1月17日、金曜日。
20時57分。
雨。
雨の音はかすかに聞こえるのに
手を差し出しても、手のひらに雨粒の感触は感じず
…あれ?あらら?…となる雨の夜です。
いい歳をして
あれ?あらら?もないよなぁと我ながら思って
頭の中身、成長なしだなと思うところだけれども
お風呂洗いを冷たい水でやっていたから
手がかじかんで感覚が麻痺してしまっていたのでしょうか?
そういうことにしておこう。
お見事なまでに人生の中年期なので
そろそろ真の大人になってほしいものだと自分自身に希求するのだけど
頭の中身の成長なしを自覚した時というのは
情けなく感じるものですねぇ。
中学1年生くらいから成長なしかもです。(^_^;)
今日は、1月17日
阪神大震災から25年
というニュースが流れています。
新聞の一面は祈りがいっぱいです。
25年。もうそんなに?…と
今日もまた、月日の速さに
あっという間の月日に驚くと共に
当時を思い出したり
鎮魂の思いを思い出したり
今は、今も、鎮魂の思いになったり
ふと、“生”という文字を見て
生きるということに思いを馳せて
亡くなった人の気持ち
残された人の気持ち
これから生まれてくる命
魂、命、思い
自然に手を合わせたくなります。
alive
生きる
いきる
いききる
うん、生きるという言葉には
沢山の有機的な世界が満ちているような。
毎年書いているかもだけど…
25年前の早朝、地震で揺れて
震度2ぐらいに感じた地震だったけれど目が覚めて
覚めてパッと思ったのが
“遠くに地震がいった”
でした。
とにかく“遠く”という言葉が印象的で
地震でそう思ったのは初めてで
まさかの気のせいだと思ったけれど
起きたら、テレビでは凄まじい
信じられない映像で
東日本の震災の時もそうなのだけれど
茫然自失でした。
あれももう25年前かと
思い出した後
令和2年、2020年である今この時に立ち返ります。
がんばらないとなぁ。
頑張れるか、正直いうと自信はないのだけど
がんばらないとなぁ。
悔しいこと、哀しいことがあるかもしれない
けども
嬉しいこと、楽しいこと、あたたまることがあるかもしれない
でも、“頑張る”という言葉にがんじがらめになるのも
ちょっとなとも思うけれど
その時、その時、より良い選択で
もしも間違ってしまったとしても
頑張れたらなぁ。
そうやって生きて、亡くなった家族などの魂が
おぅ、頑張ってるようだな、そりゃ安心安心!
…と思って
あっちの世界で光のように安らかに暮らしてくれてたら良いな。
つい最近
父のバッグがヒョイと出てきたらしく
バッグのポケット?の中には
小銭とテレホンカード、図書館カード、ガソリンスタンドカードなどなど
出てきたらしく
僕が労働から帰ってテーブルをふと見ると
それらが何気なく置かれてあって
何だか、父の生きていた名残がホヤホヤの状態でそこにあるようで
哀しみはとっくに乗り越えていたのに
涙がド〜ッと溢れまして
あぁ、父は僕の中に生きてるなぁと
きっと、姉達の中にも
もちろん、母の中にも
姉達ファミリーの中にも
生きているなぁと思いました。
多分、哀しい涙ではないのです。
多分、“大好き”の涙なのです。
亡き人に手を合わせる時
涙がもしも出た時は
“僕ら、生きていくよ、大好きだよ”
のしるしだと、思ったのでした。
全ての魂にご冥福をお祈りします。
寒さに気を付けて
毎日ファイトで
お休みなさい。
*
20時57分。
雨。
雨の音はかすかに聞こえるのに
手を差し出しても、手のひらに雨粒の感触は感じず
…あれ?あらら?…となる雨の夜です。
いい歳をして
あれ?あらら?もないよなぁと我ながら思って
頭の中身、成長なしだなと思うところだけれども
お風呂洗いを冷たい水でやっていたから
手がかじかんで感覚が麻痺してしまっていたのでしょうか?
そういうことにしておこう。
お見事なまでに人生の中年期なので
そろそろ真の大人になってほしいものだと自分自身に希求するのだけど
頭の中身の成長なしを自覚した時というのは
情けなく感じるものですねぇ。
中学1年生くらいから成長なしかもです。(^_^;)
今日は、1月17日
阪神大震災から25年
というニュースが流れています。
新聞の一面は祈りがいっぱいです。
25年。もうそんなに?…と
今日もまた、月日の速さに
あっという間の月日に驚くと共に
当時を思い出したり
鎮魂の思いを思い出したり
今は、今も、鎮魂の思いになったり
ふと、“生”という文字を見て
生きるということに思いを馳せて
亡くなった人の気持ち
残された人の気持ち
これから生まれてくる命
魂、命、思い
自然に手を合わせたくなります。
alive
生きる
いきる
いききる
うん、生きるという言葉には
沢山の有機的な世界が満ちているような。
毎年書いているかもだけど…
25年前の早朝、地震で揺れて
震度2ぐらいに感じた地震だったけれど目が覚めて
覚めてパッと思ったのが
“遠くに地震がいった”
でした。
とにかく“遠く”という言葉が印象的で
地震でそう思ったのは初めてで
まさかの気のせいだと思ったけれど
起きたら、テレビでは凄まじい
信じられない映像で
東日本の震災の時もそうなのだけれど
茫然自失でした。
あれももう25年前かと
思い出した後
令和2年、2020年である今この時に立ち返ります。
がんばらないとなぁ。
頑張れるか、正直いうと自信はないのだけど
がんばらないとなぁ。
悔しいこと、哀しいことがあるかもしれない
けども
嬉しいこと、楽しいこと、あたたまることがあるかもしれない
でも、“頑張る”という言葉にがんじがらめになるのも
ちょっとなとも思うけれど
その時、その時、より良い選択で
もしも間違ってしまったとしても
頑張れたらなぁ。
そうやって生きて、亡くなった家族などの魂が
おぅ、頑張ってるようだな、そりゃ安心安心!
…と思って
あっちの世界で光のように安らかに暮らしてくれてたら良いな。
つい最近
父のバッグがヒョイと出てきたらしく
バッグのポケット?の中には
小銭とテレホンカード、図書館カード、ガソリンスタンドカードなどなど
出てきたらしく
僕が労働から帰ってテーブルをふと見ると
それらが何気なく置かれてあって
何だか、父の生きていた名残がホヤホヤの状態でそこにあるようで
哀しみはとっくに乗り越えていたのに
涙がド〜ッと溢れまして
あぁ、父は僕の中に生きてるなぁと
きっと、姉達の中にも
もちろん、母の中にも
姉達ファミリーの中にも
生きているなぁと思いました。
多分、哀しい涙ではないのです。
多分、“大好き”の涙なのです。
亡き人に手を合わせる時
涙がもしも出た時は
“僕ら、生きていくよ、大好きだよ”
のしるしだと、思ったのでした。
全ての魂にご冥福をお祈りします。
寒さに気を付けて
毎日ファイトで
お休みなさい。
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