里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

ピオーネ

2009年09月20日 | 日々のつぶやき
二男宛で、ブドウが宅急便で送られてきました。

丁度お昼に届きましたので、今ならお昼休みだろうからと、息子の携帯に「ブドウが届いたよ」と言う事を伝えました。

仕事関係の所から送られて来ていましたので、お礼を言うように、電話番号を言おうとしたら、「解ってるし」と言い、すぐに息子の方から、話を切りかえて、「舞鶴のおばあちゃんの家どうなった?」とか、「今晩帰るし」と言いました。

そうだ、今日19日(土)から、シルバーウイークだった。

いつもなら、連休になる前から、二男が、仕事先から帰ってくる事を首を長くして待っているのに、しなければならない事が、目の前にいっぱいで、二男のことを忘れていた感じです。(ごめん、ゴメン)

よく、二男が、家に帰っている時に、同業者から何かが送られてきます。

連休で、こちらに帰ることを知って、このブドウも送って下さったように思います。





送って頂いたブドウの箱(上)と、中身のブドウです。

ピオーネと言う品種のブドウです。

最近ピオーネも、時々買って食べていましたが、このピオーネと言うのは、「巨峰」と「カノンホールマスカット」をかけ合わせて出来た品種であると言う事を、このピオーネの中に入っていた栞で知りました。

香りも味もよい、大粒のブドウです。




区役所で

2009年09月19日 | 日々のつぶやき
用事があって、区役所に行って、見た光景

まず駐車場で、土木作業員らしき格好をした人が、駐車場に設置されている、煙草の吸い殻入れのふたを取り、中に手を入れ、何本かの吸い殻を手にした。

そして、それを、ズボンのポケットに入れ、エレベーターの方へ歩いて行った。

手には、お茶か、水の入った500㏄のペットボトルを持っていた。

ポケットに入れた、何本かの吸い殻をどうするのでしょうか?

まさか、それを又、自分で吸うのではと思ったりもした。

以前にも、この駐車場で、同じことをした人を見かけた。

その時の人と、今回見た人が、同じ人のように思われる。


中に入って、窓口でのこと

受付で、若い2人の女子職員さんと、その上司と思われる、やや年配の男性職員に向かって、大きな声で、説教しているような言い方で、文句を言っているオジサンがいた。

3人の職員は、ただただ聞いているのみと言う状態でした。

察するに、2人の若い女子職員の対応が悪かったようで、上司を呼んで、苦情を言っている様子でした。

かなりしつこく、「5時になっても帰さへんぞ、10時でも11時でもねばるしな」とご立腹。

ここまで言わなくてもいいのにと思いました。

気が短いのか、もう少し、寛容になれないのだろうかと・・・

酒井法子保釈

2009年09月18日 | 日々のつぶやき
昨日、酒井法子が保釈された。

私が病院から、退院してきた日から、酒井法子のことがニュースに出るようになった。

最初は、逃亡、そして逮捕、拘留。

私が入院していたのは、25日間。

酒井法子は、それ以上に拘留されていた。

やっと昨日、保釈されましたが、この人のニュースが、テレビから全く出なくなる日は、いつになるのでしょうか?

もう、うんざりと言う感じです。 

深く頭を下げたり、涙も流していましたが、本当に反省しているでしょうか 

多くの人の前で見せた、この反省の言葉と態度が、裏返らないように、立ち直ってほしいと思います。

筆まめ20

2009年09月17日 | 日々のつぶやき
昨年の暮れに、今年の年賀状のあて名を印刷しようと思った時、保存していた住所録が、どうしても開きませんでした。

とうとう使っていた筆まめソフトが、壊れてしまいました。

そのうちにパソコンまでが、調子悪くなり、今年の1月にパソコンも買い換えました。

今度こそ楽に年賀状に取り組みたいと、先日発売された、筆まめ20を買いました。

それをインストールした途端、このソフトが、プリンターを、正常に使えるようにするため、プリンターのCDを入れてインストールして下さいという指示が出ました。

ところが、何処へしまいこんだのか、プリンターのCDが見つかりません。

さぁ、困った。どうしよう。CDがない場合は、インターネットから、との指示も出ていました。

これに頼るしかなさそう。しかし、この方法で、今まで自分でやったことがない。 

こう言う事はうといので、出来るかどうか、ドキドキしながら、しどろもどろでやって見ました。

何とか出来ました! どっと疲れました。 

次に、今まで保存していた住所録が、無事に開くことが出来るだろうか?

恐る恐るUSBフラッシュメモリーを入れて、住所録を開いてみた。

これは、問題なく開きました。

やれやれ。これで一から、また住所など入れなおさなくて済みそうだ。 

次に、筆まめソフトで、いつもカレンダーを作っていましたが、それも試しに出来るかどうか、やって見る事にした。

何しろ、今まで使っていた筆まめソフトは13のままでしたので、20では、やはり、少々使い方が、変わっているようで、すぐには解りませんでした。

説明の本にも、直接カレンダーの作り方は、書いてなく、筆まめのアイコンから何をクリックして、→○→・・・と順番に開いて、やっと、年賀状以外の物の作り方が出てきました。

その中から、カレンダーの作り方の部分のみ6枚プリントして、それを見ながら、作って見ました。

ある工程まで行くと、今まで使っていた筆まめ13と同じになりました。




試しに、今年の10月のカレンダーを作って見ました。




11月のカレンダーです。今度は、写真を入れようとしたとき、カメラを接続するような指示が出て来ました。

カメラの写真は、いつも、パソコンに取り込んで、USBメモリーに保存しているので、カメラの中は、空っぽでした。

急遽、猫の写真を撮り、接続してみると、簡単に取り込むことが出来ました。

しかし、メモリーに保存している写真が、入らない、と言うか、写真が開かない。

昨年までは、メモリーに保存していた写真が取り込めたのだから、出来るはずと思い、何回かやり直して、成功!

出来ないとあせらずに、落ち着いて考えれば、簡単な事でした。





2010年の1月から12月までの分も作って見ました。


やれやれ、来年の年賀状と、カレンダーは、これで、ちょっと楽出来そう。 


同じ誕生日

2009年09月16日 | 日々のつぶやき
今日、教室に来られていた一人の方から、「孫が生まれたんです。 ○○さんと同じ9月11日に生まれました」と言われました。

よく私の誕生日が解ったなぁと、思ったのですが、つい先日、9.11事件のことを話したときに、「私の誕生日で、9月11日と言う日は、あまり良くない事が起こる日です」と言ったことを思い出しました。

子供のころ、私の誕生日に、よく台風が、住んでいる村を襲いました。

それで、親から、「この子は、嵐を呼ぶ子やなぁ」と言われた覚えがあります。

9月11日は、210日に当たるらしく、よくこの日に台風が来ました。

それで、私は、子供の頃から、9月11日は、あまり良くない日だと、何となく思ってしまっていたのです。

でも今日、孫が生まれましたと、そして、私の誕生日と同じ日ですと、嬉しそうに報告して下さった人の顔が、とても嬉しそうでしたので、私のこだわっていた思いは、どこかへ飛んでしまいました。

9.11事件も、台風も、単なる偶然だったのだと。

懐かしい呼び名

2009年09月15日 | 日々のつぶやき
昨日、高校の時の同級生から電話がありました。

聞き覚えのある声で、「○○さん」と、私の旧姓で言われました。

私も、すかさず、「○○さん」と言いました。

毎年、10月くらいに、大阪と、京都にいる気の合う同級生が集まる会の相談の電話でした。

「9月27日(日)の、都合はどうですか?」と言う電話でした。

私は、この日に何か特別な事があるわけではありませんので「いいですよ」と返事しました。

今日、又別の同級生から電話で「○○ちゃん」と言われました。 

この人は、旧姓ではなく、下の名前で高校時代に呼んでもらっていた○○ちゃんと言う言い方で、電話をかけてきてくれました。

この人は、最初に決められた「9月27日が、私だけ、都合が悪くて、申し訳ないけど、10月14日(水)に変えて貰ってもいいかなぁ?」との電話でした。

私は、水曜日は、お琴と、パソコンのエクセル教室がありますが、前もって解れば、欠席届を出して、お休みさせて貰いますので、「いいですよ」と返事しておきました。

久しぶりに「○○さん」と言う旧姓で呼ばれたこと、また、「○○ちゃん」と下の名前で呼ばれたのが、とても懐かしく、嬉しく思いました。

又、二人とも、要件以外のことを少し、おしゃべりしましたが、この時は、舞鶴弁が、ポンポン出てきて、歯切れ良く、心地いい響きでした。

舞鶴人同士が、話をすると、早口で、その上、語尾が上がりますので、京都人が聞くと、怒っているように聞こえるそうです。

(すみません。決して怒ってはいません)

マスカット

2009年09月14日 | 日々のつぶやき
近所の奥さんが、岡山の実家で作っておられるマスカットを、収穫・出荷のお手伝いに帰り、直接岡山から送って下さった。



毎年この時期になると、送って下さり、美味しく頂いております。

それなのに、主人が、一粒口にして、「あっ、これあかんは」と失礼極まりない一言。

私:「どうして?」

主人:「種があるんや」

私:「そんなこと当たり前や」

主人:「いつも竹村農園で買って来る、巨峰やベリーAは種ないよ」

私:「そう言うのは、元々種があったけど、だんだん品種改良されて、種なしが出来るようになったものや、文句言わずに自分で種くらい出して食べて」

(わがままな文句言いさん、頂いたことに感謝して食べてよ

栗ごはん

2009年09月13日 | 日々のつぶやき


先日、舞鶴の実家で写した栗の木ですが、枝が伸びすぎて、小さい川と、道路に実や葉が落ちて、台風が来たら、川の流れに影響しますし、枝を切りに行きました。

その時にまた少し落ちた実を持って帰って来ました。

栗は、塩水に一晩つけておくと、皮がやわらかくなり、剥きやすくなると聴きましたので、そのようにしました。

すると、やはり皮が少しやわらかくなっていて、例年よりむくのが、楽でした。

25個分皮をむき、今回は、これを半分に切って、栗ごはんにしました。

主人と長男は、「おいしいなぁ」と言って食べていましたが、娘は無関心のようでした。

入院日記ー22(まとめ)

2009年09月12日 | 日々のつぶやき
入院して、部屋に入ると、旅行で、宿泊するホテルに入ったみたいでした。

部屋は広く、設備良く、窓の外の眺めもいい。

先生、看護師さんたち、皆優しい。

男性の看護師さんも、ちらほらおられる。

以前のように、女性のみの仕事ではなくなってきている。

横の連携がよく取れている。

整形外科、普段かかっている循環器内科、麻酔科、リハビリ科、薬局(薬剤師)、医療福祉相談室、伝道室など。

毎日上げ膳、据え膳で決まった時間にお食事を頂く事が出来ました。

1日780円の食費で、1食260円。見た目は地味な食事ですが、時には、とても病院食とは思えない、はもおとしが出たり、うなぎ丼が出たりした。

毎週ではないが、火曜日の昼食に、木・金・土の昼食メニューを書いた紙が入っていて、AかBのどちらか好きな方を選択するようになっていました。

朝食は、毎日マーガリン以外のものは、すべて残さず食べました。

昼食、夕食は、頑張っておかずはほぼ食べましたが、は、毎回私には量が多すぎて、半分以上残りました。

毎日、決まった時間に、自分で作らなくて3食の食事が頂けることに感謝の気持ちでいっぱいでした。

私の近所と言う看護婦さんをはじめ、多くの看護婦さんが、個室と言う事で、話しやすいのか、病院や、病気に関係ない話などもよくして下さった。

ある時は、話が弾んで、共に笑い転げ、血圧の測定が、出来ず、「深呼吸してやり直し」等と言う時もありました。

午後6時少し前になると、「今から担当になりました○○です。よろしくお願いします」と、看護婦さんが、病室に挨拶に来られた。

「よろしくお願いします」は、こちらが言うセリフですのに。

6時で勤務交代の時間なのでしょう。

手術した日の夜は、何度も看護婦さんのお世話になりました。

「痛い」と言って、痛み止めの座薬、熱が出て氷枕をして貰い、「しんどい」と言って、寝がえりをさせて貰ったり、ベットを起こしてもらったり、戻して貰ったり、「眠れない」と言って、睡眠薬を点滴で入れて貰ったり、何度も看護婦さんの手を煩わせました。

それでも看護婦さんは、優しく対応して下さり、「また、呼んで下さったらいいですからね」と、ナースコールのスイッチがすぐ押せるように、私の手に持たせて、「ここを押して下さいね」と言って、病室を出て行かれた。

手術後、体に付けられていた機器が、ひとつづつはづされていくにつれ、だんだん楽になり、朝から晩までパズル三昧。

息子が「読むか」と言って持って来てくれたA5判の220ページほどの本も2冊読みました。

夜の9時に消灯で、寝ることになっていましたが、「個室の人は何時でもかまいません」と言われていましたので、ふだん家では、寝るのはいつも午前様でしたので、9時に眠るのはとても無理でした。

一応9時になれば、部屋のメインの電気は消して、洗面所と、ベットサイドのスタンドをつけて、早く眠くなれと言う感じで、パズルにふけっていました。

9時の消灯後に、看護婦さんが、10時半、12時過ぎ、3時過ぎと、3回懐中電灯を持って、各病室に回って来られるのですが、私は、まだ寝付いていなくて、入口の方に背を向けて、眠ったふりをしていました。

たまに、思わず、看護婦さんに気付かれて、「起こしてしまった?とか眠れないの?、眠れるお薬出しましょうか」等と言われた時もありました。

入院中に、祇園祭の山鉾巡行や、皆既日食がありました。

これらは、テレビで見ました。

 のまりは、私の事を、覚えていてくれるかなぁとずっと気にしていました。

私が入院してから、「夜まりが、寝ないで、うるさくて困る、お母さんがいないので、情緒不安定になっている見たいや」と、家族の者が、猫のために寝られないとこぼしていた。

退院して、2日ほどは、本当に私かなと言う感じで、少し距離を置いて見ていましたが、やっと3日目くらいから私にすり寄って来るようになりました。

入院中一番助かったのは、 電話が使える事でした。

普通、病院では、携帯の使用は、ダメと思っていましたが、個室の人は個室で、大部屋の人は、指定された場所で使用は出来ることになっていました。

ただし、着信音や、メールのキータッチ音は、消音状態でと言う事で使用は許可されていたのが、ありがたいと思いました。

関わって下さった大勢の方々に心から感謝いたします。

無事に良くなって退院できました。 

手術した結果、最初思っていたほどの状態ではなく、また、内視鏡検査で、関節も何事も起こっていなかった事が解り、痛い目はしましたが、結果的には、良かったと喜んでいます。

最初は、滑液嚢腫と言う事でしたが、退院証明書には、滑液包炎と書かれていました。

入院日記



入院日記ー21

2009年09月11日 | 日々のつぶやき
8月2日

食事メニュー



朝食

ロールパン2個、マーガリン、苺ジャム、牛乳、(いんげん・玉ねぎ・人参の煮物)、メロン


昼食

ご飯、(鮭・いんげん)、(青菜と高野豆腐の煮物)、(焼きナス・おかか・おろし生姜・葱のトッピング)、(そうめん・葱の澄まし汁)


夕食

ご飯、(豆腐・とろろ芋かけ・人参・いんげん・刻みのり)、(青菜とえのきの和えもの)、(大根とグリーンピースの煮物)


この日の事

朝のうちは、曇ったり、小雨が降ったりしていたが、お昼前くらいから、やっと夏らしく、暑い晴れのお天気になり、空は青空、蝉の鳴き声、本格的な夏が来たと言う感じがしました。

これで、やっと今日か、明日あたりに梅雨が明けるのかなと言う感じです。

例年なら、7月17日ごろ、祇園祭の山朴巡行の日あたりに梅雨が明けるのですが、今年は、ずいぶん遅いようです。

夕方、息子と娘が来てくれて、明日退院するのに少しでも楽なようにと、殆どの荷物を持って帰ってくれた。

これで、明日はほんの少しだけの荷物になります。助かりました。ありがとう。



8月3日

食事メニュー



朝食

クロワッサン2個、オレンジママレード、牛乳、(カリフラワー・アスパラ)、バナナ

病院で頂く最後の食事になりました。


この日の事

朝、主人から、「迎えに行こうか」と言う電話がありましたが、「子どもたちが来てくれるから、無理して来なくていいよ。家でゆっくりして待っていて」と返事しました。

息子は、午前中休みを取って、娘は一日休みを取って、2人で、10時少し過ぎに迎えに来てくれました。

この日は、同じ病棟で、6人退院する人がいると言うことで、入院費の計算が、なかなか上がって来なくて、11時くらいにやっと会計を済ませ、無事退院になりました。

帰る途中に、また主人から電話で、「今何処や」、「今、南禅寺のあたり、“ホテルウエスティング都”が目の前に見えるところ」。

すると、主人は、大体の時間を予測したらしく、家に帰りつくと、まり(猫)を抱いて、外で待っていてくれました。

25日間の入院生活を無事に終えて、やっと我が家に帰って来ました。

感謝の気持ちでいっぱいでした。

息子はすぐに仕事へに行き、娘は、お昼に、「退院祝いや、おごったげる」と言って、近くのソバ屋さんから、美味しい、おろしそばの出前を取ってくれ、主人と、娘、私の3人でいただきました。

もともとここのソバ屋さんの、おろしそばは美味しいですが、久しぶりに我が家に帰ってやれやれと言う気持ちで、この日のそばは、特別に美味しいと思いました。

この日、やっと、近畿地方に梅雨明け宣言。

初めて、裁判員制度による裁判が行われた。

この入院日記も、あと、まとめを残すのみになりました。