水田面積が2町ほどしかない弱小な10戸集落の我が町は、北側の背後に小山を抱えて陽当たり良好で、6万年前から縄文人が住んでいた災害の少ない土地だと言えども、目の前に日野川とその支流に行手を遮られた、狭い山裾の傾斜地に過ぎない。
こんなところを2度も、耕地整理して水田耕作をしようと考えた昔の村人に「知恵」が足りなかったのは言うまでもない。基本的に面積が狭すぎる。最初の耕地整理は、日野川の浚渫(しゅんせつ)、川底の泥揚げを利用した。当時の建設省の提案に「渡りに船」と飛びついたに違いない。
河川敷の土や川底の土は栄養価に富んでいる。日野川に浮かべた四角い浚渫船からのびたパイプが集落の田んぼに泥水を吐き出していたのを覚えている。その耕地整理に飽き足らず、近年2度目の整備をした。バブリーな世の中になる頃か、一歩手前の頃。列島改造か、田んぼの整備がブームだった。福井市では最後に残された場所とまで言われたが、水田耕作には絶対的に水が必要になる。
その水に恵まれた場所ではない狭い傾斜地を目の前の日野川から水を組み上げて、田んぼに利用しようというのだから、必ず、無理がくる。むしろ、稲作より、果樹栽培などへ切り替えた方が遥かに自然に適している、と私は主張している。補助金目当ての稲作時代が長く続いたので、それに慣れてしまったが、農業行政はぐっと切り替わってきた。米の消費量はぐんと減り、金が出なくなったのだ。
米を作るのは赤字で、作るより、買う方が安くなる、といった小規模稲作農家は、もはや、後継者不足と高齢化で、ほぼ腐乱した死体同然。今では、ウジが湧いている。それでも、脳にウジが湧いているのだから、自覚がない。
困ったもんだ、という私は「無資格」だし「無責任」な立場。「無自覚」と変わらないから、まあ、「楽しく」「観察」するばかり。
あ、10時に約束があった。ちょっと、出かけなきゃ。