10月11日、火曜日。
午前7時48分。
晴れ。
今日は、雲ひとつない空
窓辺でボケーとしていると、
顔に腕に日の光が当たってあたたかいです。
雨の日が続いて
やっと晴れたと思ったら、案の定
すっかり秋らしい感じになっています。
部屋で扇風機をつけることは、ほんの時々になりました。
朝方は、寒く感じることもあったりして。(半袖だからかな?)
10月になって毎週のように
あちこちで秋祭りが催されているようです。
車を運転していると
屋台の曳き回しに遭遇するのですけど
屋台が観られて嬉しいけど
お祭り気分になれて嬉しいけど
ありがたいなと思うのですけど…
車の走行を止められてしまうので目的地に遅刻しないように
10月は毎週、緊張感があります…。(>_<)
あぁ、そういえば
山の中の町も
秋祭りの時期かもしれないね、もう終わってしまったかな?
山の中の町のお祭りは屋台が優美で
風情があって
父が行きたがったので家族でお祭りを観に何度か、
行ったことがあります。
春のお祭りも行ったことがあるけど
秋の方によく行ったような記憶が…やっぱり連休だったからかな?
父はとにかく
あの町が好きだったしお祭りも好きでしたから。^^
今思えば
父が行きたくなるような好きな町に
叔母家族が住んでいて良かったね
と、本当に思います。
叔母の家に泊まるから
何泊もリラックスして楽しめるし
時間制限なく町並みも風景も堪能できて
叔母家族には感謝しなくては…です。m(_ _*)m
なんというか、人生は分からないものですね。
叔母家族が山の町を選んで住んでいなかったら
父や我ら家族は
あの夏休みの風景、春や秋のお祭りを
知らずにいたのだから。
他の町でも
もしかしたら、素晴らしい風景で
幾つかの思い出ができていたかもしれないけれど
日本に、数多にある町の中でのあの風景を
思い出として僕らに与えられたのは
こういうのを“縁”と
いうのかな。
人と人の間にも縁はあるけど
風景とも縁があるような気がします。
何日間か、寝泊まりし
朝日が昇るところや沈むところを観て
咲いている花を愛でて
町の匂いをかいで
住む人々の言葉を聴いて
食べる物をご馳走になって
いとこと外で日が暮れるまで遊んで
晩ごはんに家に帰っていく
滞在した後はしばらく
言葉も、方言が混じっていたし
僕の中の数%は
あの町の要素で出来ているのかもしれないな
…なんて思ってしまったりして。(なんていうと迷惑かな?)
いつも、後から気付くもので
今思えばあの数々の思い出は
父にとって
僕にとって
家族にとって
ありがたい、たいせつな思い出だったなと感じます。
ありがたい縁でした。
“でした”なんて書いてしまうと
縁がなくなってしまったようだけど
叔母夫妻はいるし
また行くこともあるかもしれないから
縁はまだあると
何色の糸かは分からないけど
縁の糸は繋がっていると思いたい、という願いをこっそり持ちつつ
色んな縁に感謝です。
日本中、世界中の人に
それぞれに色んな縁の糸があるのだろうね。
風景も人も出会う数は
人生、そんなに多くないもの
その縁を
たいせつにして
みんな、幸せになっていってほしいな…と、思います。
今日は、秋の空が光っています。
カーテンがより白いです。
良い日を!
*
午前7時48分。
晴れ。
今日は、雲ひとつない空
窓辺でボケーとしていると、
顔に腕に日の光が当たってあたたかいです。
雨の日が続いて
やっと晴れたと思ったら、案の定
すっかり秋らしい感じになっています。
部屋で扇風機をつけることは、ほんの時々になりました。
朝方は、寒く感じることもあったりして。(半袖だからかな?)
10月になって毎週のように
あちこちで秋祭りが催されているようです。
車を運転していると
屋台の曳き回しに遭遇するのですけど
屋台が観られて嬉しいけど
お祭り気分になれて嬉しいけど
ありがたいなと思うのですけど…
車の走行を止められてしまうので目的地に遅刻しないように
10月は毎週、緊張感があります…。(>_<)
あぁ、そういえば
山の中の町も
秋祭りの時期かもしれないね、もう終わってしまったかな?
山の中の町のお祭りは屋台が優美で
風情があって
父が行きたがったので家族でお祭りを観に何度か、
行ったことがあります。
春のお祭りも行ったことがあるけど
秋の方によく行ったような記憶が…やっぱり連休だったからかな?
父はとにかく
あの町が好きだったしお祭りも好きでしたから。^^
今思えば
父が行きたくなるような好きな町に
叔母家族が住んでいて良かったね
と、本当に思います。
叔母の家に泊まるから
何泊もリラックスして楽しめるし
時間制限なく町並みも風景も堪能できて
叔母家族には感謝しなくては…です。m(_ _*)m
なんというか、人生は分からないものですね。
叔母家族が山の町を選んで住んでいなかったら
父や我ら家族は
あの夏休みの風景、春や秋のお祭りを
知らずにいたのだから。
他の町でも
もしかしたら、素晴らしい風景で
幾つかの思い出ができていたかもしれないけれど
日本に、数多にある町の中でのあの風景を
思い出として僕らに与えられたのは
こういうのを“縁”と
いうのかな。
人と人の間にも縁はあるけど
風景とも縁があるような気がします。
何日間か、寝泊まりし
朝日が昇るところや沈むところを観て
咲いている花を愛でて
町の匂いをかいで
住む人々の言葉を聴いて
食べる物をご馳走になって
いとこと外で日が暮れるまで遊んで
晩ごはんに家に帰っていく
滞在した後はしばらく
言葉も、方言が混じっていたし
僕の中の数%は
あの町の要素で出来ているのかもしれないな
…なんて思ってしまったりして。(なんていうと迷惑かな?)
いつも、後から気付くもので
今思えばあの数々の思い出は
父にとって
僕にとって
家族にとって
ありがたい、たいせつな思い出だったなと感じます。
ありがたい縁でした。
“でした”なんて書いてしまうと
縁がなくなってしまったようだけど
叔母夫妻はいるし
また行くこともあるかもしれないから
縁はまだあると
何色の糸かは分からないけど
縁の糸は繋がっていると思いたい、という願いをこっそり持ちつつ
色んな縁に感謝です。
日本中、世界中の人に
それぞれに色んな縁の糸があるのだろうね。
風景も人も出会う数は
人生、そんなに多くないもの
その縁を
たいせつにして
みんな、幸せになっていってほしいな…と、思います。
今日は、秋の空が光っています。
カーテンがより白いです。
良い日を!
*