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2025黄釈子 Blog 「My Days」by 吉住幸則

元石川銀行出資被害者原告団長の「進化」する老人、どん底人生、日々の戯言。

豊かな地元

2022年07月27日 | 日記

この時期、野鳥や猿に奪われなければ、裏庭や畑に、この時期特有の果実がふんだんに育つ里山は、かつての8代将軍徳川吉宗が15歳までは、領地として与えられて、住んでいた我が地元。

特別に郷土愛があるわけではないが(むしろ、希薄な方だろう)長く住んでいるので、顔見知りが多く(いつの間にか、老人になってしまっているが)、過去の姿も知っている。

我が小さな集落は、毎年夏場を前にして、社会奉仕が行われた。家の下を通る農道を軽トラックに積みかえた砂利を敷いたりする。市役所から、ダンプカー一杯分の砂利が空き地に届くので、それをスコップで軽トラックに積み替えて、雑草だらけの農道に敷いていく。年に一度、農道をメンテナンスしないと、農道の轍が凸凹になるのだ。我が集落だけでなく、地区の集落は、どこも似たようなもので、その農道がアスファルトになって、「発展した!」と喜ぶ、私より少し年配の大人たちの笑顔を、なぜか皮肉な気分で眺めた記憶がある。

私は草刈りなどの苦労も稲作作りの苦労も、全く知らないから、私の美学的センスでは、農道は土のままの方がいいと思っていただけだ。

そういえば、私は若い頃から、よく村の仕事に出ていた。きっと、親父がサボって私に出させたのだろうが、記憶にないし、嫌だと思わなかった。江掘人足も、毎回出たし、家の普請の手伝いに出たことも記憶している。村仕事は、農家の村整備の一巻。全く、田畑を保有しない我が家が「あんたは、江掘人足に出てこんでもいいんやぞ」などと村役に言われたことを覚えている。人手が少ないので、スコップでドロ上げなどの重労働の作業に出てきてくれるのは、もちろん、村役はありがたい。それでも、筋論からいえば、出なくても、非難されることはないと言うわけだ。「いやいや、大丈夫」などと、私は構わず、手伝っていた。

面白いもので、そんなことを長年続けてきていると、村の大人たちの私を見る目が、我が両親とは違ってくる。母親などは、その昔、村の会合があっても、一番末席で、畳に座らせてもらえなかった、などと古い記憶を引っ張り出して、「つくづく、財産(山や田んぼ)の無いのは情けない」などと、恨み辛みをこぼすことがあった。

ところが、村の会合で私が出ていくと、結構、上座に座らせてくれるのだ。「いいよ、いいよ」と断るのだが、「こっち、こっち」と座らせて、村役も文句を言わない。しかも、発言すると、通ることが多い。で、次第に村役も高齢化して、力がなくなり、我々世代に任せるようになり、そうなると、今では、我が独壇場になってしまって、昨年などは、自治会長の上に、農家組合長まで押し付けられる始末。笑ってしまうほど、面白い。

両親が80代で、脳みそもはっきりしていれば、そんな事態に目を回すだろうし、連合会会長などやっていると知ったら、心臓発作を起こすかもしれない。村の先生など、信じがたいと言わんばかりに「あ、あんた、立候補したんか?!」などと叫んだ。古い時代に85%生きていれば、そんな反応は当然だ。そんな昔の気持ちもわかるし、時代が変わったことも、私は当事者だから、十分理解している。

時代は、ドローンが飛び、人工衛星の情報を利用して、農業が行われようとしている。目先、猪や猿の被害に目を奪われているが、もはや、地元の果樹の豊かさえ、知っているのは、猿と私くらいなものだ。

今に、北朝鮮や中国やロシアからミサイルが降ってきても、驚くにあたらない。

優れものの、ドローン。スマホのアプリがうまく、動かない。楽天回線が、全く、通じないからだ。酷いねえ、楽天回線と、Linkアプリ。その上、値上げときた。

小さな季は、地区の中心集落にある、昔の商店の家の裏庭に2本ある古い季の木で取れたもの。私が好きだと言ったので、わざわざ、持ってきてくれた。今が熟して食べごろ。野鳥に取られてしまう前に、収穫したのだろう。家では、誰も食べない、と言っていた。

先日、山椒の木を見せてくれた家だ。最近では、畑で取れたスイカやとうもろこしでも、孫は食べないと、畑を作るババアが言う。

 


御会葬お礼

2022年07月27日 | 気象

2022年7月27日(水曜日)午前6時:[  25c/32c/50%  ]{getup0500} 曇り一時雨

またしても、鬱陶しい曇り空の夜明け。夜明け前の5時ごろには、虫の音と同時に、大量のカナカナセミの鳴き声が山の方から降り注ぐように聞こえていた。それでいて、時折、下手くそなウグイスの鳴き声も聞こえる。

昨夕は、地元の「郵便局長」が80歳で亡くなった通夜が、すぐ近くの福井市聖苑で執り行われたので、顔を出して、あまりの会葬者の多さにびっくり。こりゃ、地元悪友の親父さんが死んだ時と比べて、多いかもしれない。何せ、「郵便局長」というのは通称であって、今では地区最大の産業になってしまった老人施設(つい最近、新しい施設が、元の農協のあった場所で開業)3ヶ所を運営する元締めだ。

後継者を務める二人の息子も40代を優に超えた立派な理事長。局長の実弟も元気だし、一族は全て事業に携わっている。関連する従業員数は、圧倒的に地元一番だろう。その死んだ局長の奥さんが、私の同級生。

特に彼女は、小学、中学、そして高校も同じで、その後地元の短大から幼稚園の保母さん、園長さんなどを努めて、確か、早めに退職して、稼業になった事業の手伝いをしていた。

我が親父が自損事故を起こした後に、車を取り上げてしまったので(95歳だったが)すぐに何か手を打つ必要があり、老人施設のデーサービスに通わせることにした。その時、彼女に頼んだのだ。「今日は無理だけど、明日から何とかする」と言ってくれたので、私は親父に「今日、一晩だけ、風呂を我慢してくれ、明日は、若いおねーちゃんが風呂に入れてくれるから」と言うと、めちゃくちゃ嬉しそうな顔で、「お前、いいとこ見つけたなあ」と喜んで、以後、一度もデーサービスに行くことを嫌だと言ったことがない。

もちろん、局長とも同級生の不動産売買で、地元の山林を買ってもらったことがある。互いに長い人生、いろいろあるものだ。で、連合会の事務局からは何の連絡もないので、個人で通夜に顔を出した。一瞬の出来事だが、混み合う駐車場に混み合う帳場の列に驚いて帰ってきた。