俺もお前も人生の敗北者

とりあえず否定から入るネガティブ思考で常にB級嗜好なATOPのブログ

俺が主役

2005-05-17 01:41:36 | ATOP
 今日、むしろ正確に言うなら昨日。昨日私は亮イ乍とお茶の水から一緒に帰って、私がさんざん愚痴をこぼしてました。基本的に「そんなに俺が悪いのか?」という話で先日の仕事の話について愚痴りました。愚痴った結果、全然すっきりしません。むしろ話疲れただけでした(何。
 これは関係ない話なのですが、先日部活で「ATOPは誰かファンの人いる?」みたいなことに聞かれて「いない」と答えました。実際あこがれるスポーツ選手はこれといって思い当たらない。そして考えた結果「生きてる以上、俺が主役だから」と言い加えておきました。そしたら当然のように「は?」とか言われました(汗。
 ファンという定義は難しいのだが、一般的に自分にはできないことをする人に対して抱くものらしい。自分にはできないけど、もし自分にそれができたら自分は凄いというか、もっと良い形になれるだろうという一種のあこがれの形がファンじゃないかと思う。
 たとえばイチローをとってみても、確かにイチローはすごい選手と思ってはいるが私はあこがれてはいない。たぶんおそらく、私が野球をやっている人間ではないからだと思う。「確かにイチローは凄いけど、私はその分野をめざしてないから」と思うし、所詮イチローは私にとって他人でしかない。
 あまり他人の功績に興味がなくて、むしろ自分の功績にこだわる。私は私なりの限界を極めたいし、その限界を自慢したい。はっきり言って自慢したい。他人に披露しないのに限界に挑戦しても意味がないと思うし、自慢といわないまでも周りの人に知ってもらって評価をされたい。だから周りに人がすごい記録なり功績を残しても『凄いな』とは思うけど「私にはあまり関係ないな、私は私の道を進むだけ」と思う。だから他人を応援している場合じゃなくて自分を応援なり激励したい。私の道を歩んでいるのは私しかいないから、目標とする人もいなければあこがれもない。自分なりに「こうでありたい」とか思うけど、誰かのようになりたいとは思わない。なったところで自分が納得するとは思えないし、満足しない。自分は誰かになりたいんじゃなくて、自分が思う理想の自分になるべく努力すればいい。その自分が良いか悪いかは自分を自慢して評価を聞けばいい。
 ここで問題なのが理想の自分とは、ということ。それは私自身もわからないけど、他人に迷惑かけないレベルでやりたいことをやる自分…今はそれが理想の自分に近づける気がする。自分が自分に満足できる状況にすればいい。やりたいことを好きなだけやる。
 正直、こんな生き方は間違っているのかもしれないけど、私の前に絶対的な人間が現れてくれればまた考え方も変わるかもしれない。私を完膚無きまでにぼこぼこに打ち負かしてくれる人がいたら、私はその人にあこがれを抱くかもしれないし、もしくは絶望感を抱くかもしれない。でも私の人生において私自身が脇役になることはない気がする…。