心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №1219

2015-04-06 20:58:13 | Weblog
 自分を識るための教えとしてのラージャ・ヨガ
『魂の光 パタンジャリのラージャ・ヨガ』(AABライブラリー発行)によれば、
ラージャ・ヨガつまり合一の科学は、次のことを可能にする
規定と方法を与えるものだとありますので、参考までに書いておきます。
『1 魂、第二様相、内なるキリストとの意識的な接触を可能にする。
2 真我の知識を達成し、その非自己に対する制御を維持できるようにする。
3 エゴつまり魂のパワーを日常生活の中で感じ、魂の様々なパワーを顕現できるようにする。
4 低位サイキック能力を征服し、高位サイキック能力を発揮できるようにする。
5 肉体脳が魂とラポール(連結)し、そのメッセージを受けることを可能にする。
6 「頭部内の光」の増大を可能にし、それによって人は生きた炎になる。
7 道を見出すことを可能にし、その人自身がその道になる。』
このような叡智に満ちた知識を持たず、いつかは
死んでいく肉体人間だと思っている私たちにとって、
高度に意識が進化した状態になるためには、
たくさんの転生経験が必要であり、
「そのためには熱誠と忍耐は強くなければならない」のだと思います。
意志も忍耐も弱ければ、欲望と低位性質の犠牲者となり、
叡智をさずけられる機会を持てなくなってしまいます。
ポイマンドレースの話の続きを書きます。
『トリツメギストス「すべての人間が叡智をもっているわけではないのですか?」
ポイマンドレース「おまえの言ったことに留意せよ。
我、叡智は、聖なる者、善き者、清き者、慈しみある者、
すなわち慎重かつ敬虔な者たちのもとにきたる。
わたしのおとずれは、そうしたものたちの助けとなる。
そして、ただちに彼らはすべてを悟り、
愛情をもって父に和み、祈る。
子から親への想い、天賦の愛のもとに、
父の方へ向き直り、心の命ずるところに従って、
神を讃え感謝し、そして聖歌をささげるであろう。
それとは反対に、その肉体を死にゆずりわたす前に、
彼らは感覚(的なもの)を憎んでいる。
それがいかに働き、どう作用するかを知っているからだ。
むしろ、叡智であるわたしが、
肉体においておこる感覚の働きと作用が、
完全に成就してしまうのを許さない、とこそ言うべきか。
運び手として門番として、わたしは邪悪なものの侵入をふせごう。
そして汚濁の欲望の誘惑を断ち切ろう。
けれども、おろかな者、あしき者、よこしまな者、
ねたみそねむ者、血をこのむ者、神聖を汚す者どもからは、
わたしは遠くへだったところに居る。
こうした者どものことは、復讐を旨とする
ダイモンにすべてを一任しているのだ。
それは者どもにするどい火を点け、それは者どもの
感覚を刺しつらぬいて、さらなる邪悪へとかりたてるのだ。
果てなき懲罰を受けることになろう。
このような者どもは、満たされない色欲と飽くことなき
劣情のけっして止むことなく、いつまでも暗闇であがいている。
ダイモンは間断なくこれを悩まし苦しめ、ますます火を焚きこむのだ。」』
№1220につづく

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