ『デビルマン』にも遠く及ばない。
ここがさらに問題だと思う。くそ映画になりきれない(くそ映画には違いないのだけども)。なぜなら出演陣がアクションは別としてセリフをしっかり言えてしまうからである。設定や世界観は別として、しっかりセリフを話してくれるだけで頭痛から解放される。逆にいえば彼ら出演人は確実にくそ脚本の餌食になり、犠牲者となったといってもいいかもしれない。
しかしながら見終えて考えてみると、実は出演人のキャラクターに脚本側が歩み寄ったと考えたらどうだろうか。出演している松坂桃李をはじめとする彼らのキャラクターはガッチャマンの登場人物の性格に似ているのではなくて、彼らが世間一般で持たれている印象に近いのである。よって制作サイドがガッチャマンの設定に合わせたのではなくて、出演者の印象に合わせたとしたらこれはある意味成功している(汗。
さて長くなりましたが、この映画の評価をつけるなら100点満点中10点。
良かったところはまともにセリフをしゃべった、ウザイぐらい登場人物がキャラ立ちしていた。ここだけである。
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さて、ネタバレを書いていきます。
僕はツイッターでも言った通りこの映画は「巨神兵東京現る」と「忍たま乱太郎」と「殺虫剤のCM」を合わせた映画だと思いました。
なにが「巨神兵東京現る」なのか。
この映画『ガッチャマン』の舞台は2050年代の地球である。「ギャラクター」と名乗る集団が現れヨーロッパから世界各地へ戦争を仕掛け、わずか17日で地球の半分を占領される(この設定をしっかり覚えていてもらうと、今後僕が書いていくことがすんなり消化できると思う。ちなみにこれは冒頭でナレーションベースで語られる)。
さて場面は東京、新宿。ヨーロッパから一番離れた東京は侵略はされておらず街中に戦車が(単独で)走り、フル装備しライフルを肩にかけた軍人や避難民(にはあまり見えない外国人)があふれている状況。街並みも少しスラム化している演出ではありますが、闇市ではなくて新宿で開かれているただのフリーマーケット状態。2050年世界的な戦争の真っただ中というのに新宿の街並みは青空がまぶしく2010年あたりの無表情なビルを輝かせている。
そして突如として現れるギャラクターの兵器。
街を歩いていた人がその登場に見上げ驚く。まるでゴジラが東京に現れたがごとく。『巨神兵東京現る』みたことある方はご存じだと思いますが、街と人が実写撮影された映像にあほみたいな縮尺の巨神兵が出てくる映像がすぐにピンとくると思います。そういう日本独特の特撮の撮影方法がここで導入されています。
これがじつにおそまつ。ある意味、このご時世にあって『ウルトラマン』のダダ戦のように二重映し的な手法を、さらに鳥瞰的に撮影するというのは…これでよくアベンジャーズを越えたいなどといったものである。正直大金つぎ込んで朝8時の特撮ヒーローものを撮影したようなものである。いつもの埼玉スタジアムや東京スタジアムで戦っているのがただ単純に新宿に置き換えられただけである。
これが「巨神兵東京現る」的要素である。
そして「忍たま乱太郎」とは。
これは「燕の甚平」を演じる濱田龍臣くんの存在である。先ほどの新宿のシーンの続きで、東京に姿を現したギャラクター。そこにかけつけたガッチャマン(松坂桃李、剛力彩芽、濱田龍臣、鈴木亮平)。兵器はとりあえず無視をして、東京に侵入したギャラクター兵を駆逐。そのアクションも正直日曜朝8時の世界を越せないうえに、甚平の寒いセリフが世界観をぶっ壊す。
「忍法変わり身の術」
いや、実に原作の忍者要素を率直に表しているが、こういう言葉を小学生くらいの男の子が笑顔で世界の半分を占領した謎の集団ギャラクターを相手に口にしている状況は…ドクタケ忍者を笑顔で倒していく忍たま乱太郎のようにしか見えない。
これが「忍たま乱太郎」要素である。
つぎに「殺虫剤のCM」というのは。
これはしばしばテレビCMで殺虫剤のスプレーなのに、すげぇ科学的に演出して地球を救うみたいなやつありますよね?あれです。
なんかストーリー全体通して、そんな宇宙規模で話を進める必要もないのに変に科学的な設定を持ち出すのにセリフにするとダサい。そもそもがストーリー自体は世界の危機より、ガッチャマン部隊内の痴話喧嘩がメインなので、それをやるならもうガッチャマンじゃなくていいし、科学的である必要もない。大学のサークル設定で十分な話。そんなことで世界の存亡をかけてほしくないというのを強く思う。
これが「殺虫剤のCM」要素である。
科学的な話ついでに少し言わせてほしい。
最初の15分くらいが今まで話してきたシーンなんだが(何、ギャラクターの兵器というのが巨大なタイヤ型のマシーンなんです。これが各国の首脳陣がしている会場に向けて靖国通りを突っ走るんですね。で、このタイヤマシーンのなかには高性能の爆弾がセットされているので、動きを止めて中に潜入して起爆装置を解除しないといけない展開になります。
そこでガッチャマンたちは何をするかというと、特殊なビームワイヤー(ハンドサイズ)を伸ばしてビルの壁に打ち込みます。それを3人でタイヤマシーンの進路にワイヤー三本を渡らせて止める作戦に出るわけです。
さー、タイヤマシーンがやってきた!
ワイヤーに引っかかるタイヤマシーン。
引っかかったマシーンの反動で引っ張られるガッチャマンたち。
ワイヤーが撃ち込まれているビルの壁にもひびが入る!
ちょっと待てって。タイヤ型のマシーンはどう考えてもビル8階分くらいあるから直径25~30メートルはあるものが高速では回転してはいないものの(絵的にはしているように見せて靖国通りを進んでいる距離からして早くない…転がるより爆弾落とした方が早い気がするというのはツッコムべきところではない)人間離れしたガッチャマンたちが超未来的なワイヤーを用いたとしても、ワイヤーが打ち込まれたビルのコンクリートが持つわけがない。こんなの小学生が見たっておかしいと思う。なにが科学なのか冒頭15分で目を疑う。ここがこの映画の入り口なのである。
あとは「超映画批評」で書かれている通り。引用すると
「内容の4割くらいは彼らヒーローが語る青臭い中二病的理屈を聞かされ、のこり6割は剛力彩芽演じるジュンの、ケン(松坂桃李)に対する横恋慕で構成される。」
これがすべてである。最初に言った通りギャラクターの出現から17日で地球の半分は征服されたのに、お前らの生ぬるいヒーロー論の対立や色恋沙汰による痴話喧嘩なんかやってる場合じゃなくね?というのがこの映画を見たひとすべてが思うことである。ただ実に日本人らしい感覚ではある。
というのも、対岸の火事は僕らには関係ありませんという姿勢を世界の半分を征服されても忠実に貫いているのである。ヨーロッパ線背から移動してくるジョー(綾野剛)も「1日に10万人が死んだ」とか言っておきながら、海岸でケンと昔の女について語らう様は異様。一瞬、あれ?戦争なんかしてたっけ?と思ってしまうほどである。
さらにサイトから引用すると
「このジュンは色狂いの設定になっているのか、はたから見るとケンとどうすればヤれるのか、そんなことばかり考えているように見える。映画のほとんどはこの剛力さんの一人ラブコメを楽しむ形になる。
おまけに彼女の毒舌ぶりが半端ではない。たとえばケンの元カノが死んだ話を聞いた時、だからケンは彼女を忘れられないのかと意気消沈するが、それが実は他の男の彼女だったと知るや開口一番「なんだ、よかったぁ♪」とのたまう。他人の死より自分の恋の方が大事なスイーツジュン、である。さらに、個人的にはうまく実写にしたなあと感心していた恰好いいスーツを「あんな醜いスーツ着せられて」などとディする場面まであり、まさに傍若無人といった風体だ。」
まさにこれは狂気。剛力が悪いのではなくもう作者が悪い。やはり一番いただけなかったのは「あんな醜いスーツ着せられて」というところである。この自らヒーロー性を否定するアクション映画なんか見たことない。これはアクション史に残ると思う。ただ『仮面ライダー』放送当初の話も自ら望まぬ体に改造されてしまった本郷猛も思い悩む(さらに助けてくれた博士がクモ男に殺され、博士の娘さんに博士を殺した犯人だと憎まれてしまうというすさまじい展開ではある)けども、変身後の姿が醜いなどは口にしなかった。仮面ライダーに比べればすげぇかっこいいと思うガッチャマンのスーツを否定するなんて…。
とにかく、お前ら有無を言わさず戦いに行けよ!とこっちが声援を送りたくなる映画なわけである。この映画には誰一人まともな大人が登場しないのも見どころであるが、映画の最後ジョーが「こいつら(仲間)はほんとサイコーだな笑」というセリフを吐くが、これも自虐的な演出のかもしれない。綾野剛は言ってました「ジェットコースタームービーです」と。ああ、ジェットコースターレベルで期待感が落ち込んでいく映画であることは間違いない。
最後続編をにおわせるシーンで終わるけども、これはぜひ皆さんに見に行ってもらって続編を期待したい。人として尊敬できる人間が誰ひとりとしていない世界に救いがあるのかすごい期待する。「俺が見えるか悪党ども…実態もなく見せず忍び寄る白い影が」。このまま実態もなく姿を消しそうです…。
超映画批評「ガッチャマン」4点(100点満点中)