ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

高大関連各団体の文化祭準備&西隣区K小学校木曜ダンス教室H29年2月④

2017-02-23 23:07:49 | 日記

 今日は朝から雨が降っているので昼前頃に出かけなければならないこともあって止んでくれと願ったものである。

 実は今日はタイトルにあるように高大関係の各団体が一堂に会して文化祭を開くことになっており、福祉IT部会からも出展することになっているのでその準備に入る予定になっている。

 会場に行くのは福祉IT部会の部会長であるE氏と私の二人だが、文化祭の本番は明日と明後日の2日間に亘って行なわれることになっている。この文化祭は毎年行われているが、準備の打合せは12時30分からということでそれに関しては部会長がその段取りを聞きに行くことになっている。そこでは集合が12時30分と言うことになっているので私は若干遅く来てもいいということであった。

 とはいうものの予め電車の時刻表と照らしてみたが、少し余裕を持ってすこし早目に行くことにした。

 11時15分頃に自宅を出て地下鉄駅へと向かう前に近くの牛めし屋で早目の昼食をとることにして11時30分になる前に食べ終えて余裕を持って地下鉄駅入口に到着したが、地下に降りていく途中で何やらアナウンスの声がしている。

 改札口の前までやって来たら同じアナウンスが聞こえてきたところによると先程この路線の繁華街がある地域の駅で人身事故がありこの路線のすべてで運休しているということであった。

 改札口の駅員に聞いたところによると復旧の見込み時刻その他は分からないということだった。

 人身事故と言うことになると直ぐに開通するということはないだろうということで他の路線で行くしかないが、最も早くて費用が嵩まないということで高齢者優待券が利用できる市営バスで別路線の地下鉄駅から別路線に乗り継いで民鉄路線へと行く方法がすぐに浮かび上がりとにかくこの駅から地上に上がり東方面に行くバス停へ行ってみることにした。

 いつもの様に階段の2段上がりで地上に上がり、バス停へ行くと停留所にバスがやって来たのでバス停まで走って行く。バスに飛び乗って席に着いたら何のことはない「出発時刻までしばらくお待ちください」との運転手のアナウンスが流れる。

 2,3分停車したままだったがやがて運行して目指す別路線の駅前のバス停で降りてすぐさま地下鉄駅へと降りていく。そしてその路線電車に乗り、民鉄と相互乗り入れをしている路線との乗り継ぎ駅で乗り換え目指す会場に到着したのは13時を少し過ぎたところであった。

 中に入ると直ぐに部会長から声を掛けられて人身事故に遭って別路線で来たことを告げて準備作業に加わる。福祉IT部会は1階入り口から少し入り込んだところであるが、長机と椅子を搬入するために倉庫へ一緒に行く。

 長机を4脚倉庫から出し、さらに椅子も10脚、後から運んで行ったが、長机は縦に4台1直線に並べて椅子はそこの内側に並べていく。そして後は白いシーツを縦4脚分の長さの物を担当者から受け取り、長机を覆って端を留めていく。

 それらの作業を終えたところで明日と明後日は商品を売る担当者がそれぞれの業者から依頼されたところや、自分たちが販売するのがある。

 今日の私達の仕事は終えたので後は明日の人達にお任せである。

 部会長と別れて帰りは北方面のスーパーに寄って帰ることにした。

 バス停に乗っていつものバス停横にあるスーパーに入る。そして両手に買物袋を提げて自宅へと戻ってきた。しばし自宅でくつろいだ後、ダンス教室へ向かうべくバス停に降り立ち、買物袋を両手に提げて自宅に戻ってきた。


高大、ビデオ編集②&今期最後のCD会議とその後の懇親会

2017-02-22 23:41:43 | 日記

 いよいよ今日は高大での最後の授業と言うことになる。

 と言うのもあと2回、教室を利用するが、最後の日に学習発表会が行なわれるので来週はその準備の為に仕上げを行なうことになるだけで先生も個別に対応することになるから実質は今日が最後の授業と言うことになる訳である。

 先週に引き続いて今日のとっかかりはビデオ編集の続きを行なうことになっているが、前回は映像やトラジション(映像と映像の切り替え時に入れる)や効果を学習したが今日はバックグラウンドミュージック(BGM)の挿入と最後に発表会に向けての疑問点や上手くいかなかった場合の手助けなどであった。

 最後の宿題としては今まで授業用の仮の店舗開設に向けて学習してきてサイトにアップロードしているが今度は発表会用に自分で作ったHPをアップロード出来る様にその準備・点検を自宅でしてくることということで実質最後の授業は終わった。

 昼食を挟んで午後からクラスミーティングでは修学旅行と学習発表会後に行なわれる謝恩会に関しての経過報告がなされた。

 そして私の方から修了式についての説明をした後は午前中の授業の復習と発表会に向けて各自が作成を行なうことになったが、同じ班の人達で各テーブルに集まり色々と話合っている。

 2時半を過ぎてからボチボチPCをロッカーに収納する人が増え始めたが、うち一人の男性が写真ファイル名をすべて日本語にしてしまったということでその修正に3時15分前までPCの前に座っていたが、他の人達はすべて収納し終えて、その人だけになったので途中で諦めてロッカーに収納することになった。

 私達CDは3時15分から始まる曜日CD会議に出席するのですべてロッカーに収納し、エアコンやスイッチなどもOFFになっていることを確認して教室のドアのカギを掛け、CD会議が行なわれる教室に向かう。

 予定通りの時刻になる少し前に曜日部長のTさんが何やらて―ブルに座っている人の前に可愛らしいピンク色の包みを配りながら今日が曜日最後のCD会議で来年度は曜日がガラガラポンですべての曜日部長が違う曜日を担当することになったので水曜日とは今日が最後なので今までお世話になった皆さんに挨拶代わりに配っていた。

 隣に座った当クラスのCDのTさんがその包みを開いたら小さなチョコレートがいくつも入っていて、私にも食べるように言うのでいくつか貰って食べる。

 時刻が来て水曜日最後のCD会議が行なわれ、連絡事項の後、この1年間を通してああしたらいい、こうしたらいいという気が付いたことがあれば順番に述べて欲しいということでいろんな意見が出た。

 1時間40分程の会議も終わり、この後水曜日CDが揃って街に繰り出し中堅どころの居酒屋に出向き懇親会が始まったが、席を決めるカードを引いて同じ番号札が置いてあるところに座る。

 私は真ん中の席の一番奥の端で隣は昨年当クラスの受講生だったKさんが座ったが、余り親しく話したことがなかったが、イヤでも向かいの人達や隣同士でしゃべる形になり隣のKさんとも少しづつ話すようになった

 アルコールが入ると自然に向かいの人とも話すようになり色んな話に花が咲くものである。宴もたけなわとなった頃にはお開きということになり、近くの地下鉄駅から自宅最寄りの駅に乗り自宅へと戻って来た。


西隣区S小学校火曜ダンス教室H29年2月③

2017-02-21 23:59:13 | 日記

 今日はこの天気が下り坂にならないうちに洗濯をしておこうと早速作業に取り掛かることにした。

 気温の方は結構冷たいし、風も吹いていてまだまだ冬らしい情景である。

 洗濯している間にそれまで晴れ間だったものが曇って来たが、何とか持ってくれたものの風は結構強く吹いていたので洗濯物もすぐ乾くことはないだろうが夕方までには乾いてくれるだろう。

 午前中はいつもと同様にメールとカレンダーをチェックした後はMSNニュースやYouTubeを見ることになった。

 午後3時ごろに久しぶりに散髪屋さんにいくことにしたが、正月前に行ったきりだから結構髪も長く伸びて、こう寒いとなかなかズバッと切るのも億劫になるものである。

 散髪屋に行く前にNHKの受信解約の手続きをする用紙がやっと昨日届いたので書類に書いておいたが印肉を長く利用してなかったこともあって完全に乾いてしまったので郵便局で印を押し、糊を付けて投函する。

 これでNHKともおさらばであるが、中韓に汚染された局の番組を見たいとも思わないから金を払う必要もなくなったということである。

 散髪も近くに割安の理髪店があり、シルバーは300円安くなって1400円になるし、洗髪は同じく300円かかるがこれも、銭湯に行けばいいので出来るだけ金を使わないことを年金生活者は考えることになる。

 久しぶりに長い髪を切った関係で首筋あたりがスースーするが、気温が低いだけに余計寒さを感じる。

 自宅に戻ってすぐに南方面のスーパーへ行くことにした。

 スーパーも北方面のスーパーに行くことが圧倒的に多いので南方面のスーパーへ行くのも久しぶりという感じであるが、発泡酒と牛乳以外は特に購入予定はなかったがそれでも割安なものを買うことになる。

 自宅に戻って来たら5時近くになっていて、その後は、しばしくつろいでいたが、夕方になって火曜ダンス教室に行く為の準備をする。

 バス停に行く間も、バス停に待っている間も結構気温は低くなっている。

 いつもの時刻ぐらいにバスがやって来てS小学校の最寄りのバス停で降りて小学校の多目的室の会場に入ると何組かのペアが練習している真っ最中であった。

 もちろん3月の第1日曜日の生涯学習の発表会に向けてのレッスンである。

 やがて先生もやって来て時間になったのでレッスンのスタートである。

 一つの小学校からは2種目ですことになっているが、火曜ダンス教室ではマンボとジルバで昨年同様の種目である。

 というのもこの火曜ダンス教室はあくまで入門コースなので初心者でもとっつき易いように選んであるし、その踊りを見た人達が楽しそうだと思って私もダンスを始めたいなと思わせるものをと言うことで毎年この種目を出展する訳である。

 前半はジルバを行ない、後半はマンボを練習したがマンボの方は上手く揃って良い状態になったので後半途中からジルバとマンボを通して練習することになった。


西隣区K小学校月曜ダンス教室H29年2月③

2017-02-20 23:53:33 | 日記

 今朝早い時間帯は明るかったものの次第に曇って来てそのうち雨が降り出した。

 雨が降る少し前までは生温かい気温だったからそのうち雨が降って来るだろうなと思っていた通りになった。

 ということで雨は降るし、特に予定はないしということで今日も自宅に籠ることになったので昨日に続いてカラオケについての逸話を書いてみたい。

 前回は自分が住んでいる街に初めてスナックに行った時のことを書いたが、ひょんなことから若いママがやっている店に行くことになって入ったが最初は客も若い人ばかりだったので40半ばの男が行くには場違いかなと思っていた。

 その内年配の客も入って来たのでそうでもないんだと思いちょくちょく通っているうちに昔の古い演歌ばかり歌っていては盛り上がらないということもあって、若い人たちが歌う曲も何度か聴いているうちに自然と覚えてしまうようになったのである。

 そんなことを繰り返しているうちに、若いママやママの高校の同級生だった女の子も「ワーすごい」ということになって益々頭に乗ってしまったと言うことになってドンドン覚える様になっていった訳である。

 そんな頃会社が吸収合併に会って先行きが見通せないこともあって退社し、今の市の隣県の市に転職し、そこでは独り身の気楽さからそこに勤めている人たちとも仲良くなってスナックで歌うこともちょくちょくあった訳である。

 しかしその会社では営業の仕事ということで勤務していたが、ある営業所の所長が不正なことがあったようで会社を辞めさせられた。

 その頃はまだ会社の内情を知らなかったのだが、どうやら私が採用されたのはその営業所の後釜に据えるためだったようである。

 そんなこととは分からなかったし、給料はそこそこ良かったから就職した訳だが、結局はその営業所を立て直す意図があったもののアルバイトをしていた人たちもその所長が辞めたこともあって自分たちにも火の粉がふってくる関係上殆んど辞めてしまって私ともう一人の社員の二人だけになってしまったのである。

 すると一から十まで自分たちが全てやらなければならないことになる訳で、私にしてみれば全然最初の話と違うから一年のうち忙しい時期だったのでその月だけは何とか頑張ったが寝る時間も殆んどない状態に追い込まれて身体が着いて行けなくなり変調をきたすようになり、これでは何のために就職したのか分からないということで1か月後に退職したいと申し入れたが、給料が不満なのかと言われたがそうではないことを説明してやっと退職する了解を得た訳である。

 退職はしたもののいつまでもじっとしている訳にはいかないが、たまたま別の業界の営業募集があったので応募したのである。

 その仕事とは各地を歩いて商品を売り込む訳だがそこそこ高額な商品を紹介して、良ければ購入して貰う形の営業である。

 商品は一級品だから買って貰える時はいくつか売れるが、ダメな時もあるからコンスタントに売れ行きが安定する訳じゃないけれど色んな人との触れ合いがあって仕事そのものは非常に楽しいものであった。

 もちろん各地を巡るので休日にはその土地その土地のカラオケ喫茶で歌うのが楽しみであった。

 そんな中で当市に戻って何年か営業した訳だけど、一度自宅近くのスナックに入って見たが、ビール1本だけでカラオケを2曲歌っただけで3000円も取られたので当地でスナックに行くのは金輪際やめとこうという気持ちになった訳である。

 元々アルコールが好きな訳じゃないのでどうでも良かったがたまたま自宅近くを買物などで歩いている時にカラオケ喫茶なるものがあることに気が付いたのである。

 その時までカラオケ喫茶と言われてもイメージできなかったが、一度試しに入ってみようと思い意を決して店に入るとソフトドリンク付きでスナックが付いて500円で一曲100円で歌うということが分かり、試しにポップスを歌ったが、殆んどの人の曲は演歌だったので私は異色な存在だということが分かった。

 それでも一切構わず演歌を歌うことをしないでいたが中にはポップスを目の敵にする人がいたがお構いなしにポップスで通してきた。

 そのうち他の店にもちょくちょく行くようになり自分に合った店を選ぶようになった頃、ある店でこんな店があるという情報を貰って行った中で昼と夜を通してやっている店を紹介された。

 その店の料金は良心的な金額だったのでたまに通うようになったが、そんなある日その店のママの息子が手伝いに来ていた時私がたまたま浜田省吾の「もう一つの土曜日」を歌い終えて自分の席に戻って来た時、その息子から私のような年配の者がちゃんと歌ったことに感動したとかで他にどんな曲を歌うかと訊かれて「浜省の曲はこれしか知らない」と言うと使わないテープがあると言うことで私にくれたのである。

 それらの曲をカセットテープで聴いて浜省の曲を聴いてみたが結構いい曲があるのでテープの曲全部覚えてしまった訳である。

 その内、その店でも知り合いの客が出来て南隣の市に1曲100円の時代に50円の店があるという情報を聞いてその店に行くことにした。

 その店にちょくちょく通っている時、たまたまそのままの姉の娘がママの代わりに手伝いに来ていて私が浜省ばかりを歌っているので「この歌手の曲はいい曲が多い」と教えてくれたのが鈴木雅之である。

 そこで中古のCDショップに行って鈴木雅之のCDアルバムを購入して聴いてみるとなるほどなかなかいい曲が多いということでこれ以外のCDアルバムも購入して聴くようになりこの歌手の曲もドンドン覚えていった。

 カラオケの話は未だ続くが今日はこのぐらいにして次回にしたいと思うが、日記のタイトルには月曜ダンス教室とあるので夕方に飛ぶ。

 今日は月曜ダンス教室だが、普段はラテンとスタンダードのダンスを前半後半に分けて各々のダンスのレッスンしているが生涯学習の発表会が来月第一日曜日に行なわれるということで練習日も今日と来週2回しかないということで今日は発表種目のルンバを通しで練習する。

 練習の度に少しづつ良くなって来たと言う先生の評でますます磨きをかけることになるが、最初の頃のレッスンとは見違えるほど良くなってきたようだ。


天気は一転して良い日和となる

2017-02-19 23:18:56 | 日記

 昨日までの雨交じりのうっとうしさがなくなって今日はいい天気である。

 日中の天気は風もなくていいんだが気温は低い状態となっている。

 今日も特に予定はないので自宅にずっと籠っていたことになる。

 こんな時はいつもの様にメールとカレンダーをチェックしてからゲームにしばし興じた後、MSNニュースやYouTubeを見ることになる。

 今日はYouTubeで見たことに関してではなく私がカラオケを始めたきっかけを少し前に記述したが字数も増えた関係で途中で辞めて、その後についてはまた述べると言うことになっていたので続きを書いてみたい。

 とはいうものの最初の方も少し書かないと全く初めての人もいるかも知れないし、前に読んだことがあっても何が書いてあったか覚えていない人も多いだろうから振り返りたい。

 私が日本海側の町の出身であることは折に触れて述べているが、人口が10万にも満たない町だが、日本海側にある街としてはそこそこ人口がある方である。

 地元の販売関係の会社に勤めている時にその町から車で1時間弱かかる町の営業所に転勤になり、そこまで毎日車で通っていた時に同系列のいくつかの別会社の営業所長とその協力店の店主が懇親会と技術協力を兼ねて毎月一回会合の後終わった後に懇親会なるものがあった。

 何度か同じ顔触れが揃うので親しくなり、その中の別会社の営業所長A氏がカラオケが大好きで私ともう1人別の営業所長のB氏の3人でその地元のスナックへ行って歌って来た訳である。

 30年程前のことだから今のような有線ではなく、8トラのカセットをガチャンと入れて映像もなく歌詞帳をめくりながら知っている曲を選んで、その歌詞を歌った訳である。

 今の様に画像に歌詞が出て順番に歌う場所を示す文字の色が変わって教えてくれるわけじゃないので歌い出しまでのイントロを聴いてリズムに合わせなければならないから結構歌い出しのところが難しかったものである。

 それでも何度かやっているうちに慣れたが、それがカラオケのとっかかりだった訳である。

 その営業所長たちとカラオケに行ったのはその時だけで、又その内に行こうと言ったものの私がしばらくして別の市へ転勤になったのでそれっきりとなった。

 新しい任地に勤務してたまたま同じ会社に私が住んでいる町から来ている同僚がいたので一度一緒に飲みに行きましょうとなって同僚が知っている店に入る時に隣の店の客が出て来て客を送り出すその店の女性が「いらっしゃいませ」と言って私達をその店に入れようとしたが、「今日はこちらに来たので、又今度…」と言って隣の店に入った訳である。

 私は今までこういった夜に出歩いたことはなかったので地元の町の居酒屋はモチロン、スナックなどにも入ったことはなかったのだが、その時には離婚したばかりと言うこともあって今まで知らなかった世界を覗いてみたいという気持ちもあって同僚と一緒に来たのである。

 その日はその店で楽しく同僚と過ごした訳だが、たまたま入る時に隣の店の女性が客を送り出した時に「また今度…」と言っていた店へ別の日に今度は一人で入って見た。

 一人でこういった店に入るのは全く初めてだったが、隣の店には先に入っているので大体のことは分かったのでびっくりするようなことはないだろうと思って入った訳である。

 その店カウンター席が殆んどでいつだけ普通の席があったが、そこには誰も座っていないこじんまりとした店であったが、若い女性が2人と奥に年輩の女性がいるということを後で聞いた。

 年配の女性は裏方で表に出てくることは殆んどなかったが賄い方であるが、若い2人の女性の片方がこの店のママさんだということでもう1人の女性は高校の時のクラスメートで25歳だということでこの店を始めてまだ3か月ということである。

 ママはそれ迄に3年程違う店で働いていたということで未だ素人っぽさが滲み出ている感じである。

 その店の客層はママたちが若いということもあって同じ年代の若い人が多く私のような40男が来る場所ではないなと入った当初は思っていたが、時間が経って私と同年代やそれ以上の客も来たので若い人ばかりでもないんだということが解ったが歌っている曲がもちろん若者の曲なので私が知っている昔の歌謡曲だけではダメだなと言う気になって来たが、店の料金も良心的な金額だったので1週間に1度くらい通うようになって来た。

 その当時若い女性客が歌っている曲で「セシル」という曲が流行っているとかで何回か聴くうちにこの曲は歌えそうだということでママの同級生の女性が歌が上手なのでリードして貰いながら歌うことが出来た。

 その内若い人たちが歌う色んな曲をドンドン覚えることが出来て自分でもビックリしたぐらいだが、高校の時は音楽を専攻せずに美術の方だっただけに逆に専攻しておけばよかったかなと思うほど外だった。

 私が現在演歌じゃなくてポップス曲ばかり歌うようになったのは若い人たちが歌う曲をこの店に来てから覚えるようになったのがキッカケで、これ以後ドンドンと覚えていったのだが、今歌っている歌手の曲とこの当時の歌手の曲は殆んど違っているが、それは今後の展開が変っていくことによるものである。

 今日はこれくらいにしておきましょう。