Photo 1998.5.23
歌舞伎座
所在地:中央区銀座 4-12
建設年:1924(大正13)
戦災で焼失したため改築。1950年改築完成、1951年開場。
構造・階数:SRC・4F(一部5F)
設計 :岡田信一郎
備考 :登録有形文化財(平成14)
2005.4 再開発検討開始を公表。11.16 建て替え決定を発表。
2009.1 再開発計画公表の予定だったが、公表を2010.2に延期。
当初は2010年頃を目標に建て替えと言われていた。
解体年:2010(平成22)
Photo 2009.6.2
以下は、拙Website「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内に記事を掲載していた時の文面。都市徘徊blog内に記事を移設するにあたって、文章を更新することも考えたが、解体・建て替え前に書き始めていた元の文を残すことにした。
これはとにかく有名。岡田信一郎の設計によって、関東大震災後に建てられた歌舞伎の殿堂。戦災によって屋根などが焼失したため、上部の屋根の形状や内装を変更して、現在も使われている。再開発が検討され、最近、建て替えの決定が公表された。現在の建物が登録有形文化財になっていることも踏まえて、外観その他の雰囲気を残しながらバリアフリーに対応し、耐震性のある建物に建て替えるのだそうだ。
しかしやはり、この桃山風などと呼ばれている、豪華絢爛な姿あってこその歌舞伎座である。海外からの訪問者も多い。ジャポニズム色満載だから良いのだ。内部の方も独特である。座席まわりがちょっと狭いような気もするが、巨大ホールではないため、観客と役者がちょうど良い一体感で包み込まれる。
浜町の明治座、新橋演舞場、東京宝塚劇場など、建て替わった劇場は多いが、単に近代的で使い勝手が良くなったり客席数が多くなっただけのような気もする。観劇空間の雰囲気も含めて劇的に素晴らしくなった例は少ない。現在の歌舞伎座がかなり良い空間なので、これを継承しながら、これを上回る空間を造るのはなかなか大変なことではないだろうか。
ヨーロッパのオペラ劇場などはそれこそ200年以上前の建物だったりする。しかし、かの国の人々は、取り壊してしまえば、それを上回る空間は二度と創れないことを知っているような気がする。現在の歌舞伎座も80年の年月を経て、そのような歴史を蓄積した建築空間になっているのではなかろうか。
どのような再開発計画が立案されるのか、期待と不安が入り交じる。要注目である。
2009/03追記
2009年1月に再開発計画が公表される予定だったが、経済状況の変化などから公表を延期。ただ、同時期に超高層のパースが新聞紙上に載った。かなり簡略化された外観になっており、以前の華やかな姿からはかけ離れたものになっている。当初は現在の外装を残す案だったようだが、都知事が銭湯みたいだと言ったので変更され、簡略化されたとも言われる。現状を尊重しながらと以前は言っていたので、ある程度は残されるのかと思っていたのだが、自らの手で文化財を壊すようなことをするのだろうか。これはちょっと予想外のことで、かなりがっかりさせられる行為だ。
2013/07追記
紆余曲折があったらしいが、最終的には以前の外観を踏襲しつつ超高層を付加するデザインで新建物が完成した。
歌舞伎座 - 都市徘徊blog
Wikipedia > 歌舞伎座
歌舞伎座/銀座4丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
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2013.7.22