俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

アメリカ旅行~帰国編2~(完)

2013-07-08 18:05:01 | アメリカ旅行2011
日本時間 3月12日(土) 午前3時ごろ


チャイニーズが暴れ始めてからまたしばらくたった午前3時ごろ機長からアナウンス。

「今日はもう打つ手がありません。上陸許可は出たので空港に降りていただきます」

やった。ついに上陸許可が。このまま上陸許可もできず、入国審査も受けず、アメリカに帰るとか言い出さなくて本当に助かりました。飛行機に乗って24時間。ようやく外の空気を吸うことができます。

飛行機のタラップを降りてバスにのった気がします…歩きじゃなかったと思うんですが、空港のドアまで行って入国検査場まで進みました。そのときの検査官の目が死んでいた気がしないでもないですが(もともと輝かせて仕事はしていない)、「新千歳国際空港 入国」といういままで持っていなかったスタンプをパスポートに押していただきました。



そこから荷物を受け取って進むと空港の職員が「みなさんは一時的な上陸ですので空港の敷地内から出ないでください。いつまた飛行機に乗っていただくかわからないので」みたいなことを言って、運搬用のカゴ車に積まれた災害用の毛布を配ってました。このとき「ああ、僕もこれは被災者なんだ」と実感。ましてや、先ほどまで帰国すら危ぶまれた入国難民でもあったわけです…。

んまぁ、待機していろといわれた場所が出発ロビーの建物なんですね。当然と言っては何ですが、椅子なんかあるわけでなく(出発ゲートだとあほみたいにありますが)、ましてや新千歳空港。床の陣取り合戦。それとあわせてコンセント争奪戦がはじまる…。幸いにも我々特急指令ソルブレインは軽快な動きで毛布を受け取り、コンセントのある場所に毛布を敷き陣取りました。



とにかく僕らはおなかがすいていた。でも僕らにはこの旅でアメリカで買い込んだものがあった。



NYで買わされたというか寄付をせがまれてもらったM&M。これが唯一の食糧。うん、なかなかおいしいのである。

なにはともあれ、立派な帰宅難民となった我々はたくましく北海道の血でどうすることもできず生きることを決めたのでした。



そう。ずっとUstreamでNHKみたり、ラヂコでラヂオ聞いたりうだっと寝たりしていると、あっという間に朝日も上がるのである。



なんかね、このときみた朝日は不思議だった。どんなにひどいことが起きても朝日って上がってくるんだなぁ、明日ってやってくるんだなぁ、と思ったものです。それはいい意味でも悪い意味でも。


日本時間 3月12日(土) 午前5時


「ロスアンジェルスからデルタ航空機でいらっしゃってるお客様、成田行きは本日の19時以降になります」

衝撃のアナウンスである。ああ、完全に会社いけないじゃない。本来気にするべきところはそこではないのだけど、それを聞いた日本人客(比較的時間がなくてお金がある人たち)は国内線のターミナルへ移動し始めました。僕もどうしようかなぁと思ったんですが、今日中に帰れるといってるんだから待ちゃいいかとひとり思ってました。

とりあえず明日も怪しいものの、今日は確実に北海道に居残ることが決定的になったので改めて会社に連絡を取ろうと思う生真面目なサラリーマンの僕は朝の5:30くらいにマネージャーへ電話するのです(笑。「(完全に寝ていた雰囲気で)そうなんだぁ。大丈夫。ATOPさんのこと事務所にいっておいたから」と言葉をもらって安心。

それでも不安な僕は朝の8:00か8:30くらいに事務所に電話するんです…

「おはようございます。カメラコーナーのATOPです。昨日まで有給いただいていまして、本当は昨日帰国予定でしたが地震の影響で家に帰ることがかないませんでした。本日も出勤できそうにありません」
「あ、ATOPさんですね。聞いてます。ATOPさんはもういいですよ、北海道にいるんですよね。気を付けて戻ってきてください」

…もういいらしいです、僕は。


日本時間 3月12日(土) 9時30分


10時からレストラン街がオープンすると情報を手に入れた我々アベンジャーズはひさびさの日本料理に心躍らせていました。きっと新千歳空港内に一時待機している客の中で一番このときを心待ちにしていたのは我々でした。

「北海道にいるんだからうまいもんを食おう」
「どうせ東京帰っても店やってるかわからない」
「よし、海鮮丼かジンギスカンだな」

という会話を全開でしていたのはここのジャップ4人だけである。



狙いをジンギスカンに定めた我々はオープン15分前からお店の前で待機。さぁいつでもくってやるぞ!と意気込んでいたらバイトのおねーちゃんがでてきて「もしかして待たれたますか?」というので「YES」というと席に案内してくれました。
※ほかにもレストランがたくさんありますがジンギスカンを朝の10時から食ってたのは僕たち以外にいませんでした…



いやぁ、おいしかったです。この旅一番がここでした(何。やっぱりね、白いご飯とお肉とビール。これに勝るものなんてこの世に存在しないわけ。ありがとう日本。

あとはフライトを待つのみです。が。いつまでたってもフライトの続報アナウンスは入らず、アットホームな我々をよそに憤るアメリカンたち。



「どうなってんだ」「いつ飛ぶんだ」
「なんでホテルないんだ」「飯をだせ!」

と200人くらいが憤っているわけだけども、仕方ないじゃない。だってここにいるデルタの職員、一人なんだから。その一人だってもともと俺らの飛行機に乗ってた客室乗務員なんだから(笑。彼に罪はない。オフィスもなくカウンターも間借りしただけのデルタ航空に何ができるというのだね…ただ14時くらいになって食事券くばってましたけど時すでに遅しでは…。



僕らは夕飯の海鮮丼を買い「17時チェックイン19時フライト」の情報を入手し、ぐだるのであった(おいしいもの食べてお酒なんか飲んだら疲れがどっと出て眠くなるのはあたりまえ…。

2011/03/10-11 帰国(3/3)



日本時間 3月12日(土) 17:00


チェックインのため間借りカウンターに並びました。阿呆みたいにひとがいるので何が何の列かもわからに程でしたが、僕らはぼーっと空港に設置されたNHKを見てました。

そうしたらなんか四角い建物が吹っ飛ぶ映像が急に流れ始めるわけです。

画面の隅を見ると福島第一原子力発電所とテロップがあって、なんかの映画の映像か実験映像にしか見えないんだけど、どうやら本当のことらしく『ああ、日本終わった』と現実感はないのだけど、なんとなくそんなことを思っていました。少しだけ北斗の拳が脳内をちらつきました…。

ここで災害のプロ、災害対策・危機管理についてはいつも現場に立って指揮・指導してきた田原選手が風邪用マスクを買ってくれた。意味は察してほしい。


日本時間 3月12日(土) 20時くらい


機内に乗り込む。が、一向に動かない飛行機。ありがとう、デルタ。


日本時間 3月12日(土) 21:20


機内で存分に待たされ、ようやく本旅最後のフライトである。あばよ、北海道。ありがとうアメリカ。今からなんでわざわざ被害の大きい、危険度の高いであろう地方に帰ろうとしているかは自分でもわかりませんでしたが…。


日本時間 3月12日(土) 22:52


成田にようやく帰還。恥ずかしながら帰ってまいりました。着いてから気づいたことですが、我々の便がこの日の成田到着最終便でした。さっそうと税関をみんなで通ったら「君たち、一週間もアメリカ行って荷物これだけ」と笑われました。

よし、帰ろう。

なにで?

時刻は23時。当然地震の翌日ですから電車もあるわけもなく、バスも終了しており、タクシー乗り場もすっからかん。一応、近隣のホテルに電話するも「いっぱいです」と断られ、また空港ですか?と思っていたところに奇跡のタクシーが1台やってくるじゃないですか。

帰れる。我々は帰れるぞー!

タクシーの運ちゃんと地震の話で盛り上がり、僕が無事帰宅したのが深夜2:30。遅い遅い帰宅でございました。

まぁ家に帰ると地震の被害はほとんどなかったんですが、鍵を閉め忘れていた窓があいていて、防犯機がついていたもんだからそれが鳴りっぱなしになっていて怖かったというくらいですかね。それと翌日僕は朝晩でしたので朝7時に起きて会社に向かうエリートサラリーマンなのでした。


こうして我々「恥をかき捨て隊」は無事、成田→NY→ラスベガス→グランドキャニオン→ラスベガス→ロスアンジェルス→新千歳→成田という行程で今後遭遇しないであろう自体に直面し、経験し、クリアしました。またいつか必ずみなで海外へ行きたいと思います。そう思えるぐらい熱い旅でした。


アメリカ旅行~帰国編1~

2013-07-08 17:58:56 | アメリカ旅行2011
現地時間 3月10日(木) 朝の6時くらい ラスベガス空港

すっかりアメリカを満喫した我々フォーリーブスは帰国の途についていた。ルートはまずラスベガス空港からロスアンジェルス空港を経由して成田に帰るコースである。行きのニューヨーク直行便よりゆったりした行程でした。



帰る気満々。実に楽しかったアメリカ旅行。さらばラスベガス。


現地時間 3月10日(木) 10時ごろ ロスアンジェルス空港



あっという間のフライト。ここがアメリカ最後の食事。
バシッとバーガーをたいらげ、いよいよ懐かしの日本へ向かうのである。グッバイ、アメリカ。



……

………

おい、とばねぇよ。飛行機。
どうした、もうフライトの時間1時間はすぎてっぞ。

「すんましぇん。システムトラブルで調整中でーす」

…ありがとう、アメリカ。後ろ髪をひかれる思いとはまさにこのことだね。そしてその後、何事もなかったように滑走路へ侵入し、我々の乗るデルタ航空機はアメリカの大地を飛び立ったのでした。

===============

正確な時間不明 おそらく日本時間 15時ごろ

「乗客の皆様にお知らせします。現在日本で地震が発生しているため成田空港が閉鎖されています。状況次第では関西国際空港へ向かいますので、追ってご連絡いたします」

と、なぞのアナウンス。
たぶんそのとき乗っていた全員が「たかだか地震ぐらいでなにいってるんだ」「すぐ滑走路の点検終えて着陸できるだろ」という気持ちでいたと思います。もちろん僕もそう思ってました。もともと成田空港に16時過ぎの着陸でしたが…

いやぁ、成田に着陸する気配が全くないんです。

機長のアナウンスも
「管制がトラぶっていて正しい指示を受けられないからしばらく滞空します」

そう。このときまだ誰も、機長でさえ、3・11の地震の事実を正確に把握している人間は機内にいなかったわけです。ただまぁ、この状況が普通ではないことは徐々にわかってきてはいました。次のアナウンスが決定的でした。

「関空行きも諦め、千歳に向かいます」

ざわめく機内。日本人客はおそらく苦笑だったと思う。「まじかぁ」と。ちょっとしたアクシデントに巻き込まれ、まだ日常を生きている。そう思っていた。ただこの時点、英語も日本語もわからない中国人は何が起きていいるかさっぱりわかっていませんでした。僕らが乗っていたデルタ航空機は英語と日本語のCAしかのっていませんでしたので。

そして新千歳空港の上空を旋回し、着陸。


日本時間 3月11日(金) 18時ごろ 新千歳空港



ツイートのログからして、たぶん18時くらいに着陸したと思います。
ようやく携帯電話の電波も復活した我々が目にした情報は辛辣でした。飛び交う安否確認と押し寄せる津波の映像(このときは仙台空港のとかが主だった気がします)。その便に乗っていた日本人の全員が息をのんだのは間違いない。それでもまだ自分たちがその地震に巻き込まれているなんて誰も感じていなかったんではないでしょうか。

それ以上に状況を把握していなかったのはこの便のパイロットクルーとCAたちでした。なぜならデルタ航空は新千歳空港に就航していないためそこにカウンターもなければスタッフもいません。必ずオフィスのある成田空港か関西空港からの指示、そしてもともと着陸予定だった成田空港の管制の指示を聞かないといけなかったそうです。しかし、ご存じのとおり空港が封鎖されている状況で、かつ世間的にも正しい情報が整理されず、今後の見通しも立たない東京と連絡がつくはずもなく、彼らは何が起きていいるのかさっぱりわかっていませんでした。結果、機内では日本人客の携帯ワンセグに群がる人々。こうして彼らもようやく日本で何が起きているか理解しました。

だからといって彼らもどうすることもできず、ひたすら指示を待つ。彼らの目標はおそらく成田に帰ることであり、それがかなわないのであれば関空にいくことでした。とにかく新千歳にはオフィスがないので指示も受け取れなければ対応もできないので新千歳で燃料を補給しひたすら関空行きの許可を待つのでした。

僕の携帯は優れものでワンセグがついておりませんでした(何。
それはともかくとして、この時点で僕が考えていたことは「明日、朝9時番だった気がするけど、これは出勤できねぇな」ということでした。さすがサラリーマン。会社に何とかして連絡しないといけないと思いましたが、東京に電話がつながるわけもなく、加えて電池も無駄に使いたくなかったのでとりあえず上司にメールだけしたのを覚えています。

「日本には帰ってきましたが、成田に着陸できずいま新千歳にいます…
 もしかしたらこれから関空へ向かうかもしれませんが、いずれにしてもおそらく明日は出勤できません。
 僕はどうしたらよろしいでしょうか」

Hリーダーから返信がきてマネージャーにも伝えてくれたそうで、一安心…ん、で僕の有給は今日までなんだけど明日休むとどうなるの…もしかして振替で出勤か、これ…そこが一番知りたいんだけど…でもこの内容が人づてでメールで大丈夫だったっけ、うちの会社って…とぐるぐる考えをめぐらしたわけですが、結局なるようにしかならないし、きっと東京も大変なんだろうと思って忘れることにしました。

次に「ああ、そうだ。親に連絡しておくか」と思い、メールしました。返信が来てどうやらみんな無事だそうだ。うむ。あまり僕のことは心配していなかったことをよく覚えていて、むしろ隣に座っていたチャイニーズ系のおじさまが「君の家はどこだ?家族は無事か?」と心配してくれたことの方がなんかうれしく感じたのはここだけの話です…。

さて長々と書いてきましたが、これはまだ機内の話です。
僕らはただただ機内にとどまり、飛行機は滑走路の端にたたずむのでした…次々に成田に降りられなかった飛行機が着陸してきては同じく滑走路に並ぶ。僕の記憶では5,6機は並んでいたと思う。空港見学会・飛行機見学会みたいな感じで不思議だった。ただ、みなすることは同じでひたすら指示を待つだけなんだけど。だがしかし、新千歳に就航している日本の航空会社の対応は早くどっかに消えていったり(飛んでったというよりもゲートに移動したのか)、乗客を降ろしはじめていた。



当然、当機内でもストレスとヒステリーが起き始める。なんせ、アメリカの空港でもたつき、飛行機に乗ってからおよそ21時間経っていたのである(12日午前0時の時点で)。僕らは着陸して6時間、滑走路の端で物憂げに明日のことを考えていたんです。が、乗り合わせた中国人たち(英語も日本語もできない、一般的な観光客)は痺れを切らせタバコを吸うわ、機内動き回るわ、ハッスルしておりました。まぁ無理もないですね…中国語話せる人がいないんですから何が起きてるかわかってないし、なんで降りれないのかわかってない。そもそも新千歳がどこかもわかってない。

7月7日(日)のつぶやき

2013-07-08 04:07:46 | twitter

エアコンなしでも今年はいけるんじゃないかとすら思える爽快感


家にいたらバカになるな。出かけよ。喫茶店すいてるといいなぁ。


日曜の喫茶店はだめだ。勉強する気のない学生がばっこしてる。


まぁ選択肢としちゃ、テラスしかないわけ。あれ、家とかわんね\(^o^)/ via.me/-d3rgym4


@clmmakun なんか千葉テレとテレ玉が強引にやってるみたいです。県民としてはすごく迷惑です。


いっとくけどトルコのが暑いぜ?なんせあいつら氷を作る文化がねぇから、冷蔵庫に入ってない飲み物はそりゃぁもうこたえますよ。


@clmmakun そもそも千葉と埼玉が争う構図って千葉県としては何のメリットもない。人口でも勝てないし、スケールも小さい。


@uhipp8 こっちも夕立きたからもうすぐ涼しくなりますよ。怖いなぁ、怖いなぁ、怖いなぁ。


おい、イン・キーにイン・キーか?死ぬ気か?(アメリカ横断・第七夜) #suidou

ATOPさんがリツイート | 16 RT

ラスベガスのレンタカー: youtu.be/UlhDiYRYEK8?a@YouTube がアップロード

?a


┏┷┓
┃ ┃
┃世┃
┃界┃
┃の┃
┃礎┃
┃に┃
┃な┃
┃れ┃
┃ま┃
┃す┃
┃よ┃
┃う┃
┃に┃
┃ ┃
┗━┛
短冊メーカー rhp.ninja-x.jp/apps_for_pc/Ta…


ラスベガス 道を間違える: youtu.be/TDMm7yP7R3A?a@YouTube がアップロード

?a


JOY 対 女医 とな!?


@hiulanozomi そう。ここは格別だった、気がする。


おいおい。ヤマトが一気に躁鬱系アニメと化して、敵をエンジンで焼き殺す模写とか。

1 件 リツイートされました

最近完全に森雪無双となっているヤマト#ヤマト2199


八重の桜見てて、ひさびさにこれはないなと思った。