私は組織改編については、結論から言うとどっちだって良い。
あくまでも結論としてはそこにたどり着く。
そもそも、この問題の発端を今の現役が知らないのが不幸だ。
ただ知っていても考えて答えを出せる思考回路があるかは別問題だけどね。
それはともかくとして、ことの発端。
私自身あまりしらないのだけど、
これはこちら側からいいだしたことで、
あちらさんからいわれたことではなかったはず。
これが部の問題として(そういう言い方にも語弊があるんだけど)
もちあがったのは、私が大学1年のころで、
当時の編集長先輩が突然言い出された…
という感覚で記憶しています。
どこからどう持ち上がったのかは、
未だに私はよく分からないし、
その話の内容を心底信じていたひとが、
その時期から今に至るまでどれだけいたかも、
正直私には分からない。
…分からないというか、
もっと適切にいうなら、みんな興味がなかった。
「触らぬ神に祟りなし」。まさにそんな感じ。
良くも悪くもそういう風に皆捉えていただろうし、
申し訳ないが、私も正直そのポジションにいたと思う。
そういう風になれば当然、話はどんどん先延ばしになっていくわけで、
さらにそこに4年制の部活動問題も相まって我々の時代へ。
結果、何が起こったかといえば、下の代に無茶ぶりを敢行し、
それを下した同期の編集長も苦渋のことだったのではと予想するが、
私を含めて同期はこの問題に対して向き合わなかったので、
客観的に見れば下の代に責任転嫁したんだと私は思っている。
※ただ苦渋ではなくて信じてやったことなら話は別である。
そして部は3年制に変わったわけである。
そして残された問題は組織改編。
下の代の編集長の本心は分からないのだけど、
きっとその問題に関しては「イエス」「ノー」を
いわない手段を講じたんだと私は考えている。
賢明な判断である(笑。
それ以外選びようがないしね。
んで、その次の代はそんなこと一切合切を考えず封印。
そして、今の代になって問題再燃と。
ここまでが私の目を通した経緯。
私がこの問題にどうこう言ってもあまり意味はないのだけど、
少しでもいっておけるうちにいっておこうと思う。
正直、これは言い出しっぺが責任を持つべきだ!
というのが、一番最初に感じることでした。
この問題に限らず、何かを起こすときに、
やはり野郎としてた人が最後までやるべきだと思う。
思うというか、それが一般的な話ですよね。
それをしなかった時点でこの問題って宙に浮いてるんですよ。
そう考えるとそういう状況にあって、うちの代の編集長は尽力したと思う。
下の代に経緯は話をしたし「あなた方にいつか降りかかります」と予告もした。
そういわれて考えなかった方もあれですよねとも私は思う。
おかげで現役の皆さんそういう堅い話に、脳みそトロトロですよ(何。
んで、宙に浮いた時点で誰もレシーブしなかった理由があるのも分かる。
だってみんな思ったでしょ?口にもしてたでしょ?
「そうする(組織改編、独立する)ことに何のメリットがあるの?」
この間部室に行ったときも現役の子にいわれました。
私は1つだけあると思うんですよね。
その子にもいったけど「文屋としての誇り」。
部の信憑性、信頼度とか、誇りとか、意地。
デメリットはやはり金銭的な面。
「どんな立場にあっても、悪意を持って大学を悪く書こうなんて思わない」
たしかに私もそう思うんだ。そう思うのは間違ってはいない。
でもさ、もう現時点で金銭的な条件で脅されてるじゃないですか。
脅されていると言っちゃいけないね。足元を見られているじゃないですか。
お金は出す。だからこーしろ、あーしろといわれているじゃない。
こんな現状『「権利自由」「独立自治」の名が泣くぞ!』と思うのだけど、
学生だからいいということに甘えてしまったら、
ジャーナリズムを語る資格はないと私は思うんだね。
あちらさんはそんなこと微塵も感じてないのは仕方ないのだけど、
唯一納得がいかないというか、不誠実で不愉快と感じるのは、
「OB会が強いのはわかるんだけど、頼むよ」
「この話は部長先生に通す必要はない」
ということを現編集長にいっていること。
そんなんならうちの部に部長なんていらないだろ…。
まぁ、それはあちらさんの問題なのでともかくとして、
うちのじーさんはいうのだ。「金がないならバイトしてつぎ込め」って。
それを知った上で現役の子はいうのだ。
「バイトしてまでこんなことに費やそうとは思わない」
たしかに。それも間違ってはいない。
世の中、理想と現実があって、
それは現実の気持ちを忠実に表していると思う。
だからこそ、思う。
それならこんな部がある価値や意味なんてない。
「こんなこと」と表現したことが問題じゃなくて、
自己犠牲を払って物事に取り組めないなら、
それをやっている人達を追いかける資格がない。
金持ちのお遊びでこんな大々的なことをしちゃいけないでしょ。
肝心なのは今の形を維持しようと執着することではなくて、
なにをやりたいか、なんだと思う。
理想と現実を踏まえた上でなにをやりたくて、
どのレベルのことをやるかを考えればいいと思う。
例えそれが、金銭的な面で苦労したとしても、
伝えたいと思ったことを、
わらばん紙一枚に集約して伝える結果になっても構わないと思う。
問題は金じゃないという意見を忘れて欲しくないです。
というのもあって、
「そんな程度なら部をなくしちゃえば?体育会の人は人生かけてるよ。」
と、年甲斐もなく現役にいってしまいました。
もうすでに体育会か文化会かっていう次元じゃないんですよ、実状は。
長々と書いてきましたが、私の意見を述べます。
もうイデオロギーとかジャーナリズムとか、
そういうのが分からないような状況に置いては、
どっちの道を選択をしても大差がないというかかわらない。
ただそれだと答えにはならないので、現実どうするかっていったら、
体育会の1つの部となることを呑んだ上で、最大限の条件を引き出すこと。
金銭的な条件、環境的な条件、人員的な条件…なによりも報道機関としての条件。
規約改定の超法規的ポジション・条件を得ることに徹しないといけない。
それが最大限だれにとっても不都合が生じないと思う…。
難しいですよね。理想と現実。
みんな興味ないんだったら、いっそなくしちゃえばいいと思うんだけどなぁ~(笑。
あくまでも結論としてはそこにたどり着く。
そもそも、この問題の発端を今の現役が知らないのが不幸だ。
ただ知っていても考えて答えを出せる思考回路があるかは別問題だけどね。
それはともかくとして、ことの発端。
私自身あまりしらないのだけど、
これはこちら側からいいだしたことで、
あちらさんからいわれたことではなかったはず。
これが部の問題として(そういう言い方にも語弊があるんだけど)
もちあがったのは、私が大学1年のころで、
当時の編集長先輩が突然言い出された…
という感覚で記憶しています。
どこからどう持ち上がったのかは、
未だに私はよく分からないし、
その話の内容を心底信じていたひとが、
その時期から今に至るまでどれだけいたかも、
正直私には分からない。
…分からないというか、
もっと適切にいうなら、みんな興味がなかった。
「触らぬ神に祟りなし」。まさにそんな感じ。
良くも悪くもそういう風に皆捉えていただろうし、
申し訳ないが、私も正直そのポジションにいたと思う。
そういう風になれば当然、話はどんどん先延ばしになっていくわけで、
さらにそこに4年制の部活動問題も相まって我々の時代へ。
結果、何が起こったかといえば、下の代に無茶ぶりを敢行し、
それを下した同期の編集長も苦渋のことだったのではと予想するが、
私を含めて同期はこの問題に対して向き合わなかったので、
客観的に見れば下の代に責任転嫁したんだと私は思っている。
※ただ苦渋ではなくて信じてやったことなら話は別である。
そして部は3年制に変わったわけである。
そして残された問題は組織改編。
下の代の編集長の本心は分からないのだけど、
きっとその問題に関しては「イエス」「ノー」を
いわない手段を講じたんだと私は考えている。
賢明な判断である(笑。
それ以外選びようがないしね。
んで、その次の代はそんなこと一切合切を考えず封印。
そして、今の代になって問題再燃と。
ここまでが私の目を通した経緯。
私がこの問題にどうこう言ってもあまり意味はないのだけど、
少しでもいっておけるうちにいっておこうと思う。
正直、これは言い出しっぺが責任を持つべきだ!
というのが、一番最初に感じることでした。
この問題に限らず、何かを起こすときに、
やはり野郎としてた人が最後までやるべきだと思う。
思うというか、それが一般的な話ですよね。
それをしなかった時点でこの問題って宙に浮いてるんですよ。
そう考えるとそういう状況にあって、うちの代の編集長は尽力したと思う。
下の代に経緯は話をしたし「あなた方にいつか降りかかります」と予告もした。
そういわれて考えなかった方もあれですよねとも私は思う。
おかげで現役の皆さんそういう堅い話に、脳みそトロトロですよ(何。
んで、宙に浮いた時点で誰もレシーブしなかった理由があるのも分かる。
だってみんな思ったでしょ?口にもしてたでしょ?
「そうする(組織改編、独立する)ことに何のメリットがあるの?」
この間部室に行ったときも現役の子にいわれました。
私は1つだけあると思うんですよね。
その子にもいったけど「文屋としての誇り」。
部の信憑性、信頼度とか、誇りとか、意地。
デメリットはやはり金銭的な面。
「どんな立場にあっても、悪意を持って大学を悪く書こうなんて思わない」
たしかに私もそう思うんだ。そう思うのは間違ってはいない。
でもさ、もう現時点で金銭的な条件で脅されてるじゃないですか。
脅されていると言っちゃいけないね。足元を見られているじゃないですか。
お金は出す。だからこーしろ、あーしろといわれているじゃない。
こんな現状『「権利自由」「独立自治」の名が泣くぞ!』と思うのだけど、
学生だからいいということに甘えてしまったら、
ジャーナリズムを語る資格はないと私は思うんだね。
あちらさんはそんなこと微塵も感じてないのは仕方ないのだけど、
唯一納得がいかないというか、不誠実で不愉快と感じるのは、
「OB会が強いのはわかるんだけど、頼むよ」
「この話は部長先生に通す必要はない」
ということを現編集長にいっていること。
そんなんならうちの部に部長なんていらないだろ…。
まぁ、それはあちらさんの問題なのでともかくとして、
うちのじーさんはいうのだ。「金がないならバイトしてつぎ込め」って。
それを知った上で現役の子はいうのだ。
「バイトしてまでこんなことに費やそうとは思わない」
たしかに。それも間違ってはいない。
世の中、理想と現実があって、
それは現実の気持ちを忠実に表していると思う。
だからこそ、思う。
それならこんな部がある価値や意味なんてない。
「こんなこと」と表現したことが問題じゃなくて、
自己犠牲を払って物事に取り組めないなら、
それをやっている人達を追いかける資格がない。
金持ちのお遊びでこんな大々的なことをしちゃいけないでしょ。
肝心なのは今の形を維持しようと執着することではなくて、
なにをやりたいか、なんだと思う。
理想と現実を踏まえた上でなにをやりたくて、
どのレベルのことをやるかを考えればいいと思う。
例えそれが、金銭的な面で苦労したとしても、
伝えたいと思ったことを、
わらばん紙一枚に集約して伝える結果になっても構わないと思う。
問題は金じゃないという意見を忘れて欲しくないです。
というのもあって、
「そんな程度なら部をなくしちゃえば?体育会の人は人生かけてるよ。」
と、年甲斐もなく現役にいってしまいました。
もうすでに体育会か文化会かっていう次元じゃないんですよ、実状は。
長々と書いてきましたが、私の意見を述べます。
もうイデオロギーとかジャーナリズムとか、
そういうのが分からないような状況に置いては、
どっちの道を選択をしても大差がないというかかわらない。
ただそれだと答えにはならないので、現実どうするかっていったら、
体育会の1つの部となることを呑んだ上で、最大限の条件を引き出すこと。
金銭的な条件、環境的な条件、人員的な条件…なによりも報道機関としての条件。
規約改定の超法規的ポジション・条件を得ることに徹しないといけない。
それが最大限だれにとっても不都合が生じないと思う…。
難しいですよね。理想と現実。
みんな興味ないんだったら、いっそなくしちゃえばいいと思うんだけどなぁ~(笑。