作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

日々の聖書(2)

2006年11月16日 | 宗教・文化

日々の聖書(2)

「かってあったことは、これから先もあり、かって行われたことは、これからも行われる。太陽の下に新しいものはない」(伝道の書第一章第九節)

民族の質

教育基本法の改正が国会の日程に上っている。安部内閣は「美しい国」造りを目指すという。決して、悪いことではない。目指せばよいと思う。しかし、その結末は明らかである。「美しい国」は実現しない。私がそのように考える理由は次のようなものである。

「人は石垣、人は城」と武田信玄が言ったように、国家や民族の質は、それを構成している人間の質によって決まる。そして、その人間がどのような人間であるかは、その人間の崇拝する神によって決まる。この道理は自然の法則と同じで、神の摂理であって真理であるから、人間の恣意で勝手に都合よく変更できるものではない。

ちょうど小泉前首相や安部首相によって行われようとしている日本の政治の改革も、もちろん全く無駄であるとは言わないが、底の浅い改革で、所詮はたいした効果をあげ得ないことは明らかだろうと思う。理想の高い私たちの眼には、そんなものは改革の名にも値しない。だから、そうした改革に希望を託したとしても、失望するに至るだけだと思う。

教育についても同様である。真実の神を教えるという根本を避け、それを外した功利主義的な教育で、人間と国民の質を改革できると彼らは思っている。人間の根本の質を変えないで、どれほど多くのお金と労力を注ぎ込んでも、国民が期待するような成果をあげ得ないことは、日を見るよりも明らかである。

教育諮問会議が安部内閣の許でも持たれる。しかし、それも結局、文部科学省の役人や政治家たちの仕事のネタを提供してやるぐらいの意義しかないだろうと思う。率直に言って税金の無駄である。


かって受験本位の教育を改善しようと鳴り物入りで始まった「ゆとり教育」が否定され、今では諸悪の根源のように非難されている。新しい教育改革で理想の教育が実現できるなら、実行してみればいい。それは「教育の改革」を目指したい人たちに任せるしかない。しかし、真理は頑強である。根本のゆがみが正されるまでは、枝葉末節をいくらいじったところで問題は解決されないだろう。


要するに、国家と国民の質、民族の質、人間の質が改まらない間は、教育基本法であれ憲法であれ、どのような法律を制定し、さまざまな会議、タウンミーティングを開催し、どのような政治が行われようとも、「この世」は昔のままの「この世」でありつづけるだけである。私たちは人間に期待することは止めようと思う。神のみに希望を託そう。それも一つの知恵だと思っている。

 「かってあったことは、これから先もあり、かって行われたことは、これからも行われる。太陽の下に新しいものはない。」(伝道の書1:9)

 

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