里の部屋

日々思ったことを綴っていこうと思います。

まもなく他家へ行く事になったお琴

2011年11月14日 | 日々のつぶやき
先日会館の秋祭りの時、お琴の演奏を聞きに来て下さっていた方から

「昔お琴を習っていましたが、もう弾く事はないだろうと、処分してしまいました。ところが最近になって又弾きたくなりました。

もう年が年ですので、あと10年弾けるかどうか解りませんし、何処か中古で売っているようなところを知りませんか?」と聞かれました。

その時、私はとっさに「もしよろしければ、わが家に余分のお琴がありますので譲りましょうか?」と言いました。

わが家の長男が、小学校の3年生の時、同級生の女の子が、お琴を教えて欲しいとわが家に来られてから、小学生や保育園児が何人か来られ、それに近所の若いお母さんも3人ほど来られていました。

最初は私自身のお琴1面しか持っていなかったのですが、主人が、勤めていた会社の同僚だった人が、脱サラして、アンティークの店を持たれ、そこで中古のお琴が見つかった時に、その都度買足してくれて、一番多い時は、家に7面のお琴を持っていました。

しかし、お稽古に来ていた子供たちも、中学、高校となると次第にお琴を続けるのは無理になり、また近所の若いお母さんたちも、子供が学校に行くようになって、時間のゆとりが出るようになって来ると、パート勤務に出られたりして、もう7面ものお琴は要らなくなりました。

それで、使わない状態で置いておくよりは、楽器のためにも使って貰う方がいいですし、京都へ来てから最初に習った先生のところへ、演奏会の前にみんな合同で合奏練習をする時、近くの人たちは、自分のお琴を持って行くのは、さほど苦にはならないかも知れませんが、遠くから先生のところへ持って行くのは大変ですので、その地域の邦楽研究会へ4面は寄付しました。

この先生も亡くなられ、今はお弟子さんたちが、その地区の邦楽研究会として月1回みんなが集まり、合奏練習されています。

私は、先生が亡くなられてからは、そちらへは行かず、今の会館の教室へ行くようになりました。

しかし、この会館で教えておられた先生も亡くなられ、その後、1年ほどお弟子さんが継いで指導して下さっていましたが、やめられ、今は難病を患われていると聞いております。

そんな訳で、今の会館の教室は、誰が先生でもなく、みんなが先生であり、又みんなが生徒でもあります。教室と言うよりは、サークルです。

それで、今は私のところにお琴が3面ありましたので、その中の1面を、譲る事にしました。

あまり使わない物を置いておくのは、もし私の命が尽きた時、家族の者が、処分するのに困るだろうから、少しずつ身辺整理をしておかなければと思っていましたので、丁度いいタイミングでした。

近いうちに他の人のところへ行く事になったお琴を、今日点検を兼ねて使ってみました。

すると、処分しなければと思っていたにも関わらず、いろいろ思い出が蘇って来て寂しくなって来ました。

もう私のお琴の全盛期は終わったと自覚はしていますが、やはり気持ちの中にしこりが残ります。

1面・1面買い足してくれた主人に申し訳ないなと思う気持ちと、お琴が増えるごとにそれに付随する部品を買いたしました。

それらの細かい部品一つ一つにも愛着があり、やはりそれらを手放すとなると未練を感じます。

この譲ることにしたお琴の記憶にとどめたい部分だけ写真にとりました。




①は、中古で買った時、かなり傷んだ状態でしたのでお琴屋さんに直して貰った竜角部分。

②は、普段は口前をはめているところの彫と絵の部分。

③は 中古で買ったお琴にはついていなかったので買い足した口前。

④は、中古で買い足した琴柱(ことじ)




今は、白いほうの琴柱を使っていますが、今度譲ってあげるおばあさんは、この黒いほうの琴柱を使っていましたと言われましたので、こちらのを譲る事にしました。

頭の白い部分だけが象牙です。

このお琴を中古で買った時は、絹糸がかかっていましたが、絹糸はすぐ切れますので、今の糸に張り替えて貰いました。




ゆたんは、娘の七五三の時に着たお襦袢をほどいて、今の会館でのお琴教室のメンバーの一人の方が縫って下さったものです。

それぞれにいろんな思いが残っていますが、もうそれもきっぱり整理しなければ…

お琴、琴柱、ゆたん、立奏台、譜面台を業者にわが家まで取りに来て貰って、80代のおばあさんのマンションまで運んで貰います。

その運送業者の費用だけ先方さんに払って頂くことにして、あとは、使って頂けたらそれでいいと思っています。

私の代わりに、末永く使って下さる事を願っています。



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