「政治とカネ」法改正案を可決 衆院政倫特委(朝日新聞) - goo ニュース
政治家と国民の茶番劇
相変わらず、おかしくも哀れな政治家たちの茶番劇がくり広げ続けられる。国民もまた自分たちの利害に直結する年金問題には眼の色変えて確認に走り回るのに、それよりもはるかに深刻で根源的な政治資金規正法改正案の問題については、いっこうに関心も盛り上がらない。
政治資金管理団体の事務所費、光熱水費などの支出透明化を図る政治資金規正法改正案が13日に、衆院政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員会において、自民・公明両党の賛成多数で可決された。この改正案は14日の衆院本会議でも可決されるらしい。
それなのにマスコミの多くも、黄金の腐臭の漂う政治資金の使途明細の実情を明らかにしようという意欲を欠いている。そして、公明党もまた、「一万円以上」の領収書添付は「現実的」でないなどと言い訳して、どこかの宗教団体の「先生」の清濁併せ呑む太っ腹の偽善ぶりを見習っている。一万円以上の領収書の添付では、政治で飲み食いができなくなるからだ。今もなお日本の政治は、飲み食いがらみで動いている。
電気会社であれ自動車会社であれ、普通の企業であれば、一円単位の領収書もきちんと保存して、税金の算定に使うではないか。なぜ、政治団体にそれができないのか。
それは、先に緑資源管理機構の汚職疑惑で自殺した、松岡利勝農林水産大臣の例に見るように、日本人においては政治が、エロとタカリと同じ次元でとらえられているからである。このような政治文化が背景にある限りは、日本国民の政治家の腐敗を「憤る」ようなそぶりも、その偽善ぶりがただ醜いだけである。
先進的なビジネスの世界と同じように、一銭一厘の領収書をきちんと管理する乾いた風が、政治の世界にも吹き込まない限り、腐ったどぶのようなじめじめした陰気な汚臭から、政界の住人たちが解放されることはない。この点で政治屋たちは、つねに競争にさらされている経済界と比べて、まだ100年前の昔の封建社会にちょんまげのままに暮らしている。
国民もまた、葬式などで、政治家などの「名士」などからの弔電などを貰って喜んでいるかぎり、こんな事大主義的国民性の日本人の体質だから、政治家の連中にもお金がかかり、「ザル法」の政治資金改革法を国会に提出してお茶を濁しても、懲りることも恥じることもないのである。まさに、この国民にして、この政治家ありである。西洋のことわざにあるように、「国民は自分たちにふさわしい政治しかもてない」のである。その意味で、一国の政治は、その国民の映し鏡である。汚い政治家から弔電を貰うのを故人は恥じるほどでなければならないのに。
もし政治家に少しでも謹慎するつもりがあるなら、たとえば清水市と合併した静岡市のように、市議会議員の政務調査費が6万円だったものが、合併時と昨年の2回にわたる増額で4倍の25万円にもなったような、国民をなめきったような焼け太りの決議は行なわれないはずである。いまだなお多くの地方自治体においても「政治家」たちの政務調査費の使途は非公開が認められたままである。
今回の政治資金規正法案については、一万円以上の支出について領収書の添付の義務づけ、また資金管理団体だけではなく他の政治団体も規制の対象とする民主党の提出した法案の方がはるかに妥当である。実際、資金管理団体だけを規制しても意味がない。民主党元党首の岡田克也氏が今回の政治資金規正法案で、「首相の張りぼて改革の典型だ」と批判するのも当然である。
ただ、民主党も修正案に応じて妥協する姿勢を示すのではなく、どこまでも自分たち政治家自身に厳しく律する姿勢を示してほしかった。そうして民主党の政治家たちが本当に生まれ変わったことを国民に証明して行けば、近い時点で必ず民主党に支持が集まるだろう。民主党が国民の付託にこたえきれていない現状の責任は大きいのである。
現在の民主党の党首小沢一郎氏の政治に今一つ私が共感できないのは、氏の政治理論以前に、氏の政治家としての体質に不信感を持っているからである。小沢一郎氏の政治家としての体質は、田中角栄の系譜にあると見ているからである。現在の政界の住人たちに、「政党助成金」によって濡れ手に粟の弛緩した金銭感覚に手を貸すことになったのも、小沢一郎氏の「功績」によるものである。また法的に問題ないからといって、政治資金管理団体の巨額の不動産を所有して、腐敗体質の与党にすらつけ込まれているのも小沢一郎氏である。
追加07/06/26
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