心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー2243 モーセの十戒について

2024-09-10 21:00:18 | Weblog
ナンバー2243   2024.09.10  モーセの十戒について

『ハイラーキーの出現(上)』(アリス・ベイリー著 AABライブラリー発行)によると、現代では物質主義と霊性を分ける線はますます明瞭になっていて、このようになるために役立ったものが二つあるといいます。
一つは旧約聖書の出エジプト記第20章でモーセに授けられた十戒です。
モーセの十戒とは次のようなものです。
①あなたには私のほかに、ほかの神々があってはならない。
②あなたは、自分のために偶像を造ってはならない。
③あなたは私の名をみだりに唱えてはならない。
④安息日を覚えて、これを聖なる日としなさい。
⑤あなたの父と母を敬いなさい。
⑥殺してはならない。
⑦姦淫してはならない。
⑧盗んではならない。
⑨あなたの隣人に対して偽りの証言をしてはならない。
⑩あなたは、隣人の家の持ち物を欲しがってはならない。
この十戒の前半の5つが神に対する義務で、後半5つは人に対する義務の二つに大別できます。
この十戒の形式は「何々してはならない」あるいは「何々しなさい」と否定的で独断的な表現ですが、これによって問題点や求められる態度が明瞭になります。
十戒が授けられた当時の人類の一般的な知性は比較的低い段階のため、「何々をしてはならない」という否定的な言葉で表され、人はそれによって物質的に現われているものに注意を向けることになったと『ハイアラキーの出現(上)』にあります。
十戒の後半部分をよく読んでいると、私が幼い頃に親から盗んではいけない、噓はついてはいけない、といったことを言われたのを思い出しました。
十戒の内容から、受け取った当時の人たちがどの程度の理解力だったのか想像できるように思われます。
『来るべき時代において、十戒は正反対の形式で表されるだろう。山上の垂訓(マタイによる福音書・第5章)と八福(キリストが山上の垂訓で説いた八つの幸福)はその萌芽的な形式である。』と『ハイラーキーの出現(上)』にあります。
物質主義と霊性を分けるようになるために役立った二つ目のものとして、人類が成熟して分別をわきまえられるようになったことから、無理強いや過保護によって不利になるような条件を負わされたり妨げられたりすることなく、その主要ないくつかの神聖な特性を表すことができるように、ハイアラキーが撤退した点だといいます。
ナンバー2244  2024.09.14 に続く予定です。

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