作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

護王神社

2023年09月02日 | 日記・紀行

2023(令和5)年9月2日(土)曇り

たまたま通りかかったので、立ち寄りました。御所の傍らにあるこの神社は昔から知っていましたが、護国神社とあやまって記憶していました。立ち寄り参拝するのも初めてでした。和気清麻呂公のお祀りされていることも初めて知りました。イノシシが足腰にご利益があるとのことでしたので、お祈りしました。また、さざれ石や伊勢神宮遥拝所などのあることも知り興味深かったです。

 
 
 

京の昔ばなし

いのしし神社のおはなし


奈良時代・称徳天皇の御代、 法皇となって権勢をふるっていた弓削道鏡は、
天皇の位をわが物にしようと、「自分を皇位につかせたなら天下は太平になると
宇佐八幡より御神託(神様のお告げ)があった」とウソをつきました。
天皇から御神託が本当かどうかを確かめてくるよう命を受けた和気清麻呂公は、
九州の宇佐八幡へ行き、御神前に「真意を示したまえ」 と叫びました。
すると光の中から宇佐の大神が現れ、
「天皇の後継者には必ず皇族の者を立てなさい。無道の者は
早く追放してしまいなさい」と御神託を下されました。
都へ帰った清麻呂公は、このことを天皇に報告し、道鏡の野望を暴きました。
道鏡の怒りを買った清麻呂公は、大隅国(鹿児島県)に流されることになり、
その旅の途中、道鏡の放った刺客に襲われ、足の筋を切られてしまいました。
それでも清麻呂公は、皇室の安泰を守られたことを感謝するため、
宇佐八幡へ立ち寄ることにしました。
そして一行が豊前国(福岡県東部)にさしかかった時、
どこからともなく三百頭ものイノシシが現れ、
清麻呂公の輿の周りを護りながら十里(約四十㎞)の道のりを案内してくれたのです。
イノシシたちは宇佐八幡に着くと、またどこかへ去って行きました。
清麻呂公を悩ませていた足の痛みも不思議と治っていました。
一年後、称徳天皇の崩御により道鏡は失脚すると、清麻呂公は都へ呼び戻され、
晩年まで世のため人のために尽くしました。
清麻呂公の立派な人柄とともに、彼を護ったイノシシのお話は、
後世まで語り継がれることとなりました。
清麻呂公を祀る護王神社には、狛犬の代わりに狛いのししが建てられ、
今も清麻呂公を護り続けています。

絵・清麻呂公を護る
三百頭ものイノシシ

さざれ石

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊勢神宮遥拝所

紀元節の歌垣

 

 


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