読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

戦後消費社会とは何だったのか、そして「ポスト消費社会のゆくえ」(2008年/文春新書)

2009-05-17 08:20:34 | 本;ビジネス
~上野千鶴子さんといえば女性学のパイオニアとしてその名を知られていますが、じつは知る人ぞ知る百貨店史の研究者。四半世紀にわたり外側から「堤清二とそのグループ」を見つめてきました。本書では辻井喬(堤清二)氏へのインタビューを通して、セゾングループの誕生から解体までを徹底検証。一百貨店の歴史を超えて戦後消費社会の実像までをも炙(あぶ)り出します。最終章では、消費社会が終焉を迎えつつある今、何を指標に社会(ビジネス)を再構築していくか、その手がかりも探りました。(KY)~

<目次>
第1章 1950’s~70’s(1前史 2激動 3成長)
第2章 1970’s~80’s(1黄金期 2第十期 3拡大戦略 4文化財団 5変貌)
第3章 1990’s~(1失敗 2解体 3再生)
第4章 2008(1戦後共同体から遠く離れて 2産業社会の終焉)

田舎に住んでいると都会の百貨店のことなど知る由もないので現在の西武百貨店がどうなっているのかはよくわかりません。それでネットでチェックしてみると、かつての総合流通グループセゾングループの中核企業であったこの会社は、「そごうと共同で設立した持ち株会社ミレニアムリテイリング傘下で、買収防衛策のため、セブン&アイ・ホールディングス傘下にもある」とあります。なんと、イトーヨーカ堂グループなんですね。

さて、本書「ポスト消費社会のゆくえ」は、このタイトルを文字通りに受け取って読むと、ちょっと違った内容の対談であり、あくまで西武百貨店の盛衰史を通してポスト消費社会を浮き彫りにする形になっております。

社会学者の上野さんはかつてセゾングループ史の企画に参加し、「セゾンの発想」(リブロポート・1991年)のなかで「イメージの市場――大衆社会の「神殿」とその危機」という論文を書いておられたんですね。その際の条件は、取材は自由、情報の隠匿はしない、原稿の検閲は一切しないというものだったそうです。その上野さんはまえがきで本書の意図について次のように記しておられます。

~本書は「セゾンの失敗」の、たんなる検証ではない。日本の近代がどう成り立ち、戦後消費社会がどのように誕生し、爛熟し、崩壊したか、それを一企業の歴史、一企業人の生涯を通じて、追体験してもらうためのものだ。なぜなら、あなたもわたしも、このひとと共にこの時代をつくりあげた「共犯者」なのだから~

~問題だったのは、わたしが対談する相手が、辻井喬さんなのか、堤清二さんなのかが、はっきりしなかったことだ。堤清二さんは対談を拒否し、代わって辻井喬さんが対談を受けいれてくださった。・・・わたしは辻井喬さんに、堤清二さんの回顧的な評価を聞けばよいと考えて対談に臨んだ。そしてそのことは結果として、とてもよかったと思う、なぜなら辻井喬さんは、堤清二さんの分身というより、メタ自己というべき存在であり、堤さんをつつみこむ、より包括的な存在だからだ、そして対談をつうじて、わたしは堤清二さんという経済人ではなく、辻井喬さんというひとりの大きなにんげんに出会うことになった。~(まえがき)


第一~第三章までその西武、セゾンの盛衰史が語られる本書で、この「ポスト消費社会」のゆくえについて結論から先に取り上げると、辻井さんの次の発言になります。

~私がいま感じている危機意識の実態は何かと申しますと、世界が産業社会の終末を迎えているということです。変な言い方をすれば、これは社会主義の崩壊によって加速された危機だと思っています。東西冷戦がなくなってからの自由市場経済の堕落は、予想よりもはるかにスピードを増し深刻化してきています。アメリカ最大のエネルギー企業・エンロンの不正取引といった大スキャンダルに象徴されるように、大企業に対する対抗力を持たなかったために、アメリカ経済のみならず世界の市場経済のマイナス面が噴出してきた。日本の市場経済もどこかに対抗軸をつくっておかないと、止めどなく堕落するだろうと思っています。~

~私は本当に、産業社会の終わりがくるのが早いな、という感慨を持っています。歴史を振り返れば、教会を中心とした封建社会は前期後期とありますが、六百年ぐらい続いてきました。十九世紀の産業社会は、ヨーロッパ大陸のイタリア、フランスからではなく、島国のイギリスから始まりました。一つの体制が終われば、必ず次の体制がそこに用意されているものです。人間はこうした歴史認識が必要だと思います。~

~二十一世紀をリードする産業社会も、いまの欧米経済大国のなかからは生まれないかもしれません。たとえばブラジルを中心としたBRICs諸国、ロシア、インド、中国かもしれません、そういう新興の国からどんな動きが出てくるのか。協同組合方式が出てくるのか、情報処理技術を使って市場をコントロールするのか。公共セクターという形にするのか。そこで市場の暴走をチェックしたり、場合によっては市場そのものをも限定する市場法則にするのか、そういうところに注目しなければなりません。~

~ヨーロッパでレギュラシオン理論という新しい考え方が出てきたように、人間の価値の増大、意味の増大ということに焦点を当てて、これからの社会にはどのような産業構造でどのような都市構造がいいのかを、もう一度検討する必要があります。たとえば、いまの産業構造は、重油からガソリンまで化石燃料に依存しているけれども、新しい技術力で有害な排気ガスなどを排出する化石燃料を使わずにエネルギーをつくって、いかに環境問題を解決するか。~

~一方、都市構造は、建築家も含めて依然として高度成長期の都市開発のパターンから一歩も出ていませんから、いまの若者たちが閉塞感から抜け出せる都市環境をいかに考えていくか。あらゆる分野にわたって脱構築をしていけば、私は可能性は見えてくると思う。その入口まで、われわれは来ているのではないでしょうか。~


残念ながら、ウーンと首を傾げてしまうような論調であります。ビジネスマン、経営者としての堤清二が終焉を迎えたことを物語るような見解だと思えます。一方で、上野さんの随所に繰り出される突っ込みは切れ味鋭く、第三章で、グループ企業の失敗を上野さんがそれぞれケーススタディとしてあげ検証していきますが、その中に西洋環境開発グループの「サホロリゾート」についてのダイアローグがふるっています。


辻井:・・・私の観念論の一つに、「日本の労働者は現状に満足してはいけない。成熟社会が進んでいけば、一ヶ月とは言わないまでも、せめて二週間ぐらいは休暇を取れる企業が出てくるはずだ。そうすれば長期滞在型のユーザーも増え、バカンス村理念は広がるはずだ」という考えがあったんですね。

上野:それは、労働者がいまの労働条件のままであってはならないという、ある種の理想主義に聞こえます。

辻井:いまのサラリーマンの休暇取得の実態をみれば、私のマーケティングは間違っていたということでしょうね、

上野:セゾングループの社員に二週間の有給休暇を与えていたんですか?

辻井:差し上げていないですね。

上野:でしょう(笑)。

辻井:それはね、われわれ流通小売業は、人様が遊んでいるときに仕事をするサービス業ですから、一年を通じて分散して休暇を取れば、よその会社と同じ有給休暇日数になる、という制度なんです。ところがみんな、なかなか休暇を取らないんですね。

上野:ですから「長期滞在型休暇」は、ご自分の足元の会社でも定着していなかったということですよ。

辻井:おっしゃるとおりです。

上野:有給休暇は労働条件の一部ですから、経営者側の判断になります。日本の構造不況以降、正社員の労働強化が始まっていて、休暇日数はむしろ減少傾向にあります。

辻井:ですから、サホロリゾートの失敗は、経営者に責任がありますね。

上野:それはどなたの責任ですか?

辻井:私の責任。

上野:あ、そうですか(笑)。


私はこれまで上野千鶴子さんのことをあまり好ましく思ってはいませんでした。それは、遥洋子さんの「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」でのフェミニストとしてであり、それは、私がファンである松井冬子さんを取り上げたNHKのドキュメントで上野さんが出演し、まるでご本人よりも「松井冬子」を理解しているといった決めつけの発言で、まるで強引に見ぐるみを剥がすような痛々しいものだったからでした。


<画家・松井冬子を傷つける人々>
http://blog.livedoor.jp/asongotoh/archives/51225254.html

本書の対談を通じて感じ取った上野さんは、「堤清二」について実に厳しい一面を持ちながら、「辻井喬」に対しては姉であり、娘のような暖かい包容力で接しておられます。こう書くとフェミニストの上野さんに叱られそうですが・・・。

本書を通じて上野さんから学んだ言葉として、「シニフィエ」と「シニフィアン」があります。これは、シニフィエを例えば海のイメージ、概念といった「記号内容」「所記」であるとするのに対し、シニフィアンを海という文字や音声などの「記号表現」「能記」などと訳する言葉だそうですが、詳しくはコチラから。

<シニフィアンとシニフィエ - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A8

また、「レス・ワースな選択」という言い方で上野さんが示唆する「レス・ワース」(より悪くならない)という言葉や、上述の辻井さんの発言に出てくる、「マルクス経済学の立場を継承し、経済は賃労働関係を重要な柱とする生産体制(「蓄積体制」)により規定される」と考える「レギュラシオン理論」。

<レギュラシオン理論 - Wikipedia>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96


その他に、これまでパルコのCMがよくわからなかったのですが、これはパルコが、テナント事業という不動産業として、企業イメージを訴求することに主眼を置いていて、「お客さんが一本のCFを見てパルコというビルまで来てくれて、パルコの中にあるお店で買い物してくれればよかった」という理由によりものだという説明があり、合点がいきました。また、三島由紀夫氏の「楯の会」の制服は、辻井さんがつくったということも本書で初めて知ったことです。


辻井 喬;1927年生まれ。本名・堤清二。東京大学経済学部卒業。元セゾングループ代表。現在セゾン文化財団理事長。91年に経営の第一線を退いた後、作家活動に専念。詩集に『異邦人』(室生犀星詩人賞)、『群青、わが黙示』(高見順賞)、小説に『いつもと同じ春』(平林たい子文学賞)、『虹の岬』(谷崎潤一郎賞)、『父の肖像』(野間文芸賞)。また『鷲がいて』で読売文学賞詩歌俳句賞を受賞


上野 千鶴子;1948年生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門は社会学、ジェンダー研究。著書に『近代家族の成立と終焉』(サントリー学芸賞)等、多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


<備忘録>
「百貨店と中産階級」(P12-13)、「百貨店への入社の条件」(P28)、「リスクをとって拡大する」(P53)、「西武のイメージ戦略の端緒、1961年」(P57)、「日本の非画一的な社会」(P76)、「日本の客層はミルフィーユ」(P81)、「広告の萌芽期、1979年」(P98)、「パルコ=テナント業」(P100)、「高島屋と松屋のマーチャンダイジング」(P111)、「パルコ・増田通ニ~消費者教育、社員教育」(P113)、「ベンチャースピリットが失われるとき」(P119)、「雇用の流動化と格差社会」(P126)、「キャスト制度と井戸和男」(P127)、「伊勢丹のサムタイマー制度」(P130)、「男女雇用機会均等法の成立舞台裏」(P132)、「ピエール・プルデュー」(P146)、「食文化の多様性とマーケット」(P255)、「ファンダム」(P255)、「ソ連崩壊前の農業」(P301)

<文藝春秋|ポスト消費社会のゆくえ(辻井 喬)>
http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/63/9784166606337.shtml

<Amazon.co.jp: ポスト消費社会のゆくえ (文春新書)>
http://www.amazon.co.jp/gp/reader/4166606336/ref=sib_dp_ptu#reader-link


最新の画像もっと見る

コメントを投稿