日曜日
国にはさまざまに規制がある。
規制というとすぐ規制緩和に結びつく昨今であるが、
規制というのは決まりであり、法体系といってもいい。
これがなければ弱肉強食の恐い社会になる。
しかし利潤追求を第一とする企業はそのような規制を嫌う。
その抜け道がグローバルである。
このグローバルな規制は、ナショナルな規制に比べるとはるかに軽微である。
企業とは資本である。
グローバル化の第一歩は、資本の自由化である。
資本は金融のルールで動く。
つまりグローバル化とは金融のグローバル化から始まる。
1990年代の『金融ビッグバン』なるものから、日本のグローバル化が本格的に始まった。
資本とは通貨である。
金融のグローバル化とは、通貨交換の自由化のことである。
通貨が自由に買えれば、株も債権も証券も自由に買える。
株・債権・証券、つまりこれが資本である。
企業は、株・債権・証券によって成り立っている。
そして企業は、少しでも規制の少ない国を目指してどこにでも飛び回るようになる。
しかしそれはルールのない世界で好き勝手にやることと何が違うのか。
その結果、国民が割を食っている。
企業栄えて、国民滅ぶ。
国民は、ナショナルなルールに立っている。
それに対して企業は、グローバルなルールに立っている。
ルールが違うのに同じ土俵では戦えない。
国民は相撲のルールで戦い、企業はプロレスのルールで戦えば、それは公平ではない。
それを覆い隠すのが、グローバルという便利な言葉である。
企業はどこの国の企業になっても構わないが、国民は国民であることを簡単にやめられない。
移民と難民は、区別がつかないというのが歴史の真実である。
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