荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

故郷でー2

2015年08月09日 | 散文
更に海岸を走ります。

こんな所にも国分寺の案内板があります。

「椀船の港」の石碑があります。

椀とは漆器の代表的な製品のお椀のことで、ここでいうのは漆器を運ぶ船のことです。
一寸法師が乗った舟ではありません。
この地は漆器の製造販売で栄えた町です。

ここから舟で、主に九州へ行商に出ました。その記念碑です。

ほんの少し海岸寄りに、「衣干岩」なる石碑がありました。

菅原道真公が太宰府に流される途中、この海岸に上がって、濡れた着物を干した岩らしいです。
雑草と灌木で岩が見えませんが・・・。
明治33年に建てられたと記載されていますが、全く知りませんでした。
ここの近くの保育園に通っていたにもかかわらず、です。
前回帰省時の南北朝時代の話といい、ホントに故郷の歴史を知りません・・・。

廃屋がありました。

ここは子供の頃海水浴で賑わっていました。
そのリゾート施設の一部のようです。

ん!?
この景色に見覚えがあります。

入って行きます。

やっぱりそうです。
この水槽を覚えています。


この納涼席を覚えています。


この海岸を覚えています。

でも、飛び込み台がありません。


写真を撮っていたら、浜茶屋の人が出て来たので聴いてみました。
やっぱりそうです。
40数年振りの訪問です。
問わず語りに、先日FC今治の岡田さんがここでBBQをして、海で遊んで帰ったとのこと。
岡田さん、有名人です。

見たところ、浜茶屋の人の親が私の同世代の年格好です。
彼が女将さんである母親を呼んでくれました。仕事中なのに・・・。
この人は彼の妹さんです。

女将さんは、私の老幼友達で神社総代の彼と同級生でした。
当然、1歳違いなので、私の同級生の消息も良く知っていました。

弾む話しの中で、今日(8/1の話です)「宮島さん」がある、と教えて貰いました。
息子さんが作った、孫の舟です。


宮島さんでの再会を約束して、更に走ります。
ほんの少し行った所に、お台場跡の石碑がありました。

東京湾のお台場と同じく、ペリー来航後に造られたものです。
松山藩が造ったとのこと。今治藩ではないんですね。
台場を造ったものの大砲が無かったので、大砲に模して、お寺の鐘を横に設置したとか。
なんだか微笑ましい。

綱敷天満宮です。


敷地内にある、浜茶屋の女将さんに教えて貰った、「割賦販売発祥地」の石碑です。

初めて確認できました。
この他、紀州や伊万里の商人及び廻船問屋連中が奉納した常夜灯など、多くの商売関係者の奉納品があります。
私の記憶ではただの田舎町ですが、随分栄えた町だったようです。

同じく、敷地内にある保育園です。

私はここの卒園生です。

ここが地元のブロガーが紹介していたお寺です。
浜茶屋で場所を教えて貰いました。

ここは蓮の花が綺麗との事ですが、もうシーズンを過ぎていました。

その代わり、と言っては何ですが、この松の枝振りが見事です。

浮世絵に、こんな風に円くなった松が描かれていましたよね。

さて、次回は「宮島さん」の報告をします。






コメント
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