濃霧の後は、めちゃ、いいお天気になってきた。暖かくて穏やかで、申し分がない。こんな日は、あくせくしないで、のんびりやることにしよう。後で、自転車で遠出もいいかもしれない。
散歩しながら、隣集落の競い合うように畑をする老人たち。広い畑には大根や白菜が立派に育って列を作っているが、「誰が、食べるんですか?」と聞くと、苦笑い。大きな大根は重くて収穫し、洗うのも大変だが、昔のように大量に干して、沢庵漬けするとは思えない。家に若者夫婦や孫がいても、年にタクアンを何本消費するだろう? 「職場の人にあげるのが多いけど、取りにきてというと、来ない。」という。
オデンなど大根の美味しい時期だが、何十本も一つの家庭で消費するとは思えない。大根おろしも美味しいが、バケツにいっぱい食べるわけじゃない。ましてや、我が家のように老人二人となれば、消費量がしれている。
だから、私はせいぜい2、30本も作ったら御の字だと思う。それも、小ぶりの大根が扱いやすい。総太りの足のような大根は、1本あったら、オデンでもおろしでも、1週間以上もあるし、1ヶ月も使い差しが冷蔵庫に入っていて、捨てることになったりする。
我が家の隣には典型的な若夫婦が二組、新築の住宅で3人の子供を育てている。車は2台保有し、共働き。ともに、共通の実家が10mと離れていないので、日々小学生の子供の学校からのお迎えなど、元気なばあばに頼って無事に過ごしているが、子育ては年々金がかかる。手間がかからなくなるほど、次元の違う問題が多くなり、金は湯水の如く流れ出る。
日本経済に10年後、20年後に明るい見通しなど、皆無だ。どんどん壊死していく社会。ミツワやワッセ、あるいは近年営業形態を変えた元のアピタがドンキに変わったが、10年後には廃屋になっているかもしれない。東京オリンピックとコロナが時代の転換点。
今後はめざましい勢いで、日本社会は衰退していく可能性が高い。利口で合理的な生き方を選択し備えていなきゃ嘘だ。江戸時代に、どの藩も何度も経済的に行き詰まる。歴史は繰り返している。平穏な時ほど、真に利口な選択が必要になるのだ、などと私は夢想するが、所詮は他人事。知ったこっちゃない。