荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

今治城主の墓を訪ねて/再び霊厳寺

2019年05月24日 | 散文

 

故郷古国分に初代及び3代・4代今治藩主の墓地を訪問した時に、2代目と5代目以降の墓は何処にあるのだろう、との疑問を持ちました。そんな折の2年前、生家にあった資料で今治藩主の墓が深川の霊厳寺に在ると知って、近所でもあるので訪ねました。ちょうど掃除をしていた寺男(?)に尋ねたのですが、彼も分からないとのことで探索の手段が途切れて諦めていました。

そうしたら先日、今治在住の方が私のブログにコメントを頂き、私が掲載していた墓石の一つがそうである、と教えて頂き再度やって来ました。

 

深緑の霊厳寺です。元は、霊厳上人によって「霊岸島」に拓かれた浄土真宗の寺院ですが、明暦の大火で焼失しました。これを機会に、幕府は武家屋敷を広げる為に寺社仏閣の多くを郊外に移転させました。寺社仏閣の移転に供なって門前町の人々も移転しました。こうして江戸の中心地に武家屋敷のスペースを造ったようです。もっとも、この界隈も武家屋敷が多くあって、古地図によると、「松平家」の幾つかもここにありました。

近くには大阪城の内堀を埋めさせて徳川家康の天下取りに貢献した「阿茶の局」の墓もあります。ここ霊厳寺は広大な寺領だったのですが大正11年の関東大震災で壊滅し、復旧時に現在の規模に縮小されましたが、周辺には元霊厳寺の「院」が数院残っています。

 

霊厳寺といえば、「寛政の改革」(現在では「失政」との評価ですが、中学の歴史で習いました)の断行者「松平定信」(8代将軍徳川吉宗の孫)の墓所で有名です。

 

 

その隣の敷地に古い墓地があります。

 

前回訪問時に「殿様墓」だと教えられた墓地です。今治在住の方に教えられた「今治藩主の墓」がこの中央にあります。

 

 

久松家の星梅鉢の家紋があります。

 

2代定時の戒名です。

 

久松家は代々「定」の字を名前に付けています。私が奨学金を貰った当時の県知事は久松定武氏という松山藩主(初代松山藩主と初代今治藩主は兄弟です。久松家は徳川家康の異父弟の家系)の子孫です。久松家は一時松平家の養子となっていました。従って、上述の「松平定信」にあるように「定」の字を引き継いだのかも知れません。

 

2代定時は江戸城の城代家老を務めて江戸で死んでここ霊厳寺に葬られ、以後江戸で死んだ5代以降がここに祀られて、上記関東大震災で寺領を縮小する際にこの2代の墓に合祀されたようです。

 

明治維新まで10代続き、現在もその子孫がこの墓をお守りしているようです。花入れが新しいです。

ちなみに、現当主も「定」が付く名前だそうです。

 

墓石の側面には「豫州今治城主」の文字が読めます。

 

裏側は先ほど訪問した「松平定信」の墓所です。

 

久松家の墓の左右は松平家と徳川の譜代大名の墓です。

 

徳川四天王の「榊原家」と「本多家」の墓があります。

 

 

こうして切れたと思っていた糸が繋がって、今治藩主の墓を訪ねることができました。

 

今治の投稿者の方に感謝致します。

 

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「ラッキー夷」に再会

2019年05月23日 | 散文

 

先日ラッキー夷に出逢った話しをしました。

その後、ラベルが剥がせなかったお詫びに女将さんから銅製鎚目タンブラーを頂いた話しもしました。

女将さんが「ラッキー夷がありました!」と持って来ました。グラスも冷えて美味しそうです。一杯飲むと、普段のビールより美味しいような気がします。

 

改めてラベルを眺めます。腰のビクにも鯛がいます。嬉しいねえ。

あれ(剥がすのに失敗して)から何日になるでしょう?およそ2ヶ月の間、女将さんは毎日毎日、客にビールを出す度にラベルを確認していたのでしょうね。そしてやっと見つけた、そんな貴重品を私に取って置いてくれたのです。更に、女将さんは「再びラベル剥がしに挑戦する」と言ってくれました。

嬉しいねえ・・・

 

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亀島川を往くー5/南高橋を出た後帰るルートを検索する。

2019年05月23日 | 散文

 

「日本橋・神田川クルージング」の全ルートを踏破しました。後は漕破するだけですが、最後に隅田川を横断して艇庫に帰らなければなりません。

そのルートを探る為に隅田川テラスにやって来ました。

 

堤防の向こうに佃島の高層マンション群が大きく見えます。

 

テラス上に出ると、偶然我々が参考にしている「日本橋・神田川クルージング」が走っていました。

 

すぐ上流には「亀島川水門」があります。さっきのクルージングはあそこから出て来たのです。我々もあそこを通過する計画です。

 

テラスに下ります。正面に中央大橋です。

 

左手に亀島川水門です。

 

右手には佃島の景色です。カヤックからこの景色が見られるばかりか、この景色と同化するのです。我々も「景色」になるのです。

 

テンション上がります。

 

 

 

中央大橋を潜って屋形船が登場です!

 

この景色を水上から見られるなら、景色になれるなら、是非ともカヤックツアーを実行したいです。

 

場所を地図で確認します。

水上は右側通行です。現在地からちょっと下った所が1番川幅が狭いです。200m位です。行き交う船舶に気をつける必要がありますが、ここしか横断に適した場所はありません。その後は、中央大橋を潜って佃島沿いに北上し、佃島先端の石川島公園の北側に廻って、最短距離を対岸に突っ切ります。ここも川幅が200m位です。何とか行けそうです。

後は、前回、日本橋川で考えたように、大島川水門に入って内陸運河を巡るか、隅田川を約1Km遡上して小名木川に入るルートです。

 

何だか可能な気がして永代橋を東に渡ります。隅田川を見ます。あの佃島の川幅が狭い場所から左側の水門の右手の岸を目指すのです。行けます!高齢者の練習を強化すれば大丈夫です!

 

永らくお付き合い頂きました。カヤックツアーの探索はこれで終了です。後は、上陸の許可を取るだけです。

 

 

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亀島川を往くー4/南高橋

2019年05月23日 | 散文

 

特徴的な橋に来ました。古くからのトラスト橋です。

 

説明板がありました。

 

橋の北側です。

 

橋を行きます。

 

 

下流側に亀島川水門です。

 

上流側の景色です。高橋と都心方面です。東京が暮れかけています。

 

橋の南側を行きます。

 

亀島川水門です。水門の向こうは隅田川の最下流域です。前出の日本橋川もこの界隈の北を隅田川に注いでいます。改めてこの界隈が「島」であることを認識します。

これで神田川から入って日本橋川及び亀島川を巡りました。けっこう楽しかったですが、高齢者にはこの1周ルートはキツイように思います。神田川往復とか、日本橋川往復とか、ルートの検討が必要ですね。

さて、カヤックで隅田川を東に横断する場所を探す必要があります。でないと帰れません。

 

 

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都電の薔薇が見頃2019年/再び大塚の坂

2019年05月22日 | 散文

 

 今年は薔薇の花が沢山咲いています。薔薇だけでなく他の花も果実も。当たり年でしょうか?

 

 

 

 大塚の上り坂です。

 

都電が行きます。

 

下り坂です。

 

都電が行きます。

 

都電が行き交います。

 

 

 

 

 

 

薔薇と都電は見飽きません。

 

 

 

今が見頃ですよ~。

 

 

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亀島川を往くー3/高橋

2019年05月22日 | 散文

 

下町の路地を通って高橋に来ました。向こうに佃島の高層マンション群が見えます。

 

「たかばし」と読みます。

 

下流に南高橋があって、その向こうに水門が見えて、更に佃島の高層マンション群が見えます。

水門の向こうには隅田川が横たわっていて、その向こうに佃島があります。

 

川の西岸には遊歩道があって、東岸のは船の係留地です。好い風景です。ここ、上陸できないだろうか?

 

確認します。

 

「係留保管施設」とあります。何だろう?

当然施錠されています。

 

これって、月極係留場のようです。一般には解放しないのだろうか?

 

陸地と繋ぐ階段があります。

 

契約者以外が係留するスペースは無いのだろうか?

問い合わせする価値はあります。

 

このように高橋の下です。魅力的です。

 

橋の袂には八丁堀の駅があって、

 

トイレがあります。ここ、散策にも好いですね。

 

次に向かって鉄砲州通りを南下します。

 

 

 

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亀島川を往くー2/亀島橋

2019年05月22日 | 散文

 

街には「霊岸島」の名称があります。

 

 

ちょうど良い所に地図がありました。

なるほど、ここは「島」です。島の南側の日本橋川から南東の角を亀島川に入り北上して、日本橋水門と霊岸橋と新亀島橋を通ってここにやって来た訳です。島の西に隅田川が流れています。

 

ここにもトイレがあります。日本橋川同様、亀島川にも随所にトイレがあります。

 

 

橋の中央から下流側を見ます。

 

川の突き当たりに、佃島の高層マンション群が見えます。

 

橋の袂です。

文字が霞んで誰の句か分かりません。

 

「この地に移住し功績を伝えられる人物」だそうです。

 

その背後には「銀座の柳四世」です。

 

川の西岸には飲食店です。

 

橋の西は八丁堀です。この道は東京駅の八重洲中央口に突き当たります。

 

川の下流へ向かいます。橋の上から見た飲食店の前の路地です。

 

 

 

 

 

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亀島川を往くー1/霊岸橋・新亀島橋

2019年05月22日 | 散文

 

「霊岸橋」

さて、日本橋川と亀島川を繋ぐ日本橋水門に来ました。

 

「日本橋・神田川クルージング」はここを通ります。

 

工事中ですが、カヤックの通過に支障はありません。

 

そのすぐ傍に霊岸橋があります。走る道路は永代通りで、隅田川を越えて江東区に向かいます。後ろは皇居の大手門に突き当たります。道路の下は地下鉄東西線です。

 

橋にはこんなものがありました。地下鉄の「管理区分」です。

 

橋の下流側にはトイレがあります。

 

 

 橋の上から下流方面を見ます。川岸の左右にテラス状の着船できそうな場所があります。右側には梯子がありますが、あれは工事業者か誰かが作業の為に持ち込んだようです。でも、他の場所よりも岸壁が低いので緊急時には上れそうですが・・・ 

向こうには「新亀島橋」が見えます。行ってみます。

 

「新亀島橋」

新亀島橋にやって来ました。

 

ここにもトイレがあります。

 

下流側の袂にはひっそりとこんな石碑がありました。

 

「戦災遭難死者慰霊碑」と「大震火災遭難者追悼碑」です。この大震災は、大正11年の「関東大震災」のことです。この界隈で被災者が多かったのでしょう、戦争・地震の恐さを伝えています。

 

特徴ある欄干です。

 

先程のトイレを見ます。

 

橋の中央から日本橋水門が見えます。

 

橋の欄干には「廻船の荷下し」のレリーフです。

 

下流側には亀島橋です。

 

 

 

新亀島橋でした。

 

 

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鬼子母神の深緑/2019年

2019年05月21日 | 散文

 

季節の回転と自然の成長は思わぬ速さで進みます。鬼子母神の参道がもう深い緑です。

 

 

行きます。

 

深い緑が初夏の陽射しを遮って薄暗くなった参道です。

 

見上げる緑はまだ思わぬ若さです。

 

参道に踏み入れると、若葉の間から日が刺します。

 

 

見上げると、優しい緑です。

 

 

木漏れ日の参道を行きます。

 

 

また見上げます。爽やかな季節です。

 

 

参道が続きますが、

 

 

振り返ってみました。

 

 

今日は引き返しました。ここに来るようになって、初めて途中で引き返します。

 理由は分かりません。

そして、振り向きます。もう一度この景色が見たかったのかも知れません。

 

 

好いです。

 

 

深緑の参道が爽やかです。

 

 

好いです。

 

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日本橋川を往くー19/豊海橋

2019年05月21日 | 散文

 

 

「日本銀行創業の地」碑がありました。

 

こんな高層ビルの下です。

 

白い橋が豊海橋です。美しい橋です。

 

夕日に染まります。

 

 

 

 

橋の袂に説明板がありました。

 

 

 

現在地はここです。

 

日本橋川最後の橋です。やって来た川に夕暮れが近づいています。

 

すぐ脇が隅田川です。

 

けっこう船の往来があります。

 

再度場所を確認します。カヤックの渡船場所の検討です。水上は右側通行です。従って、永代橋下を横断して萬年橋まで800m程隅田川を遡る方法がありますが、川の流れに逆らってしんどそうです。何よりここまで20Km以上漕いだ後です。

一方は、ちょっと下流へ移動して大横川水門に向かって隅田川を横断し、大横川から内陸の水路を廻って艇庫へ帰る方法です。こちらは、隅田川を300m程の横断で済みますが、帰着の行程が長くなります。この2ルートからの選択になります。

 

隅田川に架かる永代橋から豊海橋を眺めます。日本橋川に架かる橋で一番上品で美しい橋だと思います。

 

隅田川です。20数Kmを漕いだ後、ここを横断しないと帰れません。高齢者に可能だろうか?

 

 

後日、上陸施設を探しました。テラスに出ます。

 

こんな説明がありました。

 

救命浮き輪が設置されています!ひょっとしたら・・・

 

永代橋の袂です。

 

覗き込むと、、、あそこに梯子があります。でも、水面からテラスまでは、やっと手が届く距離です。無理です。

 

これを渡るのかあ・・・

 

・・・この後、日本橋水門から亀島川に向かう「日本橋・神田川クルージング」で航行するコースを確認します。

 

 

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日本橋川を往くー18/湊橋

2019年05月21日 | 散文

 

日本橋水門を過ぎてすぐに桟橋があって艀が停泊していました。上陸できるかな?

 

 

 

向こうに湊橋が見える地点です。

 

 

 

立入禁止になっています。見たところ公の施設では無く企業の施設のようです。利用するなら企業に許可を貰わなくてはなりませんね。

 

湊橋の南側です。

 

上陸できれば、ここにトイレがあります。

 

橋から日本橋を見ます。高速道路のカーブの所が亀島川との分岐点です。

 

頭上に高速道路が無くなったら、こんなに開放感があります。水も綺麗に見えます。

 

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日本橋川を往くー17/茅場橋

2019年05月21日 | 散文

 

茅場橋に来ました。

 

 

橋から見る日本橋川は代わり映えしません。

 

この橋の欄干には透かし彫りがありました。人や荷物を載せた船が日本橋川を行く姿です。

 

江戸時代から茅場町から日本橋にかけては一大流通拠点でした。

 

橋の袂には清潔そうなトイレがあります。 

 

ここも上陸施設はありません。

 

日本橋川はこの先で「日本橋水門」を経て、「亀島川」に分岐します。我々が参考にしている「日本橋・神田川クルージング」の船はここで亀島川に向かうのですが、取りあえず、このまま日本橋川を行きます。

 

後ほど亀島川に向かって日本橋川・神田川クルージングのコースを辿ることにします。

 

 

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神田川は葉桜の季節

2019年05月20日 | 散文

 

初夏の風情になりました。

 

 

緑が増えた神田川です。

 

 

葉桜の季節到来です。

 

 

遊歩道も好いです。

 

好きな季節ですが、満開の桜の季節も懐かしい・・・

 

 

 

 

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日本橋川を往くー16/鎧橋

2019年05月20日 | 散文

 

鎧橋にやって来ました。

 

説明板を読みます。「渡し」の話だけでなく、「鎧橋」の謂われが記載されています。登場人物が源義家とか平将門です。

 

鎧の渡し跡に架かる鎧橋です。

 

日本橋川を覗きながら渡ります。

 

対岸から振り返った風景です。

 

横断歩道を下流側に渡ります。

 

こちらにも鎧橋の説明板がありました。

 

説明板と川の間にトイレがありますが、上陸施設がありません。

 

東京は緑の季節です。

 

橋を戻ります。

 

橋を通る道路は「平成通り」です。そのうち東京のどこかに「令和通り」が現れるのでしょうね。

 

橋の袂にお地蔵さんが立っていました。

 

 

女性像も立っています。橋の左右に、色々と読み物・見物がある橋です。

 

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日本橋川を往くー15/兜町にて

2019年05月20日 | 散文

 

江戸橋から兜町に向かっています。

 

日本一の証券街です。休日に人通りはありません。

 

「兜神社」に出逢いました。

 

お参りします。

 

裏が日本橋川で高速道路の下です。

 

門扉のマークは、家紋風にいうと「丸に兜」です。

 

境内に入ります。

 

由来が記されています。

 

 

拝殿に向かいます。

 

頭上がうっとうしいです。

 

「兜岩」があります。

 

頭上がうっとうしいです。

 

境内からの景色です。

 

高速道路の騒音が聞こえますが、静寂の中に居ます。

 

 

退出します。

 

そこは無人の証券街です。

 

ちょっと走って振り返ります。静寂の街です。

鎧橋に向かいます。

 

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