荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

山響部屋の誕生

2016年01月26日 | 散文
昨日、北の湖部屋から山響部屋に継承された旨のニュースがあったので、早速見に行きました。
看板が替っていました。
1月場所の千秋楽を待って、看板替えをしたのですね。

まだ北の湖の四十九日法要が終わってないからでしょうか?玄関先には、こういった場合につきものの、花束等の華やかなものはありません。

管板の字体は、「北の湖部屋」より力強い気がするのは私だけでしょうか?


山響部屋では、大嶽部屋や時津風部屋のように、玄関前に「北の湖」の名を出さないそうです。


今まで玄関に掲げていた「北の湖部屋」の管板を、そのまま稽古部屋の土俵上に掲げるそうです。


北の湖が亡くなった後の1月場所は、部屋の力士の出足が良かったのですが、結局北大樹は前頭15枚目で負け越してしまいました。
北はり磨は十両3枚目で5勝10敗でした。
来場所は幕内が居なくなりそうです。

結局、北の湖は役力士を育てる事ができませんでした。
幕内に上がった力士も、4~5人だったと思います。

山響親方の手腕に期待するしかない。

ただ、この部屋の玄関は南向きにありながら、周囲の建物のせいで、いつも日陰になっているのが気掛りです。
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