都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

東洋キネマ

2019-09-28 | 千代田区 
東洋キネマ
所在地:千代田区神田神保町 2-11
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:木・2F
解体年:1992(平成4)
Photo 1988.10.30

 藤森照信氏の著書でダダイズム的と書かれていた建物。1F部分は改築されて往時の面影が無かったが、2F部分の装飾に華やかなキネマの時代の面影が残る。解体後にバブルが崩壊したため、十数年間コインパーキングになっていて、つくづく解体してしまったことが残念に思われる状況だった。

 2011(平成23)に住友商事神保町ビルが跡地に竣工。当時の様子を感じさせるものは現在は全く無くなっている。


 2023.12.22追記
 下記、「消えた映画館の記憶」によれば、東洋キネマは1921年12月開館だという。また、1970年から1973年までの間に閉館したそうだ。
 その後は関連の会社などが使用したりしていたようで、1973年の住宅地図では小川町郵便局(仮局舎)、1982年の同地図では東洋キネマ・スタジオコモン、1991年には東洋キネマビル・(有)視聴覚センターと記されている。

千代田区の映画館 - 消えた映画館の記憶
ぼくの近代建築コレクション東洋キネマ

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #映画館・ホール  #看板建築 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松竹会館

2019-08-12 | 中央区  
松竹会館
所在地:中央区 築地 1-13
建設年:1956(昭和31)
解体年:1999(平成11)
Photo 1998.5.23

 戦前の近代建築ではないけれど、再開発で無くなってしまったので掲載。

 松竹会館は、松竹の本社だった建物。映画館でもあり、松竹セントラル1、2、3があった。

 再開発事業に伴い1999.2に閉館して解体された。その後、2000.5にADK松竹スクエア(現在は銀座松竹スクエア)が着工し、2002.10に同ビルが竣工している。

ぼくの近代建築コレクション松竹会館/築地1丁目

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #映画館・ホール  #オフィス 
2018.8.2
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎座

2019-07-24 | 中央区  


 Photo 1998.5.23

歌舞伎座
所在地:中央区銀座 4-12
建設年:1924(大正13)
    戦災で焼失したため改築。1950年改築完成、1951年開場。
構造・階数:SRC・4F(一部5F)
設計 :岡田信一郎
備考 :登録有形文化財(平成14)
    2005.4 再開発検討開始を公表。11.16 建て替え決定を発表。
    2009.1 再開発計画公表の予定だったが、公表を2010.2に延期。
    当初は2010年頃を目標に建て替えと言われていた。
解体年:2010(平成22)


 Photo 2009.6.2

 以下は、拙Website「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内に記事を掲載していた時の文面。都市徘徊blog内に記事を移設するにあたって、文章を更新することも考えたが、解体・建て替え前に書き始めていた元の文を残すことにした。


 これはとにかく有名。岡田信一郎の設計によって、関東大震災後に建てられた歌舞伎の殿堂。戦災によって屋根などが焼失したため、上部の屋根の形状や内装を変更して、現在も使われている。再開発が検討され、最近、建て替えの決定が公表された。現在の建物が登録有形文化財になっていることも踏まえて、外観その他の雰囲気を残しながらバリアフリーに対応し、耐震性のある建物に建て替えるのだそうだ。

 しかしやはり、この桃山風などと呼ばれている、豪華絢爛な姿あってこその歌舞伎座である。海外からの訪問者も多い。ジャポニズム色満載だから良いのだ。内部の方も独特である。座席まわりがちょっと狭いような気もするが、巨大ホールではないため、観客と役者がちょうど良い一体感で包み込まれる。

 浜町の明治座、新橋演舞場、東京宝塚劇場など、建て替わった劇場は多いが、単に近代的で使い勝手が良くなったり客席数が多くなっただけのような気もする。観劇空間の雰囲気も含めて劇的に素晴らしくなった例は少ない。現在の歌舞伎座がかなり良い空間なので、これを継承しながら、これを上回る空間を造るのはなかなか大変なことではないだろうか。

 ヨーロッパのオペラ劇場などはそれこそ200年以上前の建物だったりする。しかし、かの国の人々は、取り壊してしまえば、それを上回る空間は二度と創れないことを知っているような気がする。現在の歌舞伎座も80年の年月を経て、そのような歴史を蓄積した建築空間になっているのではなかろうか。
 どのような再開発計画が立案されるのか、期待と不安が入り交じる。要注目である。

2009/03追記
 2009年1月に再開発計画が公表される予定だったが、経済状況の変化などから公表を延期。ただ、同時期に超高層のパースが新聞紙上に載った。かなり簡略化された外観になっており、以前の華やかな姿からはかけ離れたものになっている。当初は現在の外装を残す案だったようだが、都知事が銭湯みたいだと言ったので変更され、簡略化されたとも言われる。現状を尊重しながらと以前は言っていたので、ある程度は残されるのかと思っていたのだが、自らの手で文化財を壊すようなことをするのだろうか。これはちょっと予想外のことで、かなりがっかりさせられる行為だ。

2013/07追記
 紆余曲折があったらしいが、最終的には以前の外観を踏襲しつつ超高層を付加するデザインで新建物が完成した。

歌舞伎座 - 都市徘徊blog

Wikipedia > 歌舞伎座

歌舞伎座/銀座4丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #古い建物 中央区  #近代建築  #映画館・ホール 
#登録有形文化財  #岡田信一郎 
2013.7.22
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿東映

2019-05-08 | 新宿区  
新宿東映
所在地:新宿区新宿 3-1
備考 :2005〜06に解体
Photo 2004.4.1

 新宿御苑の近く、甲州街道沿いに建っていた。戦前のいわゆる近代建築ではなく、恐らく戦後の建物なのだが、2004年頃から周辺建物も巻き込んだ形で再開発事業が始められ、閉館、解体された。コンクリートむき出しの劇場建築には独特の存在感が漂うが、老朽化するとその存在感が逆に、ただ汚いだけになってしまっていた。

 近辺はもともとは内藤新宿の西端で、隣の二丁目は遊郭・赤線があった場所。新宿追分の近くには京王線の終点があり、戦前にはターミナルデパートがこの近辺にあったという。東映のあたりも昔は賑やかで新宿の中心地だった。京王線の終点が戦争中に西口になり、三光町・追分が新宿の中心だったのが、戦後、国鉄(現JR)新宿駅が街の中心になったことで、この一角は取り残され気味になってしまった。京王線の跡地や、甲州街道トンネルの入口が付近にあるため、駅からほど近い場所なのに、2000年代前半は、空虚な空間が散見された。

新宿三丁目イーストビル(新宿バルト9、マルイシティ1)
建設年:2007(平成19)
Photo 2008.1.20

 その後、新宿東映はほどなくして解体された。2007年春には新宿バルト9というシネコン(9ー14F)と、マルイシティ1(B1ー8F)からなる複合商業施設「新宿三丁目イーストビル」が完成し、近辺を歩く人も再び増えてこの場所の様子は様変わりした。今、同じ場所を歩いても、以前にこんな建物が建っていたということは全く想像できない。

 丸井は伊勢丹の向かいの場所の新宿本店も2009年に完成。2008年には東京メトロ副都心線が開通し、明治通りの地下に通路ができたこともあり、追分交差点を中心に大型店舗が建ち並ぶ空間に再編され、JR新宿駅とは別の結節点・核となっている。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #新しい建物 新宿区 
#映画館・ホール  #甲州街道 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野松竹デパート・上野セントラル

2019-04-08 | 台東区  
上野松竹デパート・上野セントラル
所在地:台東区上野公園1
構造・階数:RC・3+B
建設年:1953(昭和28)?
解体年:2012(平成24)
Photo 2008.6.1

 上野松竹デパートは上野百貨店(西郷会館)と並んで、上野公園東側にあった建物。1階が店舗、2階と地階に4つの映画館(上野セントラル1〜4)があり、3階は囲碁センターだった。

 2006年5月に上野セントラルは閉館し、撮影時点では、1階と3階だけに灯りが点っていた。


 Photo 2012.9.2

 その後も店舗等の営業は続いていたが、2012年8月末で上野松竹デパートが閉店。


 Photo 2012.9.2

 2012年9月はじめに訪れたら、まだ古本屋さんは営業していた。ただこれらの店や囲碁センターもこの直後に閉店したらしい。


 Photo 2012.9.2

 建物は2012年中に解体され、跡地には2014年に「上野の森さくらテラス」という飲食店ビルができている。

上野松竹デパート/上野公園 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #映画館・ホール  #デパート・百貨店 
#商業系  #屋内階段  ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京クラブ(東京倶楽部)

2019-04-04 | 台東区  
東京クラブ(東京倶楽部)
所在地:台東区浅草 1-26
構造・階数:RC・5
建設年:1931(昭和6)
解体年:1991(平成3)頃
Photo 1989.12.1

 カーブして張り出すベランダと、そこに造られたアーチが印象的。常盤座とは異なるが、こちらも表現派的な雰囲気のあるデザイン。

 この写真で見ると、たしかに隣の常盤座と通路がつながっていたようだ。


 Photo 1989.12.1

 三角形の平面をした変則的な建物で、後方からだとちょっと芋虫のように見える外観だった。最後部のアーチは半分しかなく、内部の座席も左右非対称に配置されていたようだ。敷地の関係とはいえ、かなり無理のある平面型で、現在の映画館ならまず造られない形。


 北側からの様子。一つ奥は常盤座。Photo 1988.12.17

 浅草松竹、常盤座、東京クラブ。3棟とも中に入ったことがないままに終わった。いちどはここで映画を観て、内部空間を体験しておけば良かったと今になって思う。

東京クラブ/浅草1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #近代建築  #映画館・ホール  #商業系 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常盤座(トキワ座)

2019-04-02 | 台東区  
常盤座(トキワ座)
所在地:台東区浅草 1-26
構造・階数:RC・4
建設年:1931(昭和6)
解体年:1991(平成3)頃
Photo 1989.12.1

 三軒が並んでいて、内部はつながっていたともいわれる映画館。常盤座はその真ん中にあった建物で、屋上にはドームが載っていた。

 緩やかに手前に膨らんだような壁面で、中央の3連アーチ窓以外には、両側の壁などの部分に装飾が少ない。浅草松竹が昔の西洋の城のような外観で装飾的なのに比べると、一見地味だが、当時としては新しい表現派的な雰囲気のあるモダンなデザイン。


 Photo 1988.12.17

 北側(手前側)から東京クラブ、常盤座、浅草松竹。常盤座は両側の2棟に比べて間口や高さが大きな建物だったようだ。

トキワ座/浅草1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #近代建築  #映画館・ホール  #商業系 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草松竹(旧ROXY・旧金龍館)

2019-03-30 | 台東区  
浅草松竹(旧ROXY・旧金龍館)
所在地:台東区浅草 1−26
構造・階数:RC・4ー5F?
建設年:1931(昭和6)
解体年:1991(平成3)頃
Photo 1989.12.1

 浅草六区にあった映画館。かつて六区は興行街として非常に賑わっていたといい、多くの人が訪れた映画館や劇場が90年代までは残っていた。
 スクラッチタイルを張った外観で、西洋の城のようなデザイン。玄関上にはテラコッタ装飾?のアーチが造られていた。

三軒並んだ映画館
手前から、浅草松竹、常盤座、東京クラブ
Photo 1989.12.1

 写真中、浅草松竹の左隣は常盤座、そしてその更に左奥が東京クラブで、ここでは映画館・劇場が3棟並んでいた。『日本近代建築総覧』には3棟がつながっていたという記述があり、入口やファサードは異なるが、後方の一部は構造的につながった建物だったらしい。

浅草松竹(旧金竜館)/浅草1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #近代建築  #映画館・ホール  #商業系 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東急文化会館

2019-02-04 | 渋谷区  
東急文化会館
所在地:渋谷区渋谷2-21
階数 :8F+B1F+塔屋・ドーム
建設年:1956(昭和31)
解体年:2003(平成15)
設計 :坂倉準三
Photo 2001.12.8

 屋上に載る五島プラネタリウムのドームが特徴的。小さい頃、プラネタリウムといえば、やはりまず、渋谷のこの五島プラネタリウムだった。

Wikipedia > 東急文化会館

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区  #映画館・ホール  #商業系  #坂倉準三 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

両国公会堂(旧本所公会堂)

2018-02-21 | 墨田区  
両国公会堂(旧本所公会堂)
所在地:墨田区横網1−12
建設年:1926(大正15)
構造・階数:RC・4F
設計 :森山松之助
備考 :2015(平成27)解体
Photo 2015.7.28

 3年ほど前に解体されてしまった建物。写真は、解体されると聞いて一目見ておこうと思って訪れた際のもの。

 建物には既に近寄れなくなっていたが、囲いや足場はまだできていなかった。旧安田庭園から最期のお姿を拝見。


 安田庭園内の池の反対側から

 庭園からの景色をかなり意識したドーム型のデザイン。東京スカイツリーが出来て、新旧さまざまな施設が見える状態になっていた。


 北西側から

 公会堂としてはこちらが入口のようだが、改装されていたのか様式的なデザインは見られない。 庭園側からの景色は素晴らしいが、入口側のこの状況はいまひとつ。


 側面のようす

 耐震補強をして使ってくれる団体を探したりしたそうで、行政側も建て替えありきではなく、なんとか使っていけないか模索はしていたようだ。ただ予想以上にお金が掛かって辞退されたとかで、結局解体することになってしまったのだとか・・・。

 新しく、安全な建物になるのは悪いことではないが、昔の景色が写真などの資料の中にしか残らないのは、歴史がどんどん消え去っていくようでやはり非常に残念なことだ。

東京墨田区の旧両国公会堂(大正モダン建築再訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
両国公会堂の解体(後) 東京都墨田区横網2丁目 - 墳丘からの眺め

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #近代建築  #森山松之助 
#映画館・ホール  #海・川・池  #公園 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする