少し人出が増えたでしょうか?
東京人が、「他県へ行けないので浅草に来ました」と言うニュース映像がありました。
それでも外国人も他県人も来ない浅草は閑散としています。
特にこの通りの打撃が大きいようです。奥行きが薄くて間口が狭い店舗が並んでいる通りです。
扱う商品のほぼ100%が観光客に依存しています。
これらの店が在っての浅草の風景でした。
ちょっと心配です。
少し人出が増えたでしょうか?
東京人が、「他県へ行けないので浅草に来ました」と言うニュース映像がありました。
それでも外国人も他県人も来ない浅草は閑散としています。
特にこの通りの打撃が大きいようです。奥行きが薄くて間口が狭い店舗が並んでいる通りです。
扱う商品のほぼ100%が観光客に依存しています。
これらの店が在っての浅草の風景でした。
ちょっと心配です。
どうだろう?と思ってやって来ました。例の雑貨屋です。電柱の影が濃いです。
猛暑日の陽射しで景色が白く眩しいです。前回あった店頭の服はありません。サマーセールは成功したのでしょうか? ゴリ子以外店頭に無いのは珍しいです。
やっぱり! ゴリ子の下の絵が変わっていました。
アップです。藤井君だけでなくここの店主も素晴らしいです! 時事にタイムリーだし絵が上手! ヒフミンにそっくりです。
今度は店主に会ってみたいです。タバコは吸わないし・・・、何を売っているのだろう? アイスは売っていないかな?
何か買わないと店主に会えないよね。
夕方とはいえ暑い聖橋に居ます。すぐ近くの神社へ行きます。湯島聖堂ではありません。ニコライ堂でもありますん。橋を越えた左手におわします。
ここです。この木におわします。
最近置いたのでしょうか? 右下の透明のビニールケースに、「太田姫一口稲荷風邪咳封治御守 外袋です。ご自由にお持ち下さい。」と書かれていて、お守りが一つだけ残っています。このコロナ禍です。ありがたく持って行く人がいると思います。
さて、説明板を読みます。「一口太田姫神社 一口である太田姫神社は江戸城外堀(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田山を開削した時江戸城の結界また鬼門護り神として旧江戸城(現皇居)よりこの地に移された
昭和6年(1931)総武線開通に伴い現在の駿河台下に移る間鐡道(「甲武線」中央線の前身)は掘の中にあり開通時天皇家との間に堀幅を減らさない中で商売を営まない環境を守るとの約束がある (明治期鐡道史より) この木は椋の木 落葉高木 花は緑 実は濃紫 」
そして、「太田姫稲荷神社 商売繁昌守護」のお札が括り付けられています。
その上にはしめ縄が張られています。
椋の木というか一口太田姫神社の下は、パラパラと人が立っているJR御茶ノ水駅のホームです。説明版のとおりです。
幾つかの疑問があります。説明板のような謂われがある神社なら、木に括り付けたりしないで、相応の祠を建てて祀るべきではないのか? ビニールケースに入って括り付けられているお札の説明は「風邪咳封じ」とのことであるが、説明板の謂われにはそんな記述はないけど効能はあるのか? 説明板には「天皇家との間で商売を営まない約束をした」とあるのに、括り付けられているお札には「商売繁昌」と書かれているが、はたして御利益があるのか? 最後に、そんなに由緒ある神社なら、先ずは立派な説明板を立てたらどうだろうか?
こんな散策でした。