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ロンドン金市場

2018-06-15 | メモ
2011年に書かれた、『東北学院大学経済学論集』のサイモン・ジェイムス・バイスウェイ 先生の日本語論文には、驚愕しました。これは最初の1ページ目だけでも読む価値があります。ロンドン金市場の400年の歴史の研究です。PDFファイルで全文が読めます。
『ロンドン金市場の金融史研究、1600-2004年-とくに両大戦間期に関して-』
A Financial History of the London Gold Market
サイモン・ジェイムス・バイスウェイ Simon James Bytheway
『東北学院大学経済学論集』第177号(東北学院大学、2011)pp.195-210.
http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2011/pdf/bk2011no09_11.pdf

書き出しを読んでビックリしました。

「ロスチャイルド商会のニュー・コート事務所で毎日平日の午前中に行われる5人の匿名ブローカーによる風変わりで面白い特有な取引」が「ロンドン金市場(The London Gold Market Fixing Ltd)」だと言うのです!!!

調べると、確かに20世紀初めから2004年までは、ロスチャイルド商会の事務所内に5人が集まるのが、「ロンドン金市場(The London Gold Market Fixing Ltd)」だったのです!なんじゃ、そりゃあー?!!!

信じられん!! けど、英語のウィキペディアにも全く同じことが書いとる!!!

以下、2011年論文から引用。
「実際には、1852年から『ロスチャイルド商会(N M Rothschild & Sons)』が所有していた王立造幣局は、イングランドに輸出される、精練されていない金の大半を扱っていた」論文197ページ

「イングランド銀行は、ロスチャイルド商会とともに、ロンドンの『自由金市場』を形成するために、直ちにその準備に入ったが、そのさい自由金市場を管理するにあたってイングランド銀行の示した願望は、ロスチャイルド商会がその自由金市場の議長になること、そしてそれによって将来の日々の金価格への投機を招かないようにすることであった」論文199ページ
以上、引用終わり。
この論文は、驚愕の記述がえんえんと続きます・・・。もう、本当に驚きの連続です!
   ロンドン金市場における、ロスチャイルド商会以外の4ブローカーの1つは、「モカッタ・アンド・ゴールドシュミット社(Mocatta & Goldsmid)」でした。

ゴールドシュミット(Goldsmid)!!! 

もう笑えてきました・・・。ロンドン金市場は、ロスチャイルド商会の事務所内にあり、参加者はゴールドシュミット(Goldsmid)さんです。インドや南アフリカなどイギリス植民地から送られてきたゴールドは、ロンドン市場のたった5人の参加者が決めていました・・・。

 そして、たった5人の参加者のロンドン市場で価格が決まった金は、ロスチャイルド商会からニューヨークに送られ、「クーン・ロエブ商会(Kuhn Loeb and Company)」がニューヨークの販売を担当していました。

 クーン・ロエブ商会は、日本と縁が深いです。1904年の日露戦争の際に井上馨(いのうえ・かおる)は高橋是清を英米に派遣し、クーン・ロエブ商会のジェイコブ・シフ(Jacob H.Schiff)の仲介によって、日露戦争の戦費を外債として調達しました。このユダヤ人大富豪ジェイコブ・シフこそは、ドイツ・フランクフルトのユダヤ人ゲットーで「緑の楯の家(ハウス・ツム・グリューネン・シルト:Haus zum Grünen Schild)」という場所、「赤い楯の家(ハウス・ツム・ローテン・シルト:Haus zum Roten Schild)」初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(Roth Schild=赤い楯)の隣に住んでいた一族の末裔です。
   当時のロスチャイルド家は「BNITO(ロイヤル・ダッチの前身の一つ、ノーベル石油会社)」が経営するロシア領アゼルバイジャン・バクー油田からの収入が大きく、帝政ロシアと表面上は敵対できませんでした。しかし、赤い楯ロスチャイルドと、緑の楯ジェイコブ・シフは帝政ロシアが東欧で行っているユダヤ人大虐殺ポグロムに激怒しており、帝政ロシアを倒すために革命家レーニンを支援しつつ、日露戦争で日本を支援しました。ユダヤ人大富豪ジェイコブ・シフの紹介により、ウォール街とロンドン・シティで日露戦争のポンド建て外債は、売り出されました。この日露戦争の外債の借金を日本政府が完済したのは1986年(昭和61年)です!!!。

 また、ニューヨークのクーン・ロエブ商会のジェイコブ・シフは、神戸のユダヤ人コミュニティの成立にも関わっています。

以下、引用。
「1917(大正6)年のボルシェヴィキ革命のときに何千というユダヤ人亡命者に、横浜と神戸のユダヤ人たちは日本政府の協力を得て意味のある援助をした。しかし、多くの亡命者たちは必要な資金がなかったため日本に上陸できなかった。この問題は、ニューヨークのクーン・ロエブ金融会社の社長であり、アメリカ・ヘブライ人移民救済協会の会長であったジェイコブ・シフのおかげで解決した。彼が日露戦争のときに、日本に金融面の重要な援助をしていたので、横浜と神戸に乗り継ぎセンターを設立するという要求がすぐに承認された。」
以上、引用終わり。
History of Jewish Kobe, Japan 「神戸のユダヤ人」May 18, 2015
杉原千畝がユダヤ人難民に「命のビザ」を発行したときに、シリア出身のラーモ・サッスーンさんの「神戸ユダヤ人教会」に居た数百人のユダヤ人難民を助けたのもジェイコブ・シフゆかりのニューヨークのユダヤ人団体でした。

 『ロンドン金市場の金融史研究』の論文著者のサイモン・ジェイムス・バイスウェイ 博士はイギリスで多くの賞も受賞し、現在、日本大学の教授です。日本大学の教授が2011年の『東北学院大学経済学論集』に書いた論文に、「ロンドン金市場は、ロスチャイルド商会の事務所で行われる」、「イギリス王立造幣局(The Royal Mint)は、ロスチャイルド商会の所有である」と書かれているのです(笑)。

 この「イギリス王立造幣局(ロイヤル・ミント:The Royal Mint)」の歴史は、日本・神戸にも関係しています。アヘン戦争後、1866年から香港では、イギリスの「香港造幣廠(ホンコン・ミント:Hong Kong Mint)」によって銀貨「香港ドル」貨幣が鋳造されます。
 1869年(明治2年)に「オリエンタル・バンク・コーポレーション(英国東洋銀行:Oriental Bank Corporation)」が日本の明治新政府と契約を結び、香港造幣局長トーマス・ウィリアム・キンドル(Thomas William Kinder)の提案を受けて、大阪造幣寮(大阪造幣局)が創られました。香港造幣局の鋳造機械がジャーディン・マセソン商会の仲介で6万ドルで明治政府に売却され、香港から大阪に運ばれました。 
 1871年(明治4年)に、明治政府のお雇い外国人トーマス・ウィリアム・キンドルは大阪造幣局で明治政府最初の「一円銀貨幣」を鋳造します(参考文献※1)。1871年(明治4年)にトーマス・ウィリアム・キンドルは フリーメーソン「神戸ライジングサン・ロッジNO1401」を神戸外国人居留地81番地のフリーメーソン・ビルに設立しました。 ここは、現在、日本銀行・神戸支店になっています。1872年(明治5年)にトーマス・ウィリアム・キンドルは神戸ライジング・サン・ロッジの最初のマスターになっています(first Master of Rising Sun Lodge)。
 キンドルや日本最初の一円銀貨と関係の深いオリエンタル・バンク・コーポレーションは、スリランカの紅茶プランテーションへの投資で失敗し、1893年のベアリング恐慌(Barings Panic of 1893)で倒産しました。1893年に倒産するまで、オリエンタル・バンク・コーポレーションは日本国債の発行を引き受けていました。これらは、明治維新以降の日本の歴史、神戸の歴史を調べて、はじめて見えてきたことです。
 神戸旧居留地にあった会社は、オリエンタル・バンク・コーポレーション、香港上海銀行(HSBC)、ジャーディン・マセソン商会、グラバー商会、キルビー商会(神戸ビーフ)、ハンター商会(ハンター坂・ハンター邸宅)、サミュエル商会(のちのロイヤル・ダッチ・シェル)、サッスーン商会(サッスーン邸)でした。

 最初に作られた銀貨の香港ドル(HKD)は「1圓(いちえん)」と印刷されていました。日本の最初の一円銀貨も「1圓(いちえん)」と印刷されています。韓国の通貨ウオン(Won)は「圓(Won)」という漢字を韓国語読みしたものです。中華民国で最初に発行されたのも「壹圓(いちえん)」銀貨でした。現在の中華人民共和国の「人民元」通貨も毛沢東の顔の図柄に「100圓」と書かれており、¥マークを使っています。中国の「100元(100圓)」の表記は「¥100」なのです!日本も中国も韓国も同じ通貨単位なのは何故なのでしょう?おそらく、各国の「造幣局(Mint)」成立の歴史と関係しているのです。この当時の世界は江戸時代のように、銀本位制で、銀貨中心だったのが、18世紀末から世界は、「金本位制」の兌換紙幣となります。

※1:「大阪造幣局の建設とオリエンタル・バンク」
立脇, 和夫 長崎大学 東南アジア研究所
『東南アジア研究年報』 (28), pp.49-83; 1986

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