作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

日々の聖書(4)――私の彼

2006年11月22日 | 宗教・文化

日々の聖書(4)

夜ごと寝床に、私は心より愛している人を捜し求めました。私は彼を捜しました。しかし、見つけることができませんでした。(私は彼を呼びました。しかし、彼は私の声を聴きませんでした。)

(雅歌第三章第一節)
※()内は、七十人訳聖書のみ。

SEPTUAGINT(セプチュアギント)の訳者 Brenton氏の訳

By  night on  my  bed  I  sought  him whom  my  soul  loves :
I  sought  him , but   found   him  not ;
I  called   him,  but  he  hearkened  not  to  me.

私の彼


人間にとって出会うべき人と出会えないことほど哀しいことはない。
生涯に出会うべき愛しい異性に出会えないことは、どれほどつらく悲しいことだろう。だから彼や彼女たちは、自分たちが出会うべき人と出会えるよう、必死になって捜している。

今日のように携帯電話やネットが発達して、出会系サイトなどが繁盛するのも、やはり、人がどれほど出会うべき人に出会うことに憧れているかを示すものだろう。

だから、人は自分の愛する人にいまだ出会い得ないことほど切なく哀しいことはない。彼女はそのとき、夜ごと寝床の上で、切なくため息をつき、愛する人と出会えぬゆえの孤独とさびしさに心で泣いている。

この雅歌の主人公である娘も、いまだ恋い慕う彼に出会うことができなかった。彼女は床から起きだし、部屋を出て、通りや広場に愛する彼を捜し求める。最後には娘は彼を見つけるけれども、彼を見失っているときの彼女の気持ちはどれほど不安で切ないものだったろうか。

信仰する者が、愛する神を見失ったときの気持ちも同じなのかも知れない。

夜ごと寝床に、私は心より愛している人を捜し求めました。私は彼を捜しました。しかし、見つけることができませんでした。(私は彼を呼びました。しかし、彼は私の声を聴きませんでした。)

(雅歌第三章第一節)


 

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