荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

38年ぶりの訪問

2023年12月08日 | 散文

電車を降ります。ホームの風情は変わっていないように思いますが、線路の上に陸橋ができていました。

 

あ、地下道が残っています。当時のようにこちらを使います。

 

地下道を行くと上り線のホームに出ました。当時と同じです。

 

そのまま改札を出ます。

 

左右を見ます。

 

引越した翌年に、役場から住民住所録が郵送されて来ました。私の1ページ前に、阪急ブレーブスの山田投手、福本外野手、パーフェクト投手の今井雄太郎氏の住所が記載されていました。電話番号も載っていました。おおらかな時代でした。彼らのマンションが在ったのはこちらの道路の先です。

 

反対側の道路に、不動産屋が残っています。当時は民営の小さな不動産屋でした。あそこで借りた部屋で新婚生活を始めました。私はこの街に異動して来て、やがて結婚しました。ある意味「里帰り」です。

掲題のとおり、38年ぶりに阪神タイガースが日本一になりました。でも、その年の10月1日付けで関東に異動したので、今年同様、関西地区の熱狂を経験していません。

 

ここは本屋でした。よく立ち読みしていました。この街は文教地区で、映画館もパチンコ屋もありません。独身男の休日は、立ち読みくらいしかすることがありませんでした。

 

駅前の路を行きます。ビルばっかりになってすっかり様子が変わってしまいました。民家が並んでいたように記憶しています。

 

あの角を右折します。

 

あ、全部全部何もかも新しくなっています。この角に3個一の長屋が在って、真中に定食屋が在りました。同じアパートに住んでいた独身数人がその店と契約していました。月幾らの定額で、メニューはお任せです。食事が偏らないよう管理して貰っていました。

独身連中とそこの店主一家とで、スキーや海水浴に行ったりした付き合いでした。

 

斜め前に明石焼きの店が残っていました。初めて明石焼きを食べた店です。まだ若い子持ちの女性が店をやっていました。今日は定休日みたいです。訪問できなくて残念です。隣の酒房は阪神タイガースの東田選手が通っていました。そのまま残っているのが奇跡です。

 

この角は時々行っていたスナックでした。まさか学習塾になっているとは・・・。左折します。

 

歩く川の右手はURの団地でした。すっかり見違えました。

 

橋に来ました。

 

この川に時々ゲロを戻していました。金曜か土曜の夜はあの定食屋で、22時に店が終わってから、呑みなが夜っぴいて麻雀をしていました。マスターがビール好きでビールが無料でしたが、殆どビール代以上負けていました。酒は弱くないけど、ビールばかりの二日酔はキツかったです。アルコール度が低くて酔わないので、ついつい大量に呑んでしまうのでしょうね。

もうすぐ独身時代に暮らしたアパートが在ります。駅からここまでの状況を見ると、まだ在るとは思えませんが・・・。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 約50年ぶりのキャンパスから... | トップ | 旧住居までの道すがら、 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

散文」カテゴリの最新記事