作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

3月21日(火)のTW:賀茂社のホトトギス

2017年03月22日 | 西行考

紫式部―(生没年不詳
平安時代中期、西暦1000年前後に主として平安京を中心に生きた女性。「源氏物語」の作者として知られている。https://goo.gl/bjwD1L

西行―元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)
平安末期から鎌倉時代初期にかけて生きた武士、僧侶、歌人。山家集などの和歌で知られている。
https://goo.gl/s2ljoZ

上記に掲げた和歌に共通しているのは、ホトトギスと賀茂社。紫式部と西行は二人の生存した時期には平安時代のそれぞれ中期と後期と、時間的には百年ほどの相違があるけれども、いずれも同じ平安京に生き暮らし、上賀茂神社でホトトギスの鳴き声を主題とする和歌を詠んだことでは共通している。

紫式部も西行も賀茂社に籠もっていた。しかし、真言僧侶であった西行が賀茂社に忌籠もるということが可能だったのかという疑問は残る。ただ西行には神官たちと和歌の交流はあったようだから、架空の題材として詠んだとも考えられる。このとき西行が紫式部のこの和歌のことを知っていたのかどうかは今のところ不明。

藤原道長の詠んだ「この世をば わが世とぞ思う 望月の欠けたることも 無しと思えば 」という摂関政治の頂点を極めた貴族社会に紫式部は生きたのに対して、保元、平治の乱を体験した西行の生きた時代は、すでに平清盛らが実権を握った武家社会へ移り行きつつあった。時代と個人。


関連歌

片岡の 朝(あした)の原を 過ぎゆけば 山ほととぎす 今ぞ鳴くなる
                               伊勢
あしひきの 山の雫に 妹(いも)待つと 我立ち濡れぬ 山の雫に
                               大津皇子



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3月16日(木)のTW:国家社会主... | トップ | 3月30日(木)のTW:スイスの教... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

西行考」カテゴリの最新記事