まぁこれといって書くことはないのだけれど、
とりあえず今日の話もつまんないですよ。たぶん。
そう。
つまんないついでで書いておくんですけど、
このブログってつまんないですよね(汗。
個人的には全身全霊を込めて心に訴える文章書いてるつもりですが、
コメントの異常な少なさと、それに加えリピーター率は意外に低い。
1日多いと200端末からアクセスありますが、
一見さんってその約半数も占めてるんです。
まぁ半分の100端末は繰り返しきていただいているみたいで、
わざわざすみません、こんなつまんない文章読みに。
ダイジョブ。今日もきっとつまらない(笑。期待を裏切らないでき。
さて。
最近わかったことがひとつあるんですよ。
なんで人が山に登るのが少しわかった気がしたんです。
あれです。
そこに山があるから!…ではないと思います(何。
いや、もちろんそれもあるんだと思いますが、
それとはちょっと違うんです。
なんで山に登るのか…まずはどうしてそれを考えてたかってとこから。
それはですね、この間、雨降った日あったじゃないですか。
そんな激寒な日に調子のってサンダルはいて外出したんです(何。
そんで信号変わるの待ってたらあまりの寒さに『なにか考えんと死ぬ』と思って、
色々考えていたんですよ。そりゃ真面目なことからふしだらなことまで(ぇ。
思うに自分と向き合うには山登りって最適なんだと思うんです。
それっていうのは、一人で登ろうと二人で登ろうと変わらないんだと思います。
山ってなにもないじゃないですか。登る以外は話すか考えるかぐらいでしょ、できるの。
それと登ることにかける時間の長さが絶妙なんでしょうね。半日は最低かかる。
それに物理的に山を登るという逆境が考え込む行為にプラスに働く気がします。
だから、そんな状況に身をおいて自分をしるために山に登るんですよ。
自分と向き合うために登るんですね、きっと。自分の生について問うんです。
要は山登りっていうのは人生そのものを試す行為なんだろうね。実に奥深い。
そんなわけでなんで山に登るのかを信号待ちの間に考えてたわけです(お。
この間、わずか数分。自分の創造力と論理性に驚かされます(違。
そこでさらに思ったわけです…が、まぁこの続きは今度にします。