荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

漆器の町を行く。

2024年06月19日 | 散文

桜井は漆器で栄えた町です。往時程の勢いは有りませんが、今でも漆器製造・販売の家が在ります。数年前から売りに出されていた民家です。売れたようですね。今治市はここ数年間、「移住したい町ナンバーワン」らしいです。

酒屋の蔵です。漆器職人が多く居ました。需要があったのだと思います。立派な蔵です。今は廃業しています。

左右の大きな家が、今でも漆器の家です。

「小谷屋」は椀船を所有して、九州や中国・近畿に漆器を販売していました。

「椀船」とは、お椀型の船ではありません。漆器のお椀のことです。お椀を積んで商売していました。

今でも漆器蔵を持っています。

向かい側は同級生の生家です。昼なお暗い大きな家だったのを覚えています。

彼女の弟が家を継いで、今ではその子供の代になって、漆器の製造・販売を商っている様子です。

漆器蔵です。

商売が順調のようです。

振り返ります。

昔と同様、静かな通りです。


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2 コメント

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さすが菊間瓦の故郷・・・ (藤森照幸)
2024-06-20 07:12:03
さすがに屋根は菊間瓦ですね。品格のある黒瓦で、金属のような光沢。奈良や京都の、格の高いお寺の屋根は、菊間瓦で吹かれていました。広島の然り・・・。廣島別院の再建時に、屋根を全て寄付された方が御出ででした。勿論「菊間瓦」と思いきや、銅板葺きでした。付属建物は、菊間瓦です。弟が務めていた会社の社長でした。戦後、広島の焼け跡から、焼けたくぎを拾い集めて再生し、金物屋を始められて、中四国一の会社にされました。今は無い会社ですが、嘗ては大手の電機メーカーの家電の中、四国の総代理店でした。中卒の弟を一流営業マンに育てていただいた方でした。浄土真宗の安芸門徒の鏡と言われた方でした。
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藤森照幸さん (荒川三歩)
2024-06-20 07:23:55
よく分かりましたね。当地はどこも菊間瓦なので、私には違いが分かりません。菊間も平成の大合併で今治市になりました。
さて、良いお話を聞かせて頂きました。そんな会社があったのですね。名前を聞けば私でも知っている会社なのでしょうね。
今は無くなった?残念です。
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