たびたびこんなことを書いていて繰り返しになるのかもしれませんが、
今後、私がなにかに熱くなることなんてないんだと思います。
なんでもそうだと思います。
仕事にしたってそうだし、趣味にしたってそう。遊びだって、恋愛だって例外じゃない。
ただ少しだけかぢって、消化していくだけのような気がするのは、けして気のせいじゃない。
それはもともと私が淡白だからとかってことではなくてね。
貪欲さがどんどん薄くなっていくんだと思う。100%の必要性を確信できないってことなのかな。
絶対欲しいとは思いつつも、かならず代わりになるようなものがあって、
大抵の場合、どっちかが手に入れば満足というか納得してしまうんだと思う。
人によっては諦めがつくというのかもしれないけどね。
例えば。買い物なんて良い例で、絶対的にそれでないといけないなんて思わない。
『とりあえずこれでいいや』と思ってしまうことが昔より増えたように思います。
わざわざ、バトエン(バトル鉛筆)でなくてもいいでしょ、鉛筆は。
でも、こどものころは絶対バトエンじゃなきゃダメだったわけでしょ。
今考えると馬鹿馬鹿しくことかもしれないけど、案外羨ましく思う部分もあります。
いやね、かといって熱くならないことが嫌だと言うことでもないんですよ。
昔が良かったとか、年取ったことが嘆かわしいとかってわけでもないんです。
冷めていってしまう自分を無抵抗に受け入れられるんですよね。
「それを年取るって言うんだよ!」と碇シンジばりの笑顔で誰かが私にいっているようで、
私はただただ『あぁ~そうなんだぁ』と納得してしまうだけなんですよね。
日に日に、こうなんていうか、自分と向き合うことにうまくなっていっている気がします。
今までは自分のことが嫌いって訳じゃないけど、今現在の自分と向き合えばどこかそりが合わなくて、
納得がいかなくてさ。素直にならなかったり、反発したりして進んできた気がするんです。
それが最近になってみると意外にそりが合うというか、お互いに妥協しているというか、
秘密協定を結んだというか、平和に共存していられるようになったんですよね。
もちろん、ある意味では客観的に自分を見られなくなっているのかもしれませんがね。
皆さんはどうかはわかりませんが、最近私は分からなくなりました。いつも以上に。
以前までは「意味のあること」を追い求めていた時期もあったし、逆にその反動で
「意味のないこと」を信じてみたくなった時期も確かに私にはありました。
でも、今の私にはどちらのことも信じられなくなりました。
そうすることを必要以上に求めなくなってしまいました。
熱くなることって一体どんなことだったかが、感触すら思い出せないくらいに。
まぁそういうことを考えていて。1つ思ったことがあるんです(何。
いままで散々色々書いておいて前置きかよ!って聞こえてきそうですが、
正直前置きです(汗。まだ書きたいことの半分も書けていません…。
何を思ったかというと、何にしても言葉にしていくことが大事なんだと悟ったんです。
必死にね、悪戦苦闘しながらも、なんらかしらの形にしていくことなんだと思ったんです。
決して上手い方法じゃなくても、たとえ形にならなくても、作り上げないといけないんだと思ったんです。
今の自分を知るにはひたすら言葉にしていくしか、私には手段がないような気がしました。
つまりです。
結局、私が今後熱くならないのかもしれないという漠然的な考えを不器用にも
つまびらかに説明していくことが、私自身を救うことなのかもしれないってことです。
それは極端ですけど、要するに今考えていることを、思っていることを、感じていることを、
ただただ言葉にして、形にして、理解をしていくことが最大の救いだって気がしたんです。
だから、まぁなんていうか…アレですよね。前置き長いのをまずやめることですよね(笑。
正直な感想を言ってしまうと、少し疲れてるんですよ。たぶん。生きることにね。
一生懸命になる理由が見つからないからじゃなくてね、
もう気丈に振る舞うことに私自身少し疲れてしまっているような気がするんです。
誰のためにそんなことしていたのかも分からないんですし、自分のためであったかも分かりません。
この「分からない」っていうの誰にとっても都合が良いから使っているだけであって、
本当のところではきっと「分かっている」んです。わからないと言っておけば、
人のせいにすることにはならないし、自分の領域の中で問題を抱えていられるから。
今ここにそんなこと書いておきながら言うのもあれなんですが、
こういうことを口にすることってすごい嫌なことではあるんですよ。
そいうことって一度言葉にしてしまうと止めどないじゃないですか。
堤防が決壊するがごとく流れ出てしまうじゃないですか。
そういう自分ってすごく浅はかに見えるし、みっともなく見える。
何かに依存すること、誰かに依存することも受け入れがたいけど、
軟弱な気持ちを口にしてしまう自分を受け入れにくいわけです。
でも、それっていつまでもやっていられないことなのかもなぁって思ったんですね。
なにかあったわけじゃなくて、最近何となくそう思ってきたんです。
それがここ最近ブログでも書いていた「何のために仕事してるんだ?」に繋がります。
仕事だけじゃなくてですね。何のために強がっていたのか分からないわけですよ。
いや、でも、さっき書いた通り、理由は分かってはいるんですよ(何。
強がることで自分を奮い立たせていたんだろうし、『みんなも同じだろ』とか思って納得してただけです。
でも、そう思ってはいても、なんでそんなことしてなきゃいけないか疑問に思うわけです。
私は何のためにそんな無理をして、我慢をして、今生きているんですか?という疑問です。
いや、その理由すら分かっているんです。
それを答えてしまうと、なにかもう取り返しが付かない状態になってしまう気がします。
私は永遠に自分に対しても、誰かに対しても素直に私自身の思いを告げられない気がします。
どうしたらいいんでしょうかね(汗。
そうしてようやく気付くわけです。
私は問題を抱えている…もとい悩んでいるってやつですね。
そんな結論導くのにここまで前置きが必要だなんて、自分でも嫌になります。
原稿用紙7枚近くの分量を用いて、ネットに公開している私ってどうかしてますね(笑。
まぁ…まとめるとですね。
真剣に私の話を聞いてくれて、私の生きる息苦しさを分かってくれる人がいたらなぁって思う…
もとい、誰か飲みに行こうぜ!ってことなのかな(ぉ。
そんなことをいうのに3000文字近く費やした私なのでした。
今後、私がなにかに熱くなることなんてないんだと思います。
なんでもそうだと思います。
仕事にしたってそうだし、趣味にしたってそう。遊びだって、恋愛だって例外じゃない。
ただ少しだけかぢって、消化していくだけのような気がするのは、けして気のせいじゃない。
それはもともと私が淡白だからとかってことではなくてね。
貪欲さがどんどん薄くなっていくんだと思う。100%の必要性を確信できないってことなのかな。
絶対欲しいとは思いつつも、かならず代わりになるようなものがあって、
大抵の場合、どっちかが手に入れば満足というか納得してしまうんだと思う。
人によっては諦めがつくというのかもしれないけどね。
例えば。買い物なんて良い例で、絶対的にそれでないといけないなんて思わない。
『とりあえずこれでいいや』と思ってしまうことが昔より増えたように思います。
わざわざ、バトエン(バトル鉛筆)でなくてもいいでしょ、鉛筆は。
でも、こどものころは絶対バトエンじゃなきゃダメだったわけでしょ。
今考えると馬鹿馬鹿しくことかもしれないけど、案外羨ましく思う部分もあります。
いやね、かといって熱くならないことが嫌だと言うことでもないんですよ。
昔が良かったとか、年取ったことが嘆かわしいとかってわけでもないんです。
冷めていってしまう自分を無抵抗に受け入れられるんですよね。
「それを年取るって言うんだよ!」と碇シンジばりの笑顔で誰かが私にいっているようで、
私はただただ『あぁ~そうなんだぁ』と納得してしまうだけなんですよね。
日に日に、こうなんていうか、自分と向き合うことにうまくなっていっている気がします。
今までは自分のことが嫌いって訳じゃないけど、今現在の自分と向き合えばどこかそりが合わなくて、
納得がいかなくてさ。素直にならなかったり、反発したりして進んできた気がするんです。
それが最近になってみると意外にそりが合うというか、お互いに妥協しているというか、
秘密協定を結んだというか、平和に共存していられるようになったんですよね。
もちろん、ある意味では客観的に自分を見られなくなっているのかもしれませんがね。
皆さんはどうかはわかりませんが、最近私は分からなくなりました。いつも以上に。
以前までは「意味のあること」を追い求めていた時期もあったし、逆にその反動で
「意味のないこと」を信じてみたくなった時期も確かに私にはありました。
でも、今の私にはどちらのことも信じられなくなりました。
そうすることを必要以上に求めなくなってしまいました。
熱くなることって一体どんなことだったかが、感触すら思い出せないくらいに。
まぁそういうことを考えていて。1つ思ったことがあるんです(何。
いままで散々色々書いておいて前置きかよ!って聞こえてきそうですが、
正直前置きです(汗。まだ書きたいことの半分も書けていません…。
何を思ったかというと、何にしても言葉にしていくことが大事なんだと悟ったんです。
必死にね、悪戦苦闘しながらも、なんらかしらの形にしていくことなんだと思ったんです。
決して上手い方法じゃなくても、たとえ形にならなくても、作り上げないといけないんだと思ったんです。
今の自分を知るにはひたすら言葉にしていくしか、私には手段がないような気がしました。
つまりです。
結局、私が今後熱くならないのかもしれないという漠然的な考えを不器用にも
つまびらかに説明していくことが、私自身を救うことなのかもしれないってことです。
それは極端ですけど、要するに今考えていることを、思っていることを、感じていることを、
ただただ言葉にして、形にして、理解をしていくことが最大の救いだって気がしたんです。
だから、まぁなんていうか…アレですよね。前置き長いのをまずやめることですよね(笑。
正直な感想を言ってしまうと、少し疲れてるんですよ。たぶん。生きることにね。
一生懸命になる理由が見つからないからじゃなくてね、
もう気丈に振る舞うことに私自身少し疲れてしまっているような気がするんです。
誰のためにそんなことしていたのかも分からないんですし、自分のためであったかも分かりません。
この「分からない」っていうの誰にとっても都合が良いから使っているだけであって、
本当のところではきっと「分かっている」んです。わからないと言っておけば、
人のせいにすることにはならないし、自分の領域の中で問題を抱えていられるから。
今ここにそんなこと書いておきながら言うのもあれなんですが、
こういうことを口にすることってすごい嫌なことではあるんですよ。
そいうことって一度言葉にしてしまうと止めどないじゃないですか。
堤防が決壊するがごとく流れ出てしまうじゃないですか。
そういう自分ってすごく浅はかに見えるし、みっともなく見える。
何かに依存すること、誰かに依存することも受け入れがたいけど、
軟弱な気持ちを口にしてしまう自分を受け入れにくいわけです。
でも、それっていつまでもやっていられないことなのかもなぁって思ったんですね。
なにかあったわけじゃなくて、最近何となくそう思ってきたんです。
それがここ最近ブログでも書いていた「何のために仕事してるんだ?」に繋がります。
仕事だけじゃなくてですね。何のために強がっていたのか分からないわけですよ。
いや、でも、さっき書いた通り、理由は分かってはいるんですよ(何。
強がることで自分を奮い立たせていたんだろうし、『みんなも同じだろ』とか思って納得してただけです。
でも、そう思ってはいても、なんでそんなことしてなきゃいけないか疑問に思うわけです。
私は何のためにそんな無理をして、我慢をして、今生きているんですか?という疑問です。
いや、その理由すら分かっているんです。
それを答えてしまうと、なにかもう取り返しが付かない状態になってしまう気がします。
私は永遠に自分に対しても、誰かに対しても素直に私自身の思いを告げられない気がします。
どうしたらいいんでしょうかね(汗。
そうしてようやく気付くわけです。
私は問題を抱えている…もとい悩んでいるってやつですね。
そんな結論導くのにここまで前置きが必要だなんて、自分でも嫌になります。
原稿用紙7枚近くの分量を用いて、ネットに公開している私ってどうかしてますね(笑。
まぁ…まとめるとですね。
真剣に私の話を聞いてくれて、私の生きる息苦しさを分かってくれる人がいたらなぁって思う…
もとい、誰か飲みに行こうぜ!ってことなのかな(ぉ。
そんなことをいうのに3000文字近く費やした私なのでした。