※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。
【中国】
まず中国からいきます。どこから行くかは、エジプトから行ってもいいし、メソポタミアから行ってもいい。決まりはありません。
【都市国家】 中国も、九州の吉野ヶ里遺跡と同じような都市国家から生まれてきます。ただ中国には漢字があって、都市国家と4文字で書かずに一文字で書きます。それを邑といいます。日本ではほとんど書かない字です。都市国家のことです。
吉野ヶ里遺跡と同じように回りに堀を巡らしたり、城壁を作ったりする。日本のお城もそうです。周りにはお堀があり、城壁がある。それで敵から守るんです。それがだんだんと領地を広げて領域国家になる。
ギリシアのように、そうならない場合もあります。ギリシアは都市国家のままで広がらない。しかし中国は広げていきます。この違いがなぜなのか、まだ明確には分かりません。しかしこの違いは大事なことです。
【殷】
まず最初の国家についてです。その領域を図で確認してください。今の中国は北はモンゴル高原の南まで、西はテンシャン山脈まで、全部、中国ですけれども、最初の国家はもっと小さいです。
これを殷という。紀元前1600年ぐらいにできる。
それを滅ぼして、新しい国家にしていくのが・・・今度はもうちょっと広がって・・・これが周という。殷と周という国ができる。このことを見ていきます。
中国は広くて目印がないから、山とか湖とか川とかは頭に入れておかないと、場所がどこだったかわからなくなります。
▼殷と周の勢力範囲
最初の国は殷です。紀元前1600年頃から紀元前1050年頃まで。これももともとは都市国家です。といっても村の大きなものです。これを中国では邑といいます。
ギリシャは都市国家同士がずっと戦争していくんですが、中国はこの中で有力な都市国家が互いに連合して、手を握ることに成功していきます。「オレの子分になってくれれば、あとは任せるよ」という感じです。
連合した邑はそのまま生き残っていきます。王も生き残ります。王が拝んでいた神様も生き残ります。連合した新しい国家の王は、他の地方の神様を拝むことを禁止しませんから、国内にいくつもの神様が生き残っていきます。だから多神教です。
ここがヨーロッパと違うところです。ヨーロッパの都市国家は連合するのではなく征服していきます。そして負けた王を殺します。人々は奴隷にされます。それとともに彼らが拝んでいた神様も滅びます。だから一神教になります。
殷は最初はその連合体です。仲間になろうと言ってグループ作りに成功し、友達になった。その邑のグループが国といえば国なんです。それが殷です。
その王様はそのリーダーで、そのリーダーはもともと邑の支配者のままで、そして村連合のリーダーとなります。緩やかな連合の王かなという感じです。
後期の都として殷墟がありますが、首都は王が替わるごとに移動していたようです。ヨーロッパ中世もそうで、神聖ローマ皇帝の戴冠を受けた10世紀のオットー大帝もその宮廷はいつも移動しています。こういうのを移動宮廷といいます。それに比べたら、中国は次の周の時代には固定した首都を定めます。王様はそこから動きません。これは安定した統治組織がないとできないことです。
【神権政治】 王になってグループをまとめていくときに、この時代には、神様と繋がりがあるのは当たり前です。神様と繋がって何がおもしろいか、くだらない、と言ってしまうと古代史はわからないです。
日本でも、江戸時代まで政治のことを「まつりごと」と言っていたぐらいです。これを神権政治といいます。自分は神様に近づく能力がある、そういうことを王はアピールしていく。
そしてその宗教的権威によって、自分の言葉で従わせる場合もあるし、俺は神のお告げを聞いたと言って納得させる場合もある。その納得させるやり方が、いろんな占いです。だから占いの技術が発達します。
当たる時もあれば、当たらない時もある訳ですが、当たらないときは王は責任を取らされて殺されたりする。危険な仕事です。
そういう危機感の中で、頭のいい王は占いに見せかけて、自分の考えを神のお告げに託して言ったりするわけです。
その証拠として甲骨文字があります。この時代には紙がありません。文字があるけど紙がないから、それを何に書くかというと、動物の骨、それから亀の甲羅などです。そういうものに刃先のとがったようなものでこすりつけて、文字を刻んでいく。
この当時は絵みたいな変な文字ですけども、これが我々が使う文字のルーツ、つまり漢字になっていく。これを甲骨文字といいます。亀の甲羅や動物の骨に書かれた文字のことです。これが漢字のもとです。
なぜ記録を残すのか。証拠を残しておくためです。もし占いどおりの結果が出なかったら、王も責任を問われます。雨乞いをしたのに雨が降らなかったら、王は責任を問われます。交代させられるだけでは済まなかったかも知れません。だから王も必死です。
【周】
こういう政治が約500~600年続いた後に、西の方から、どうもこれは農耕民ではなくてパカパカ馬に乗るような、牛を追うような、羊を追うような人たちがやってくる。
中国は農耕社会だけではなく、真ん中は農耕社会ですけど、その北方にモンゴルがあるように、その周辺は農耕地帯じゃない。水が足らずに乾いています。そこにいるのは遊牧民です。その遊牧民がどうも殷を乗っ取ったようです。
そして新しい国を立てた。紀元前1050年頃です。これが周です。首都は鎬京という。前に言ったようにここで移動宮廷の段階を早くも脱しているわけです。でも中国の都は国が変わるごとに名前を変えます。800年後の漢の時代には長安になります。これと同じ都市です。
今どうなってるかというと、西安という都市になっています。今の沿岸部が発達している中国から見ると、かなり西の方です。
黄河が流れている。分流の渭水がある。そのほとりです。黄河を目印にとらえてください。
江戸も政権が変われば東京に名前が変わる、それといっしょです。
ここもやはり邑の連合体をつくる。これが喧嘩しないで、手を組んでグループになる。大きな村連合だと思ってください。
【封建制】 最初は、それぞれの邑は自分の土地を支配する。村連合のリーダーである王もそのことを認めます。ここでも「オレの子分になってくれれば、あとは任せると」という感じです。
しかしそれがだんだんと、土地によって結びついた国家連合、つまり封建制に変わります。封筒の封ですけれど、左側は土ふたつです。意味は土地なんです。
この封建制度というのは、農業社会は土地がまず第一の社会です。封建制度という言葉は日本にもでてくるし、ヨーロッパにもでてきます。
しかしそれが同じかというと中国の封建制は特徴があって、とにかく血縁が強い。特に父方の。母方はそうでもない。父方の血縁が強い。
【血縁】 今の中国人は海外への移民が多いです。宋さんという中国人がアメリカのニューヨークに出稼ぎに行って、そこで皿洗いに雇われたとします。
そしたらそこの店長がたまたま中国人で、名前を聞いたら同じ宋さんで、地域も同じ一族というのがわかったとしたら、その瞬間に今まで会ったこともなかった二人が突然、家族づきあいをしだす。俺たちは一族なんだ、他人じゃないんだ、そういう繋がりがある。それを宗族といいます。
こういうつながりが今でも非常に強い。だから宗族の中から1人偉い政府の高官とか大臣がでたら、見たこともないような親戚が集まって、仕事ちょうだいと頼みに来る。そういうマイナスの面もでてくる。
それでも断れない。それが社会の基盤になっているからです。血のつながりがあるから、一族をまず大事にする。
裏を返せば、一族の誰かが死んだら祀る。父親が死んだらそれを祀って、息子が丁寧に墓参りをして、祖先祭祀を行う。そういう宗教性があります。
ただメソポタミアのような高くて大きなの神殿のようなものは発生しない。代わりに、宗廟というご先祖のお墓のようなものが発達する。
この宗族は、目にはなかなか見えないけれども、今も中国の社会の基礎を成しています。
ここで大事なのは、一族のご先祖様を祭る儀式は・・・これは女はできないです・・・男しかできないという決まりがある。これは日本の相撲界で、土俵には男しか上がれないのと似た感覚です。
ご先祖様を祀るのは、男しか祀れないという考え方は定着しているし、長男が相続して、祖先の祭祀、日本でいえば供養を行う。これは日本の比じゃない。大々的に何百人も呼んでやる。
【夫婦別姓】 こういう一族の価値の繋がりの濃さがあるから、中国人の姓は不変です。
男はあまり意識しないかも知れないけれども、多くの場合、日本では女性のAさんが男性のBさんと結婚したら、AさんはBに姓が変わる。でも中国人は変わらない。
A姓で生まれた女性は、Bさんと結婚しようが誰と結婚しようが、一生死ぬまでAのままです。これが夫婦別姓です。そして、死ぬまで、生まれたA一族の一員である権利を保有します。
少し前、日本で夫婦別姓を認めよう、という話がありました。でも日本の場合、女性のAさんは結婚してBさんになれば、自分の身分もBさん一族になれるんです。
夫婦別姓の場合、結婚した女性が姓をAのままで変えないということは、Bさんと結婚しても所属する一族はもとのままで、Aさん一族の集会があったときも、Bを名乗っているお嫁さんはA一族ではないから、A一族の会議には入れてもらえないのです。
つまりよそ者扱いなんです。何の権利もありません。
その代わり実家のA一族に対しては様々な権利を引き続き持っている。だから夫婦別姓なんです。それはそれで理屈は通っている。夫婦別姓とはそういう社会制度なのです。
結婚しても姓を変えず夫婦別姓のままでありながら、結婚したら今までのように、結婚相手の男性一族の権利を全部もらう、そんなことが通るのかどうか。
中国はそんな都合の良い社会ではありません。夫婦別姓の裏には、どこまでも生まれ育った一族に対する権利があります。強い血縁意識があります。
相続にしても、Aさんと結婚してたからと言って、A一族の財産もらえません。結婚相手は一族にとっては外部から来た部外者でのけ者なのです。
夫婦別姓は、そういう社会制度から作りかえなければならないことなのです。日本人が本当にそのことを望んでいるのならいいのですが、私にはそうは思えません。
そこは一族の団結が固い代わりに、他の一族の者がその中に入ることを許さない社会なのです。
日本の夫婦別姓は、血縁よりも個人を重視する考え方です。しかし本来の中国の夫婦別姓は、個人よりも血縁を重視する考えです。そのことを理解していない人が日本人には多いのです。
そういう夫婦別姓から日本にはない、いろんな問題が起こります。政治に対してもです。
【宗族】 周はこの血縁組織つまり宗族と合体して、地方の土地の支配者は、血縁者つまりこの宗族の中から任命します。一族の者が一番信用できるからです。
だから血縁者を諸侯にする。諸侯とは日本の大名みたいなものです。例えば、私が王であれば、私の弟を県知事に任命する。そして任命した以上はその領地の支配は弟に任せる。
ただ一つ、私が敵から攻められた時には、弟は軍隊率いて応援しなければならない。これが条件です。軍隊を引いてくる義務と、土地からの富をもらえる権利とが、交換条件になっています。これが周の時代の封建制です。
しかしこれは私と弟の関係であれば、非常に信頼関係が強い結びつきなんですけれど、欠点が1つあります。
私が死んで弟も死んで、その息子たちの代に変わっていくと結びつきが弱くなる。そしてまた30年経って孫の代になっていくと、孫同士は顔もみたこともない遠い親戚になっていく。誰だあれ、知るものか、そういうふうに信頼関係がなくなっていく。
それを防ぐために壮大な祖先祭祀を行うわけですが、それにも限界があります。だから時間が経つと国が崩壊する。それで国が長くもたない。そういう欠点があります。
【儒教】 中国では昔も今も、結婚しても姓を変えない夫婦別姓です。このように中国では父方、つまり男の血統が強い社会です。
これは論理上は女方の系列で行ってもいいわけですが・・・実際にそういう女系社会も世の中にはまれにありますが・・・中国は男系なんです。
日本も男が強い社会だと言われます。しかし日本は養子もできるし、男系・女系が混合している面もあります。しかし中国では男系の血縁関係が非常に重視されて、この考え方が中国独自の宗教にもなります。
中国で生まれた宗教は仏教ではありません。儒教です。儒教についてはあとでいいます。儒教は血縁関係を非常に大事します。
そういう血縁の強い社会組織だから、それに基づいた宗教が生まれるんです。両者は繋がってるんです。開祖の孔子が勝手に考えたんじゃない。その背景があるんだということです。
【東周】
その周は、200~300年で、一旦、西からの敵に攻撃されます。攻撃したのは犬戎といいます。名前だけわかっている民族です。
もっともこれも中国人が勝手に名づけた名前で、漢民族ではない。中国語を話す民族ではない。
それで攻撃された周は東に引っ越した。国は小さくなって東にずれる。東にずれたからこれを東周という。前770年、都を洛邑に移します。ここはあとで洛陽という名前に変わります。
【混血】 東周の時代は約500年ぐらい続きます。入ってきた犬戎はその後、どうなったか分かりません。
多分中国人のほうが人口が多いから、その中に混血していって子孫は中国人として生きていったのでしょう。彼らが中国を支配したわけではありません。
【春秋時代】
そのあと約300年間を春秋時代といいます。東周が成立した紀元前770年から紀元前403年までです。この時代は周王は滅びはしないけれども、家来たちがだんだん強くなってくる。最終的に五人が強くなるから、春秋の五覇という。全国制覇の覇です。
春秋の五覇という五つの国、五つの家来たちの国が強くなる。五つの国というのは、斉・秦・楚・呉・越という国です。それでも王の家来という考えは捨てなかった。
この時代に鉄製農具が使われ出し、農地の深耕が可能になります。それによって農業生産力が高まります。それを支えるのが村々の小農です。小農というのは小規模な自作農のことです。自立できる農民が生まれたのです。しっかりした家族制度ができて、しっかりした農業ができるようになります。農業は技術です。そういう技術を持った家族というのは、家族のレベルの高さを感じます。
決して大土地所有制度が中国の農業生産力の向上を生んだのではありません。この点は古代のヨーロッパとは違います。
中国の家族制度の裏には強い父系血縁で結びついた宗族があります。ここで中国はそのような血縁組織を背景に、小農を基礎とする社会が成立したのです。
彼らを怒らせると国が潰れます。中国で国が潰れるとき何が起こるか。決まって農民反乱が起こります。これが何回も起こります。
【戦国時代】
しかし次、戦国時代です。名前からして物々しい。この時代になると、王とか知ったことかという感じです。力で争う時代になる。これを戦国の七雄という。紀元前403年から200年ぐらい、紀元前221年までです。
国の名前は1文字で書く慣例がある。そのなかではじめて中国を統一していくのは、一番西のはずれにあった秦です。一番弱小だったんですけどね。
【天命】 戦国時代にはどういった政治の考え方があったか。王となるには、天が認めたという形を取ります。人から嫌われ、なんだあいつ、ヤクザみたいだ、そんな人はなれない。人間的に立派でないと天は認めない。
日本にもこの考え方があって、お天道様というのはこの天命に近い。「天道様が見てるぞ」とか言うでしょう。
その天命を受けたものが天子なんです。力にまかせて、金の力だけで成り上がりであっても王ではない。単なる成り上がりだという考え方です。
王になるためには、権力プラス徳が必要です。徳という考えかたが出てきます。人徳とか聞いたことないかな。徳のある人だとか、あの人は人徳があるとか言われるのは、ものすごい褒め言葉です。
それが備わって初めて天命を受けたということが認められていく社会になっていきます。
これで終わります。ではまた。
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