作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

学生時代のアルバムから #写真館

2024年09月23日 | 写真館

高校時代の剣道部。後列右から二人目が私。まだ丸刈り。今となっては懐かしい先輩、先生、同輩たち。

大学時代の合気道部。後列右から三人目が私。まだ新入生のウブ。

富士山麓でのクラブ合宿、先頭を走っているのが私。

右端で偉そうにしているが私。

これも富士山麓で合宿していた時。左端の角刈り頭が私。

これは確か鳥取米子で合宿した時。最前列左から二人目が私。

卒業前に行った合ハイ(もう死語になってる?)。貴船だったと思う。女の子四人の後ろに隠れているのが私。

岩の上の猿が私。

左端の女の子の名前が思い出せない。N君、O君、覚えていれば教えて。

 

 

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2024(令和6)年09月22日(日)秋分の日。雨のち曇り。#写真館

2024年09月22日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年09月22日(日)秋分の日。雨のち曇り。

 

朝、通り雨の雨脚の過ぎる音に目が覚めました。久しぶりの雨で耳に心地よく寝床で聴いていました。

今日のお彼岸の日に、たまたまアルバムを投げ込んだままにしていた大きなバックが眼についたので、思い出して懐かしく取り出して見ました。それなりに溜まった古い昔の写真のなかに私の高校、大学時代の写真などもありました。

このブログには、これまで金閣寺や天満宮、高山寺、コスモス園や嵯峨野などを訪れた時などに、その折々にカメラに撮った風景などを、日々の記憶としてこのブログにも残してきました。

しかし最近になって更新も減り、また、この日記ブログにはカテゴリーとして「写真館」という項目も作っているのに、それもまったく充実していません。

ほぼ半世紀も昔になった学生時代などの写真を久しぶりに見て、これらの写真もこのブログの「写真館」に残していくようにすれば、ブログ更新の機会も増えるし、それに今となっては全国に離ればなれになって住む、私のわずかな知人、友人たち、遠くの兄弟、親戚、娘や孫たちにとって、私的で個人的な私の消息報告のような役割も果たすこともできるだろうと思いました。もし、更新が一年以上ない時は、「はい、それまで」と思ってくださいまし。

プライベートな人物写真については、その必要も価値もないので、これまでほとんどその肖像を残していません。しかし半世紀近くも前の映像写真ならば、それほどプライバシーにも配慮する必要もないかも知れません。

それで、更新することの減った(暑さのせいもあります。言い訳、心身の衰えのせい ── 本音)この日記ブログに、手持ちの過去の写真を少しずつでも記録していくことにしました。そうすれば、いちいちアルバムを捲るよりも簡単に過去を回想できる利点もあるかも知れません。

 

「写真館」-作雨作晴 https://tinyurl.com/2yeubbuj

 

 

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あまりにも軽すぎる小泉進次郎氏

2024年09月09日 | ニュース・現実評論
あまりにも軽すぎる小泉進次郎氏

今、自民党の総裁選を目指して多くの候補者が名乗りを上げています。自民党の総裁は同時に日本国の首相であり、首相は言うまでもなく、日本国の最高指導者です。だから、日本国の首相の地位獲得をめざす自民党総裁選挙の候補者たちの資質、能力、および、それぞれの候補者のもつ思想と哲学(もし彼らにそういうものがあるとすれば)は、現在の日本国民のみならず、これから産まれくる将来の日本国民に対しても計り知れない影響を及ぼすことになります。

現在および将来の日本国民に及ぼすその影響が、恩恵であり福利をもたらすものであれば何も問題はないでしょう。しかし、自民党総裁の地位に就かんとする者の思想と哲学が誤ったものであり、その政治的な選択が正しくなければ、その結果として現在と将来の日本国民に及ぼす災厄は取り返しのつかないものになります。自民党総裁が日本国の最高指導者である内閣総理大臣、首相の地位に就くと予想されるからです。

たとえば、現在の岸田文雄首相が実質的に進めている「移民政策」もその事例の一つです。その「移民」が現在と将来の日本国民に及ぼす負担や困難、その災厄のことを考えると、現在の岸田首相のあまりに能天気で楽天的な「移民政策」に反対せざるを得ないものです。

さらまた現在の自民党の総裁選挙で候補者たちの政策上の論点に挙げられている一つに「夫婦同姓」があります。明治以降に百年以上続いてきたこの「夫婦同姓」の伝統と習慣を変えようとして「選択的夫婦別姓」を主張しているのが、小泉進次郎氏です。しかし、この「夫婦別姓問題」は、小泉氏が環境大臣のときに推し進めた愚策「レジ袋」問題とは比較にならないほど、現在と将来の日本国民の家族のあり方に深刻な影響をもたらすことになります。

日本国民の「姓氏」の問題は、単に平成、令和の時代に生きる現代日本人だけの問題ではありません。7 世紀の天武天皇の制定した「八色の姓」をはじめとして、日本の氏姓制度は、平安、鎌倉時代から今日に至るまで連綿として受け継がれてきたものです。

明治に入ってから、全日本国民が苗字を名乗るようになり、さらに1898年の明治民法によって、夫婦同姓が法的に義務付けられましたが、そこには家族単位での統一を重視し、家族の一体感を保持しようという価値観が根底にあります。
 
こうした制度の長い歴史と伝統にこめられた日本の先人たちの知恵を、いまだ若く経験も知恵も浅い小泉進次郎氏という自民党総裁候補者が自民党総裁に選ばれることによって壊されるようなことがあってはならないと思います。
 
高市早苗:選択的夫婦別姓について - 作雨作晴 https://tinyurl.com/2cljbzd6
 追記20240911

この小泉進次郎氏を支持し応援することを菅義偉元首相が明らかにしたそうです。菅義偉氏もまた日本国という「国家」やその歴史、家族といった問題について深く正しい認識をもっていなかったことは、これまでの氏の仕事ぶりからも明らかでした。「類は友を呼ぶ」というべきでしょうか。

不幸にも菅義偉氏が内閣官房長官として指揮、采配を振るったのは、平成から令和へと現在の上皇陛下がご譲位されたときでした。彼は安倍元首相とともに「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」という特別法を取りまとめましたが、そこで皇室典範に則った「譲位」という正しい用語を使わないで「退位」という誤った用語を法律の呼称に使用しました。

また上皇陛下の譲位と今上天皇の受禅によって分断されることなき皇位の継承を、退位と即位として分断して行うなど、歴史と伝統に対する無知と非常識でもって伝統破壊を行いました。

また、「選択的夫婦別姓」については、経団連の会長の十倉 雅和氏も政府に提言しているようです。十倉 雅和氏は住友化学の会長でもあるらしいですが、現在の日本の財界のトップは、昭和の時代の永野重雄、桜田武、土光敏夫といった、かっての財界の大物たちとはちがって、国家や伝統文化ということには無関心のようです。ただお金儲けさえできればいいから、だから国家体制のちがいや自由の問題も無視して、揉み手で共産中国に擦り寄って行くのかも知れません。最近の日本の財界の小粒な人物たちは救いようがないようです。


ちなみにドイツの哲学者ヘーゲルの家族観の一端をついでにご紹介しておきます。もし、ご興味をもたれる方がおありであれば覗いてみてください、

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第四十九節[家族への義務]
2022年05月24日 | ヘーゲル『哲学入門』

II. Familienpflicht
§49
Indem der Mensch gebildet ist, hat er die Möglichkeit zu han­deln. Insofern er wirklich handelt, ist er notwendig in Verhältnis mit anderen Menschen. Das erste notwendige Verhältnis, worin das Individuum zu Anderen tritt, ist das Familienverhältnis. (※1)Es hat zwar auch eine rechtliche Seite, aber sie ist der Seite der moralischen Gesinnung, der Liebe und des Zutrauens, untergeordnet.
Ⅱ. 家族への義務
第四十九節[家族愛について]
人間は教養を積むことによって、行為する能力を手に入れる。人間が実際に行動するかぎり、必然的に他者との関係に入る。個人が他者とかかわる最初にして必然的な関係は、家族関係 である。家族関係はなるほどたしかに法的な側面ももつが、しかし、それは道徳的な心情の側面に、愛と信頼の側面に従属している。

Erläuterung.
説明.
Die Familie macht wesentlich nur Eine Substanz, nur Eine Person aus. Die Familienglieder sind nicht Personen gegen einander. Sie treten in ein solches Verhältnis erst, inso­fern durch ein Unglück das moralische Band sich aufgelöst hat. Bei den Alten hieß die Gesinnung der Familienliebe, das Han­deln in ihrem Sinn, pietas.

家族は本質的にただ一つの実体のみから、一つの人格のみからなる。家族の成員はそれぞれお互いに対立しあう人格 ではない。不幸にも道徳的な絆が失われたばあいにはじめて、家族の成員は、法的な関係のような相互の人格が対立する関係に入る。古代の人は、家族愛の心情とそうした感情からの行為を、pietas(孝行)と呼んでいた。
 
Die Pietät(※2) hat mit der Frömmigkeit, die auch mit diesem Wort bezeichnet wird, gemeinschaftlich, dass sie ein absolutes Band voraussetzen, die an und für sich seiende Einheit in einer geistigen Substanz, ein Band, das nicht durch besondere Willkür oder Zufall geknüpft ist.(※3)

Die Pietät(ピエタ:敬虔)は、また、このことば(Die Pietät)でも表される信仰心と共通して、絶対的な 絆を前提とした公共性や、一つの精神的な実体を、一つの集団の中に本来的に存在する統一性をもっている。それらは特殊な恣意や偶然によっては結びついたものではない。

※1

家族関係は本質的には法的な関係ではなくて、愛と心情に基づいて相互に敬愛すべき関係である。そうした道徳的な絆が失われた時に、愛と心情に代わって法的な利害関係に変じる。
※2

Die Pietät 
畏敬、崇敬、孝順などと訳される。
十字架から降ろされたイエスを抱いて嘆き悲しむ聖母マリアの像は「Pieta」と呼ばれる。
ドイツのプロテスタント教において、形式ではなく愛と心情の純粋を重んじる Pietismus(敬虔主義)という宗教運動があった。哲学者カントやヘーゲルたちはそうした家庭環境に生育したといわれる。
※3

すべて個人はその誕生から、家族との関係に入る。母語と呼ばれる言語をはじめ、習慣、生活様式、さらに性格とよばれる資質さえもが、家族の環境の中で養われ規定される。家族(家庭)の決定的な重要性もここにある。
各人にとってその資質や能力は、どのような社会生活を生きるかを規定する基本的な要素といえるが、個人はそれを両親や家庭環境から受け継ぎ、またそれに規定される。
家族・家庭がもつそうした本質的な教育的環境は、いく世代にもわたって継承され伝授されてゆく。それは客観的なもので、それぞれに蓄積された家族・家庭のその差異は一世代や二世代ぐらいでは解消されないほど深刻に個人を規定するものである。
 
 
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万葉集 第10巻 1992番歌〜1995番歌

2024年08月20日 | 万葉集

万葉集

第10巻 1992番歌

隠りのみ恋ふれば苦しなでしこの花に咲き出よ朝な朝な見む


第10巻
歌番号
1992番歌
作者
作者不詳
題詞
(寄花)
原文
隠耳 戀者苦 瞿麦之 花尓開出与 朝旦将見
訓読
隠りのみ恋ふれば苦しなでしこの花に咲き出よ朝な朝な見む
かな
こもりのみ こふればくるし なでしこの はなにさきでよ あさなさなみむ
英語(ローマ字)
KOMORINOMI KOFUREBAKURUSHI NADESHIKONO HANANISAKIDEYO ASANASANAMIMU

ひとりひそかに恋続けるのはつらい。せめてなでしこの花になって我が庭に咲き出てきて下さい。そうすれば毎朝、毎朝眺められますのに。
左注

校異

用語
夏相聞、植物

 

第10巻 1993番歌

外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも


第10巻
歌番号
1993番歌
作者
作者不詳
題詞
(寄花)
原文
外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友
訓読
外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも
かな
よそのみに みつつこひなむ くれなゐの すゑつむはなの いろにいでずとも
英語(ローマ字)
YOSONOMINI MITSUTSUKOHINAMU KURENAゐNO SUゑTSUMUHANANO IRONIIDEZUTOMO

遠目にでもお姿を見てお慕いしましょう。紅色の鮮やかなベニバナのように咲くことがなくても。
左注

校異

用語
夏相聞、植物                                                                                         

第10巻 1994番歌

夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき


第10巻
歌番号
1994番歌
作者
作者不詳
題詞
寄露
原文
夏草乃 露別衣 不著尓 我衣手乃 干時毛名寸
訓読
夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき
かな
なつくさの つゆわけごろも つけなくに わがころもでの ふるときもなき
英語(ローマ字)
NATSUKUSANO TSUYUWAKEGOROMO TSUKENAKUNI WAGAKOROMODENO FURUTOKIMONAKI

露にまみれた夏草を踏みしめてきた着物を着たわけでもないのに、ただ待っているだけの女の身なのに、私の着ている着物の袖は涙で乾く時がありません。
左注

校異

用語
夏相聞、植物

第10巻 1995番歌
六月の地さへ裂けて照る日にも我が袖干めや君に逢はずして


第10巻
歌番号
1995番歌
作者
作者不詳
題詞
寄日
原文
六月之 地副割而 照日尓毛 吾袖将乾哉 於君不相四手
訓読
六月の地さへ裂けて照る日にも我が袖干めや君に逢はずして
かな
みなづきの つちさへさけて てるひにも わがそでひめや きみにあはずして
英語(ローマ字)
MINADUKINO TSUCHISAHESAKETE TERUHINIMO WAGASODEHIMEYA KIMINIAHAZUSHITE

水無月(新暦では真夏の七月)、地面さえ裂けるかんかん照りの日でも私の着物の袖は涙で乾くことがありません。あなたにお逢いできないので。
左注

校異

用語
夏相聞、恋情

 

※出典
万葉集 第10巻 /作者・原文・時代・歌・訳 |
 万葉集ナビ https://tinyurl.com/27e2am3a

 

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トランプ氏、テロリストに撃たれる

2024年07月15日 | ニュース・現実評論

 

トランプ氏、テロリストに撃たれる

 

今日のいつ頃だったか、ネットを見ていて、アメリカの元大統領で、この秋に再び現職のバイデン大統領を相手に再選を目指して選挙キャンペーンを行なっていたトランプ氏がテロリストに銃撃されたというニュースが目に入った。

気になって検索してみると、耳から顔にかけて血を流しながら、シークレットサービスに取り巻かれているトランプ氏の写真が、誰かのツイッター(X)の中に上げられていた。さらに調べてみるとすぐに、同じ場面の映像のある動画で、トランプ氏が拳を上げながら、シークレットサービスに覆い隠されるように囲まれながら、そのままSUV車に押し込まれるように画面から見えなくなった。

動画を見た限りでは、トランプ氏の命に別状はなさそうだった。先週にはテロリストに暗殺された我が国の安倍晋三元首相の三回忌が営まれたばかりだった。

今は亡き安倍晋三氏もトランプ氏も、多くの敵対者を抱えていたことは知っていた。安倍晋三氏については、個人的にはどちらかと言えば「消極的な支持」という立場だったが、安倍晋三氏は「愛国者」であるとは思っていた。この度危うく頭蓋を撃ち抜かれそうになったところを奇跡的に助かった元大統領のトランプ氏も、アメリカファーストと愛国者(パトリオットpatriot)を唱え、赤い帽子をかぶって、この日も「Make America Great Again」を唱えていたはずである。

トランプ氏の思想信条を知るには、氏が現職の大統領である時に国連で演説した時のスピーチが最も適当であるとかねて思っていた。ここで久しぶりにトランプ氏の政治的な信条を再確認するためにも、YOUTUBE に残っていた動画をこのブログにも記録して、また、できれば日本国民の一人でも多くの人に知ってほしいと思った。

トランプ氏はアメリカの次期大統領候補として有力であり、秋のアメリカ大統領選挙にもしトランプ氏が選出されれば、氏の外交方針は国際情勢に大きな変化をもたらし、我が国にも、もちろん、改めてその適切な対応が求められるはずだからである。トランプ氏は「アメリカ第一主義アメリカファースト」を唱え、その同盟国に対しても、これまでも自力防衛のための軍事費の負担増を求めてきた。

トランプ氏の国連演説の内容については、動画の字幕同時翻訳か文字起こし機能を使えば、そのおおよそのところは把握できると思う。

President Trump addresses U.N. General Assembly - FULL SPEECH (C-SPAN)

 

トランプ氏の政治思想の核心は、「国民国家の尊重」もしくは、その擁護にある。この政治的な立場は、反国家主義の立場にある人々からは、反感を買う。とくに社会主義、共産主義は「労働者は祖国をもたない」と主張する国際主義でもあるから、そうした政治的な信条をもつ人々からは憎しみを買う場合が多いようである。射殺されたテロリスト犯も、おそらく、そうした政治的な信条をもってトランプ氏を憎んだのだろう。

また、その一方で、GAFAと称される、Google社 やApple社、Microsoft、Facebookを運営するMeta社など、巨大な国際的な大企業は、その企業運営はグローバリズムとして、また社会主義や共産主義とは異なった立場から、国民国家の立場とは矛盾する場合が多い。

要は、「国民国家」を支持するのか、その伝統、文化、民族的な生活様式などを大切に保守していこうとするのか、それとも、反国家の国際主義か、グローバリズムの立場に立つのか、それによってそれぞれの政治的な立場は異なってくる。しかし、いずれの政治的、思想的な立場に立つにせよ、トランプ氏の暗殺を狙ったこの二〇歳の青年のように、暴力をもって異なる政治的思想的信条をもつ者の口を封じようとするのは、自由と民主主義に反する。

我が国においては、戦前から今日にいたるまで、学界、大学アカデミズム、マスメディアにおいて、とくにマルクス主義の、すなわち共産主義の影響を深刻に受けており、そうした環境で教育を受けた若者、青年たちは、国家主義者らに対してはいうまでもなく、たんなる「国民国家」への愛国者に対しても、嫌悪や憎悪といった感情、偏見をもつ場合が多いようだ。二年前に安倍晋三元首相を暗殺したテロリスト青年も、おそらくそうした一人だったのだろう。

 

 

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高市早苗:選択的夫婦別姓について

2024年07月08日 | ニュース・現実評論

 

安倍晋三元総理の遺言ともいえる重要課題・選択的夫婦別姓について

家族のあり方を考える上で、参考になります。安倍晋三元総理が暗殺されてから二周忌の日に。

 

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LIMITED TIME Nearly Full FOOTAGE: Emperor and King make speech at the State Banquet in U.K. 英国晩餐会

2024年06月26日 | ツイツター

LIMITED TIME Nearly Full FOOTAGE: Emperor and King make speech at the State Banquet in U.K. 英国晩餐会

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ヘーゲル『哲学入門』 中級  第三段  理性  第四十二節 [理性の確信]

2024年06月14日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第三段  理性  第四十二節 [理性の確信]

§42

Das Wissen der Vernunft ist daher nicht die bloße subjektive  Gewissheit,(※1)sondern auch Wahrheit, (※2) weil Wahrheit in der Übereinstimmung oder vielmehr Einheit der Gewissheit und des Seins oder der Gegenständlichkeit besteht.(※3)

第四十二節[理性の確信]
  
理性の知識は、したがって、たんなる主観的な 確実性 ではなくて、むしろ 真理 でもある。なぜなら、真理とは、認識されたことと存在とが、あるいは客観性とが一致していること、あるいは、むしろその統一のうちにあるからである。

 

※1
 Gewissheit 
確信、確実性。知識をもっていること。ここではまだその知識が主観性にとどまっている。

※2
Wahrheit
真実、正しいこと、真理。
主観的な確信が、存在や対象の客観性と一致すること、もしくは、存在がその概念に一致していること。

※3
先の第二段において、自己意識が「不幸な意識」に至るのは、人間の意識が本来的に自己内分裂をその特性としているからである。
分裂した自己意識は、自己自身との不一致や他者との関係における矛盾、信仰における不和などに、必然的に「不一致と矛盾」に陥るから「不幸な意識」とならざるをえない。
しかし、この「不幸な意識」も、主人と従僕との関係や労働を通して、その「疎外」も克服して、ここで自己意識は理性として、主観と客観との統一を、その確実性と真理を確信するようになる。

しかし、この段階では、理性もまだ「表象」の確信にすぎないから、『精神の現象学』においては、そこからさらにすすんで、自然や有機体(生命)の観察や実験へと、さらには、道徳や人倫の領域へと入り込んで、自らの意志や行動を通して世界を変革しようとしたり(「徳の騎士」と「世路」との対立)しながら理性から精神へと移行してゆく。
カントの啓蒙哲学やフランス革命も検証され、「絶対精神」の領域である芸術、宗教、哲学(絶対知)へと向かう考察がくわしく展開されている。しかし、この『哲学入門』ではそれらは一切省略されている。

 


この『哲学入門』の「精神現象論」においては省略されている、『精神の現象学』の「Ⅴ 理性の確信と真理」および「Ⅵ 精神」の内容については、梗概か要約としてまとめておきたいと考えています。

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第三段  理性  第四十二節 [理性の確信] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2yh3pozw

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』 中級  第三段  理性  第四十一節 [理性が洞察するもの]

2024年06月10日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第三段  理性  第四十一節 [理性が洞察するもの]

§41

Oder was wir durch die Vernunft einsehen, ist: 1) ein Inhalt, der nicht in unsern bloßen Vorstellungen oder Gedanken be­steht, die wir für uns machten, sondern der das an und für sich seiende Wesen der Gegenstände enthält und objektive Realität hat und 2) der für das Ich kein Fremdes, kein Gegebenes, son­dern von ihm durchdrungen, angeeignet und damit eben so sehr von ihm erzeugt ist.(※1)(※2)

第四十一節[理性が洞察するもの]

あるいは、私たちが理性を通して理解するところのものは、1) 私たちが自分たちのために作った単なる表象や思考のうちにはない内容ではなく、むしろ対象に本来的に存在する本質を含んだ、そして客観的な実在性をもった内容であり、また、2) 「私」にとってその内容は疎遠なものではなく、また誰かから与えられたものでもなく、「私」によって洞察されて取り入れられ、そして、まさにその結果「私」によって作り出されたものである。

 

※1
was wir durch die Vernunft einsehen
理性によって私たちが認識するものは、「私」によって探求されて手に入れ、生み出された主観的な内容であるとともに、客観的であり現実性をもった内容である。それは私にとってよそよそしいものではない。この理性の段階において主観と客観の対立は統一され宥和する。

※2  
理性のこの段階に至った自己意識は、個別と普遍との統一とその実在性は確信する。しかし、「現象学」の理性の項においては、そこから自然や有機体の観察や実験へと、さらには道徳や人倫の領域へと展開していく。そこでよく知られている「徳の騎士」(革命家、若者)が「世路」(現実の法則、大人)に敗北する論理などは、ここではすべて省略されている。

 

ヘーゲル『哲学入門』 中級  第三段  理性  第四十一節 [理性が洞察するもの] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/22qpcy9d

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』  中級  第三段  理性  第四十節 [理性について]

2024年06月07日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』  中級  第三段  理性  第四十節 [理性について]

 Dritte Stufe. Die Vernunft.

§40

Die Vernunft ist die höchste Vereinigung des Bewusstseins und des Selbstbewusstseins oder des Wissens von einem Gegen­stande und des Wissens von sich. Sie ist die Gewissheit, dass ihre Bestimmungen eben so sehr gegenständlich, Bestimmungen des Wesens der Dinge, als unsre eigenen Gedanken sind. Sie ist eben so sehr die Gewissheit einer selbst, Subjektivität, als das Sein oder die Objektivität, in Einem und demselben Denken.(※1)

第三段  理性

第四十節[理性について]

理性とは、意識と自己意識の最高の統一である。つまり、対象についての知識と自己についての知識との最高の統一である。理性とは次のことを確信することである。すなわち、理性の規定が、私たち自身の思考として、まったく客観的であって、事物の本質についての規定でもあるという確信である。理性とは、一つの同じ思考にあって、存在や客観性とまったく同じように、自己自身や主観性を確信することである。

 

※1
「精神の現象学」の中で展開されているように、自己意識は長い格闘ののちに、ここにおいて理性の確信にたどり着く。
理性の規定は、客観的であり事物の本質であるとともに、それはまた自己自身や主観性との統一でもある。すなわち、真理であるという確信である。
「理性」は通俗的にも多用される概念であるが、ここでヘーゲルが規定しているように、哲学的には絶対知を把握する認識能力をいう。
自己意識が理性に至るまでにたどる道程は、『精神の現象学』においてはくわしく展開されているが、この『哲学入門』ではすべて省略されている。

 

ヘーゲル『哲学入門』  中級  第三段  理性  第四十節 [理性について] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/2bzlp58w

 

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