先日の「天声人語」は、花粉症状で始まって街路樹の根本のハコベに至り、タイトルの句を詠んだ俳人石田波郷に触れたものでした。
「1945年3月10日の東京大空襲で義母らを失った波郷は、翌年に上京してこの句を詠んだ。当時住んだ現在の江東区一帯は『目立つ建物も見当たらぬほど広大な焼け野原だった』焼き尽くされた大地にハコベが芽吹き、白い花が咲く春先にスズメがついばむ光景が目に浮かぶ。」
久しぶりに行って見ようと思いました。砂町の小名木川土手に立てられた「石田波郷生誕百年記念碑」です。
「石田波郷は大正二年(1913)松山市に生まれた俳人。戦後の昭和二十一年から十二年間、砂町にある妻あき子の実家で暮らし、「江東歳時記」や「借命」に下町の風情や闘病中の句を詠みました。
「雪敷ける町より高し小名木川」
石碑の傍の新開橋から見る小名木川です。一直線に、日本橋に向います。
東側の景色です。江戸の開発に際して、千葉や茨城から米や野菜や塩を運ぶ為に、徳川家康が造った運河です。
波郷が愛した小名木川は、戦前から戦後復旧にかけて地下水や天然ガスを汲み上げた結果、海抜ゼロメートル地帯となった町より高くなりました。川の両側は長い坂道です。
さて、近くに石碑が有ります。
「繁縷や焦土の色の雀ども 波郷」
天霊山妙久寺です。
隣に説明板が立っています。
現在は、カネセン商事株式会社です。
その隣に狭い路地を挟んで神社が在ります。「志演尊空神社」です。
波郷が親しんだ場所だと想像します。
この話、続きます。