釣島灯台へ向かうために、坂を登りました。段々と景色が変わってきました。集落は、島のある部分に密集していました。
(密集した家)
さすがに瀬戸内海ですね。たくさんの貨物船やコンテナー船が行きかっていました。
(行きかう貨物船やコンテナー船)
釣島灯台に着きました。この灯台は、設計者はイギリス人で、御影石造りの洋式建築で、明治6年に竣工されたとのことでした。
(釣島灯台)
その横には、昭和38年の灯台無人化まで使用されていた旧官舎(職員官舎)がありました。松山市の文化財に指定されていました。
(旧官舎(職員官舎))
灯台からの眺望は、天気も良く、遠くまで見えました。
(灯台からの眺望)
下を見ると先ほどの小学校が見えました。その脇に池のようなものが見えました。ここは、明神池といわれていて、半分以上は、埋め立てられて、運動場になってしまったようです。かつてはここに鶴が飛来する場所で、「つるしま」の名はそこに由来するといわれています。
(灯台からの眺望)
(明神池)
(写真撮影:2005.9)
(密集した家)
さすがに瀬戸内海ですね。たくさんの貨物船やコンテナー船が行きかっていました。
(行きかう貨物船やコンテナー船)
釣島灯台に着きました。この灯台は、設計者はイギリス人で、御影石造りの洋式建築で、明治6年に竣工されたとのことでした。
(釣島灯台)
その横には、昭和38年の灯台無人化まで使用されていた旧官舎(職員官舎)がありました。松山市の文化財に指定されていました。
(旧官舎(職員官舎))
灯台からの眺望は、天気も良く、遠くまで見えました。
(灯台からの眺望)
下を見ると先ほどの小学校が見えました。その脇に池のようなものが見えました。ここは、明神池といわれていて、半分以上は、埋め立てられて、運動場になってしまったようです。かつてはここに鶴が飛来する場所で、「つるしま」の名はそこに由来するといわれています。
(灯台からの眺望)
(明神池)
(写真撮影:2005.9)