作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十七節[欲望の充足]

2024年01月10日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十七節[欲望の充足]

§27

Die Tätigkeit der Begierde hebt also das Anderssein des Ge­genstandes, dessen Bestehen überhaupt auf und vereinigt ihn mit dem Subjekt, wodurch die  Begierde befriedigt  ist. Diese ist sonach bedingt: 1) durch einen äußeren, gegen sie gleichgültig bestehenden Gegenstand oder durch das Bewusstsein; 2) ihre Tätigkeit bringt die Befriedigung nur durch Aufheben des Ge­genstandes hervor. Das Selbstbewusstsein kommt daher nur zu seinem  Selbstgefühl. (※1)


第二十七節[欲望の充足] 
  
欲望の活動は、したがって、対象の他者性を、対象の存在一般を廃止し、そうして対象と主体とを一体化する。こうして 欲望が満たされる。欲望の充足は、だから次の条件を必要としている。
 1) 欲望とは無関係に存在する外部の対象によって、もしくは、意識を通して、
 2) 欲望の活動は、ただ対象を手に入れることによってのみ充足感をもたらす。
自己意識は、したがって、ただその 自己感情 にのみ帰着する。

 

※1
前節の§26によって明らかにされた「衝動」は必ずしもそこに意識は介在しなかったが、本節§27で説明されているように、「欲望が充足」するための条件としては、まず外部に他者性をもった対象が存在すること、そして、それを意識していること、次に、その外部の対象を手に入れ、また食い尽くすこと、それによって意識の主体と一体化することである。こうして自己意識は欲望充足の自己感情に行き着く。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自意識  第二十七節[欲望の充足] - 夕暮れのフクロウ https://cutt.ly/ywJradS7

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級   第二段   自己意識   第二十六節[衝動]

2023年12月22日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自己意識  第二十六節[衝動]

§26

Dies Gefühl seines Andersseins widerspricht seiner Gleichheit mit sich selbst.(※1) Die  gefühlte Notwendigkeit,  diesen Gegensatz aufzuheben, ist der  Trieb. Die Negation oder das Anderssein stellt sich ihm als Bewusstsein, als ein äußerliches, von ihm ver­schiedenes Ding dar, das aber durch das Selbstbewusstsein be­stimmt ist: 1) als ein dem Trieb  gemäßes  und 2) als ein  an sich Negatives,  dessen Bestehen von dem Selbst aufzuheben und in die Gleichheit mit ihm zu setzen ist.

第二十六節[衝動]

(自己意識の)他者性のこの感情は、意識の自分自身との同一性に矛盾している。この矛盾を解消しようとする 感じられた必然性  衝動 である。否定もしくは他者は、意識として、一個の外的なものとして、自分とは異なる物として現れてくるが、しかし、それは自己意識によって規定されているものである。
 1) 衝動に相応するも のとして、そして
2)それ自体否定的なもの として、その存在は自己意識自身によって解消せられ、そうして、自己に一致したものとされる。


※1
欲望とは「感じられた矛盾」である。
自己意識の中に生まれる他者、外的なものは、自己の本来的な同一性に、アイデンティティに反する矛盾するものであるから、自己意識はそれを解消して、同一性を、アイデンティティを回復しようとする。それが衝動である。

(自己意識内の他者性や異物を排除しようとする衝動、これが民族的な規模で起きたものがイスラエルとハマスなどの異民族間で起きている抗争である。だからお互いに破滅したくなければ、それぞれの国内で過激派を抑制して二つの国家を別個に形成し、平和を確立して共存の関係を作り上げるしかない。移民問題などもこうして必然的に発生する。)

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第二段  自己意識  第二十六節[衝動] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/sevbew

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自己意識 第二十五節[欲望]

2023年12月13日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自己意識 第二十五節[欲望]

A. Die Begierde

§25

Beide Seiten des Selbstbewusstseins, die setzende und die auf­hebende(※1), sind also unmittelbar miteinander vereinigt. Das Selbstbewusstsein setzt sich durch _Negation des Andersseins_ und ist _praktisches_ Bewusstsein. Wenn also im eigentlichen Bewusstsein, das auch das _theoretische_ genannt wird, die Bestimmungen desselben und des Gegenstandes sich _an sich selbst_ veränderten, so geschieht dies jetzt durch die Tätigkeit des Bewusstseins selbst und für dasselbe.(※2) Es ist sich bewusst, dass ihm diese auf­hebende Tätigkeit zukommt. Im Begriff des Selbstbewusstseins liegt die Bestimmung des noch nicht realisierten Unterschiedes. (※3)Insofern dieser Unterschied überhaupt in ihm sich hervortut, hat es das Gefühl eines Andersseins in ihm selbst, einer Nega­tion seiner selbst, oder, das Gefühl eines Mangels, ein _Bedürfnis._(※4)

 

A. 欲望

第二十五節[欲望]

自己意識の二つの側面、定立する面と止揚する面は、したがって互いに直接に結びついている。自己意識は他の存在を否定すること を通して自己を定立するから、実践的な 意識である。それゆえ、また理論的 とも呼ばれる本来の意識において、意識の規定と対象の規定 それ自体が 変化するときは、今このことが、意識自身の活動を通して、意識そのものに対して起きる。この止揚する活動が意識にもたらされることは意識自ら知っている。自己意識の概念のうちには、まだなお実現(解消)されていない区別が存在している。この区別一般が意識の中に少しでも残っているかぎり、意識は自分自身の中に他者の感情を、自分自身が否定される感情をもつ。言いかえれば、欠乏の、欲望 の感情が生まれる。

 

※1

die setzende und die auf­hebende Seiten(定立する側面と、止揚する側面)

「定立する側面」とは自己意識の対象を変えようとする側面であり、「止揚する側面」とは自己意識が対象を意識内に表象もしくは観念として保存することである。

意識は自己を対象とすることによって自己意識となったが、自己意識には二つの側面があり、一つは、対象を意識する場合 ── すなわち「対象意識」と、もう一つは、自分自身を意識する場合 ──「自己意識」である。

前者が、止揚する側面(die auf­hebende Seiten)すなわち理論的意識であり、後者が定立する側面(die setzende Seiten)すなわち実践的意識である。

※2

自己意識、すなわち実践的意識は、たとえば、鉄を変えて剣にしようとするが、そのことによって同時に、対象も鉄から剣へと変化する。こうして自己意識の活動によって対象意識、理論的意識も変化する。

※3

die Bestimmung des noch nicht realisierten Unterschiedes. (まだなお実現されていない区別の規定)─── 「いまだ解消されていない区別の規定」ととった。

※4

自己意識の活動によって、たとえば、鉄という対象を剣に変えようとしたのに、いまだ鉄が釘にしかならなかったならば、自己意識の概念のうちには、釘と剣との区別が残されたままである。自己意識にはそこに自ら否定された感覚が残り、そこから欠乏と欲望の感情が生まれる。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自己意識 第二十五節[欲望] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/Vu71Ii

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十四節[自意識の三つの段階]

2023年11月27日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識 第二十四節[自意識の三つの段階]

§24

Das Selbstbewusstsein hat in seiner Bildung oder Bewegung die drei Stufen: 1) der Begierde, insofern es auf andere Dinge; 2) des Verhältnisses von Herrschaft und Knechtschaft, sofern es auf ein anderes, ihm ungleiches, Selbstbewusstsein gerichtet ist; 3) des allgemeinen Selbstbewusstseins, das sich in anderen Selbstbewusstsein und zwar ihnen gleich, so wie sie ihm selbst gleich, erkennt.

第二十四節  [自意識の三つの段階]

自意識の形成あるいは活動には三つの段階がある。
1) 欲望───自意識が他の物に向けられる場合。(※1)
2) 支配と隷従の関係───自意識が自分と対等でない他の自意識に向けられる場合。(※2)
3) 普遍的な自意識───他の自意識が自分と彼が同質であると認めるように、同時にまた自意識も他の自意識の中に自己を認める場合。(※3)


※1
自意識はまず個人として生きるためには、欲望をもって他の物に向かわなければならない。他の物とは水や空気などの無機物にかぎらず、果実や魚肉など、さらには同じ個体としての異性に向かう。それは食欲であり、性欲などである。(個別)

※2
次に自意識は、同じく多くのさまざまな他者との社会関係におかれて、他の自意識と向き合うが、さしあたっては、お互いの承認をめぐって抗争する関係である。その端的な例は戦争である。敗者の自意識は命が欲しければ勝者に隷属し支配されるしかない。(特殊)

「Herrschaft und Knechtschaft」については、金子武蔵氏は「主であること奴であること」、牧野紀之氏は「主人であること召使であること」と訳している。     

※3
自意識は第二の段階を経ることによって、さらに家族、市民社会、国家や人類といった人倫の社会に向かい「普遍的な自意識」に至る。

「私は私である」というここでの自意識の命題がフィヒテの「自我哲学」が踏まえられていること、また、自意識が三つの段階(個別ー→特殊ー→普遍)をたどるその発展の論理過程については、金子武蔵氏の訳業になる『精神現象学』の解説などに詳細に説明されている。ただ、このヘーゲル『哲学入門』の翻訳と註解は「生活に使える哲学」として、基本的な骨格のみの把握を目指している。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識 第二十四節[自意識の三つの段階] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/QhP1ye

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

2023年11月21日 | 哲学一般


ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

§23

Dieser Satz(※1) des Selbstbewusstseins(※2) ist ohne allen Inhalt. Der Trieb des Selbstbewusstseins besteht darin, seinen Begriff zu realisieren und in Allem sich das Bewusstsein seiner zu geben. Es ist daher: 1) tätig, das Anderssein der Gegenstände aufzu­heben (※3)und sie sich gleich zu setzen; 2) sich seiner selbst zu ent­äußern (※4)und sich dadurch Gegenständlichkeit und Dasein zu ge­ben. Beides ist ein und dieselbe Tätigkeit. Das Bestimmtwer­den des Selbstbewusstseins ist zugleich ein sich Selbstbestimmen (※5)und umgekehrt. Es bringt sich selbst als Gegenstand hervor.

第二十三節[自意識の衝動、概念の実現]

自意識のこの命題にはまったく内容がない。自意識の衝動とは、自らの概念を実現すること、そうして、あらゆるものの中に、自らを意識することである。それゆえに自意識は、1)対象の他者性を廃して、そうして、対象を自分と同じものにする。2)自分自身を外在化して、それによって自分自身に対象性と存在を与える。1)2)の両方は同じ活動である。自意識が規定されるというのは、同時に、自分を自己規定することであって、その逆も同じである。自意識は自らを客体として作り出す。


※1
Dieser Satz  
この命題とは、
Ich=Ich、Ich bin Ich.「私=私」「私は私である」という自意識の命題。

命題とは判断を文に表したもの。その判断の正否が問われる。

※2
 Selbstbewusstseins  「自意識」と訳した。武市健人氏も同じ。金子武蔵氏や牧野紀之氏は「自己意識」と訳している。

※3
aufheben  持ち上げる、廃する、止揚する、揚棄する、などと訳される。
対象の他者性がなくなるだけで、対象性は保存され残っている。

※4
ent­äußern
外部に現す、外在化する、外化する。
行動によって自己を外部に存在させ客体化する。労働は自己の外在化である。
1)は理論的な立場、2)は実践的な立場といえる。両者は同じ一つの活動の両側面である。

※5
「自意識」の衝動は、人間の生産活動のあらゆる側面に見られる。
自動車や船舶をはじめ、政治や国家に至るまで、すべては概念を実現しようとする人間の自意識の衝動の結果である。

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十二節[自意識としての私]

2023年11月10日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第二段 自意識  第二十二節[自意識としての私]

 

 Zweite Stufe. Das Selbstbewusstsein.

第二段  自意識

§22

Als Selbstbewusstsein schaut Ich sich selbst an und der Aus­druck desselben in seiner Reinheit ist Ich = Ich, oder: Ich bin Ich.(※1)

第二十二節[自意識としての私]

自意識として「私」は、自分自身を見つめ、そして、この自意識の純粋な形での表現が「私=私」であり、もしくは、「私は私である」。

 

※1
意識の自己内分裂という類的な極限に達した人類は、ついに意識の対象を「私」そのものに向ける。それが自意識(Selbstbewusstsein)である。この自意識は「私は私である」として定式化される。

第一段 の「意識一般」においては、意識の対象は「客体」に向けられていたが、この第二段「自意識」において、意識はその対象を「意識の主体そのもの」すなわち「私」に向ける。

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十一節[物の観念もしくは概念]

2023年11月08日 | 哲学一般


ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十一節[物の観念もしくは概念]

§21

Oder unmittelbar: das  Innere  der Dinge ist der Gedanke oder Begriff derselben. Indem das Bewusstsein das Innere zum Gegenstande hat, hat es den Gedanken oder eben so sehr seine eigene Reflexion oder Form(※1), somit überhaupt sich zum Gegenstande.(※2)

第二十一節[物の観念もしくは概念]

あるいは直接的に言えば、物の 内的なもの とは、物の 観念 もしくはその概念である。意識が内的なものを対象とするかぎり、意識は観念を、もしくは、まさに意識にとってまったく固有であるところの反省を、あるいは形式を対象にもち、したがって、一般的に意識は自己を対象にもつのである。

※1
意識は自己内分裂することによって、自身を反射する。それは意識の形式であり、そのことによって自己を反省する。
意識が「内的なもの」を対象にするというのは、物についての観念や概念を対象にするということである。それは自分自身を対象とすることである。


※2
意識は、A 感覚的な意識 ー→ B 知覚 ー→ C 悟性 へと進んできて、外的なものから内的なものへと意識の対象が移り行く。そして今や、ついに自分自身を意識の対象にする。すなわち「自意識」の段階に入る。

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十節[自己を対象とする意識]

2023年11月06日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第二十節[自己を対象とする意識]

§ 20

Dieser Begriff, auf das Bewusstsein selbst angewandt(※1), gibt eine andere Stufe desselben. Bisher war es in Beziehung auf seinen Gegenstand als ein Fremdes und Gleichgültiges. Indem nun der Unterschied überhaupt zu einem Unterschied geworden ist, der eben so sehr keiner ist, so fällt die bisherige Art des Unterschie­des des Bewusstseins von seinem Gegenstande hinweg. Es hat einen Gegenstand und bezieht sich auf ein Anderes, das aber unmittelbar eben so sehr kein Anderes ist, oder es hat sich selbst zum Gegenstande.

第二十節[自己を対象とする意識]

 意識そのものに用いられたこの概念は、別の次元の段階の意識を与える。これまで、意識はその対象とは、異質な無関係のものだった。ところが今や、(意識と対象との)区別一般が、もはや区別がまったくないような一つの区別になってしまったので、その結果、意識をその対象から区別するこれまでのようなあり方はなくなってしまう。意識は一つの対象をもち、自らを一個の他者に関係させはするが、しかし、その他者はもはや直接的にはまったく他者でないような他者であり、言いかえれば、意識は自己自身を対象としてもつのである。


※1

「精神の現象学」として、意識との関係を「今ここにある」対象からはじめて、その弁証法的な関係を追考してきたが、先の第十九節において、意識は「力と法則」という概念の段階にまで進行してきた。

それまでは、意識の対象は意識の外にあって、意識そのものとは異物であり無関係なものであった。しかし、先の第十九節において「力と法則」という概念にまで進んでくると、「力と法則」の概念には、その外的な対象と意識それ自体との区別が消え失せてしまっている。ここに至って意識は別の次元の意識をもつにいたる。すなわち、意識はその対象として他者でない他者、すなわち自己自身を意識の対象とする。

リンゴの樹から落下するリンゴの果実は、意識にとってはまったく外的なものであり異物であるが、意識がリンゴの樹から落下する果実の力やその力の法則性を意識するにいたると、意識と力や法則との区別はなくなる。力や法則は意識そのものである。

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十九節[力と法則]

2023年10月23日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十九節[力と法則]

§19


2) Die Kraft bleibt mit diesem Unterschiede in aller sinnlichen Verschiedenheit der Erscheinung dieselbe. Das Gesetz der Er­scheinung ist ihr ruhiges, allgemeines Abbild. Es ist ein Verhältnis von allgemeinen bleibenden Bestimmungen, deren Un­terschied am Gesetze zunächst ein äußerlicher ist.(※1) Die Allge­meinheit und Beständigkeit dieses Verhältnisses führt zwar auf die Notwendigkeit desselben, aber ohne dass der Unterschied ein an sich selbst bestimmter oder innerer wäre, in welchem die eine der Bestimmungen unmittelbar im Begriffe der andern liegt.

第十九節[力と法則]

2) 力は、現象のすべての感覚的な区別の中にあって、同じものに留まっている。
現象の 法則 とは、力の静的で普遍的な写像である。力とは普遍的で恒久的な諸規定についての関係であり、法則と力との区別はさしあたっては一つの外的なものである。この関係の普遍性と恒常性は確かに必然性そのものへと進んでいくが、しかし、その(力と法則との)区別は(対象が)自己自身を規定したものか、あるいは(意識の)内的なものであるかの区別はないのであるから、規定の一方は直接に他方の概念のうちにあることになる。

※1
ここでの記述そのものは分かりにくいが、「力と法則」の例として、リンゴの樹からリンゴの果実が落下する場合を考えて見ればいい。

リンゴの樹からは、その果実は、いつでもどこでも(普遍性と恒常性をもって)、上から下へと落ちるから、リンゴの果実というものは、上から下へと落下する必然性のあることを認めるにいたる。(万有引力の法則)

しかし、この段階では、力と法則とのあいだには、それらが対象自体にあるのか、あるいは私たちの意識のうちにあるのか、区別はされていないから、力のうちに法則があり、法則のうちに力があることになる。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十九節[力と法則] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/hqnJAW

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの]

2023年08月10日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの]

§18

Das Innere (※1)der Dinge ist das an ihnen, was einesteils von der Erscheinung frei ist, nämlich von ihrer Mannigfaltigkeit, die ein gegen sich selbst Äußerliches ausmacht;  andererseits  aber das, was durch seinen Begriff darauf bezogen ist. Es ist daher: 1) die einfache Kraft,  welche in das Dasein, die Äußerung,  übergeht.(※2)

 

第十八節[本質と現象、概念と定在] 

物の内的なものは、それ自体において、一面では現象からは自由なものである。つまり、内的なもの自体に対して外的なものを構成する物の多様性からは自由なものである。しかし、他面において、内的なものは物の概念を通して外的なものと関連している。したがって、物の内的なものは、単純な力でもあり、それは、1) そこにある存在へと、外的なものへと移り行く。

 

※1
Das Innere  内的なもの
ここで内的なものとは、たんなる主観的なものではなく、人間の認識を通して客観的な事物の内部に見出すところの主観=客観なものである。ここでいう「Das Innere  内的なもの」とは、その意味で、より具体的には事物の「本質」や「概念」のことである。

※2
この内的なもの、すなわち本質や概念は、みずからを外部に現出させる(Äußerung)ものである。内なるものは外なるものへと、本質は現象し、概念は定在化する。その意味で、本質や概念は、また運動の源泉として単純な力でもある。本質や概念は、一つの力として、動的なものとしてダイナミックに捉えられなければならない。

この節において初めて、内なるものから外なるものへ、本質から現象へ、概念からその定在へと移行する「力 Kraft」が出てくる。

 

参考
§ 280b[概念から存在への移行] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/j9SLmx

 

ヘーゲル『哲学入門』中級  第一段  意識一般  第十八節[内なるものと外なるもの] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/JtvdIC

 

 

 

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