心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー2208  自我に目覚めさせないエンリルの策略

2024-04-20 21:00:06 | Weblog
ナンバー2208 2024.04.20  自我に目覚めさせないエンリルの策略
人はなぜ生きるのか? 人生の目的は何か? 本当の自分や真実や真理を知りたい、と思う人は多いでしょう。
真実は秘密の教えとして隠されていて、哲学や思想、宗教などの学問を追及しても、真の答えをなかなか得ることができないのが現状です。
スピリチュアルなことを追及している人は、過去から現在まで多くいますが、真実は隠されていて、いくら真実を知っても現実の生活そのものが豊かになるわけではない、と考える人が多くいる現状もあります。
このようなことを考えることは現実的ではないとして敬遠されたり、魔女狩りのような迫害を受けたりした歴史もあります。
それがスピリチュアル的な真実や、人類本来の在り方を知ることへの抑圧となりました。
このような人間を無知のままにしておく策略は、地球を支配するエンリルが作った社会構造であり、地球で生き残るための条件付けとして、生きるためにはお金が必要で、お金を得るために死ぬまで働き続け、食い繋ぐためにサバイバル的な生活を仕向けます。
生計を立てるための努力や、苦しみに焦点を当て続けて、精神的な進化に目を向けさせないように、奴隷である人類が結束して反発しないように、分断と征服による支配がエンリルのやり方で、それは今日までこの社会に根付いています。
これよりも非常にひどいものとして、生けにえの儀式があり、これははるか古代から、現代まで行われています。
創世記22章2節に『神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」』と、エンリルはアブラハムに言います。
アブラハムは言われたとおりに、全焼のいけにえのためのたきぎをイサクに背負わせて、火と刀を持ちモリヤの山に登ります。
アブラハムはモリヤの山の神に告げられた場所に祭壇を築いて、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置き、息子を刀で殺そうとします。
その時、主の使いが天からアブラハムを呼ぶ声がして、「今、わたしは、あなたが神を恐れていることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた」と言って、アブラハムの手を止められました。
ナンバー2209 2024.04.24 につづくことでしょう
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