阿呆、燃えているなら消せ、燃えてしまったのなら、また建てろ。(ゲーテ) Narre! wenn es brennt, so lösche, Hat's gebrannt, bau' wieder auf!
— ドイツ語メール例文集&格言集 (@dt_reibunshu) 2017年3月21日 - 19:16
28:山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば(源宗于朝臣)
— 百人一首bot (@onehundredpoems) 2017年3月21日 - 18:42
陰険で周到な宣伝は、国民の抵抗意思を挫くことができます。心がくじけたときに、腕力が何の役に立つでしょうか。反対に、決意を固めた指導者のもとに全国民が団結したとき、誰が彼らを屈服させられるでしょう。民間国土防衛は、まず意識に目覚めることから始まります。(スイス政府『民間防衛』)
— スイス政府『民間防衛』 非公式bot (@minkan_bouei) 2017年3月21日 - 19:16
賀茂社のホトトギス
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月21日 - 23:49
賀茂に詣でたるに、「ほとゝぎす鳴かなむ」といふあけぼのに、片岡の木ずゑおかしう見えけり
ほととぎす 声まつほどは 片岡の
もりのしづくに 立ちやぬれまし
紫式部 (新古今和歌集:第三巻 夏歌)
たづねざるに郭公を聞くといふことを、賀茂社にて人々よみける
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月21日 - 23:53
180 ほととぎす 卯月の忌に 忌こもるを
思ひ知りても 来鳴くなるかな
西行
たづね求めてもいないのにほととぎすの鳴き声を聞く、ということを題に賀茂社で人々が和歌を詠みました
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月21日 - 23:54
卯月の忌日に 私が賀茂社に忌こもっていることを、
ほととぎすはまるで思い知っているかのように ここまで来て鳴いてくれるようだ
— Tukihosi (@soratine) 2017年3月21日 - 23:54
紫式部―(生没年不詳)
平安時代中期、西暦1000年前後に主として平安京を中心に生きた女性。「源氏物語」の作者として知られている。https://goo.gl/bjwD1L
西行―元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)
平安末期から鎌倉時代初期にかけて生きた武士、僧侶、歌人。山家集などの和歌で知られている。
https://goo.gl/s2ljoZ
上記に掲げた和歌に共通しているのは、ホトトギスと賀茂社。紫式部と西行は二人の生存した時期には平安時代のそれぞれ中期と後期と、時間的には百年ほどの相違があるけれども、いずれも同じ平安京に生き暮らし、上賀茂神社でホトトギスの鳴き声を主題とする和歌を詠んだことでは共通している。
紫式部も西行も賀茂社に籠もっていた。しかし、真言僧侶であった西行が賀茂社に忌籠もるということが可能だったのかという疑問は残る。ただ西行には神官たちと和歌の交流はあったようだから、架空の題材として詠んだとも考えられる。このとき西行が紫式部のこの和歌のことを知っていたのかどうかは今のところ不明。
藤原道長の詠んだ「この世をば わが世とぞ思う 望月の欠けたることも 無しと思えば 」という摂関政治の頂点を極めた貴族社会に紫式部は生きたのに対して、保元、平治の乱を体験した西行の生きた時代は、すでに平清盛らが実権を握った武家社会へ移り行きつつあった。時代と個人。
関連歌
片岡の 朝(あした)の原を 過ぎゆけば 山ほととぎす 今ぞ鳴くなる
伊勢
あしひきの 山の雫に 妹(いも)待つと 我立ち濡れぬ 山の雫に
大津皇子