「英国サミュエル商会のグローバル展開と日本 」
山内 昌斗
『広島経済大学経済研究論集』
29(4), 113-136, 2007-03
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ロイヤル・ダッチ・シェル石油は2012年の売上1位、純利益4位の世界一の企業です。このシェル石油の貝殻マークは日本製であり、ロイヤル・ダッチ・シェル石油が「サミュエル商会」として日本からスタートした歴史はあまり知られていません。
ロイヤル・ダッチ・シェル石油の創業者であるマーカス・サミュエル(Marcus Samuel1853ー1927)は、1853年にロンドンの裕福なイラク系ユダヤ人の家に生まれました。
1871年(明治4年)に18歳のマーカス・サミュエルは開港したばかりの横浜に5ポンド(現在の5万円程度)のお金だけを持って、やってきました。そして、湘南の海岸で、漁師たちが取った後の貝殻(シェル)を集めて、父親の商店があるロンドンに送りました。
1876年(明治9年)に、23歳のマーカス・サミュエルは、横浜に「サミュエル・サミュエル商会(Samuel Samuel & Co)」横浜支店を開業します。
1890年(明治23年)に「サミュエル商会」は、兵庫県菟原郡都賀浜村(現在の神戸市灘区、阪神・大石駅あたり)に「有限責任会社 都賀浜麻布会社」を設立し、輸出用米の麻袋を海外に輸出しました。これは現在も「六甲サザンモール」を経営する「小泉製麻株式会社」として現存しています。
1891年(明治24年)、マーカス・サミュエル38歳のとき、「サミュエル商会」は、ノーベル兄弟とロスチャイルド家のロシア産バクーの石油を扱う会社「ブニト(Bnito)」と契約します。ロシア産の「ブニト(Bnito)」の石油を東洋でのみ1900年まで独占的に販売できる権利です。
これは、1875年(明治8年)に、スウェーデンのアルフレッド・ノーベル(Alfred Nobel:1883-1896)などノーベル兄弟がロシア・アゼルバイジャンのバクー油田を「ノーベル兄弟石油会社(Branobel)」で開発したものです。
この際に、ノーベル兄弟はフランス・ロスチャイルド家のアルフォンス・ド・ロチルド男爵(Alphonse de Rothschild:1827-1905)から融資を受けました。
ちょうどアメリカでも初代ジョン・ロックフェラー(John Rockefeller:1839- 1937)が1870年にオハイオ州で「スタンダード石油(Standard Oil)」を創業しました。1880年代は、ヨーロッパ石油市場で、ロスチャイルド系の「ノーベル兄弟石油会社」とロックフェラー系の「スタンダード石油」の争いがありました。
1882年から「スタンダード石油」は海外でも樽(バレル)に詰めた石油を売りはじめたからです。
1892年(明治25年)、マーカス・サミュエル40歳のとき、「サミュエル商会」は、石油タンカー「ミュレックス号(Murex)」を世界で初めて注文しました。
それまで、石油を運搬するには、樽(バレル)で運搬していたのですが、火災を起こしやすいため、スエズ運河を通行できませんでした。そこで、マーカス・サミュエルは石油運搬専門のタンカーを開発しました。スエズ運河を通って、神戸からアジア中に石油を売りました。
1893年(明治26年)、マーカス・サミュエル40歳のとき、「サミュエル商会」は、神戸、和田岬・油槽所を完成させます。この和田岬から、日本全国に販売網がつくられ、ロシア産の石油・灯油が関西に売られました。
1897年(明治30年)、マーカス・サミュエル44歳は「自分は、若いとき、日本の海岸で貝殻(シェル)をひろっていた貧乏な青年だった。そのことを絶対に忘れない」ために、タンカー会社の名前を「シェル・トランスポート・アンド・トレーディング・カンパニー(Shell Transport and Trading Company)」と名づけ、ロンドンに本社を置きました。これが「シェル」です。
この時期1897年に「サミュエル商会」は、日清戦争(1894-1895)の軍事公債4.300万円を引き受けて日本政府の信用を得ています。
1899年(明治32年)、「サミュエル商会」は、日本政府から1908年まで植民地・台湾の樟脳の販売の独占利権を得ます。
1900年(明治33年)、「サミュエル商会」は、「ライジング・サン石油会社」を創業します。日本国内で照明用の灯油、ケロシンを販売しました。
1903年(明治36年)、「サミュエル商会」は、日露戦争の軍事公債を引き受けています。この日露戦争の外債の借金を日本政府が完済したのは1986年(昭和61年)です!!!。
1907年(明治40年)、マーカス・サミュエルの会社「シェル」とロスチャイルド・フランス家の「ロイヤル・ダッチ」が合併し、「ロイヤル・ダッチ・シェル石油」が生まれました。
1870年から1900年にかけて、ロスチャイルド家のロシア・バクーの石油とロックフェラー家のスタンダード石油の市場争いがあったのですが、サミュエル商会マーカス・サミュエルの「シェル」のタンカー輸送力により、ロスチャイルド家が勝利したという歴史が、「ロイヤルダッチ・シェル石油」の創設につながりました。
マーカス・サミュエルは、貧しい20代に横浜で拾っていた「貝殻(シェル)」をマークにして、神戸を基地にして日本全国にロシア産石油を、販売することで、後の「ロイヤルダッチ・シェル石油」の基礎をつくりました。