新説・日本書紀⑩ 福永晋三と往く - 古代史マガジン【KODAiZiNE】 (scrapbox.io)
2018年(平成30年)5月26日 土曜日
欠史八代 「倭国大乱」40年余君主なし
相次ぐ皇位継承争い
初代の[神武天皇]に続く2代綏靖天皇~9代開化天皇は「欠史八代」と言われる。
古事記と日本書紀の記述に[帝紀](系譜)はあるが、[旧辞](事績)はない。
この時代は[後漢書]で言う「倭国大乱」、桓帝と霊帝の時代(146~189)に「倭国大いに乱れ、更相攻伐し、歴年主無し」と記された時期と重なる。
一方、欠史八代にはすべての即位前紀が書かれており、皇位継承争いが相次いだことを暗示している。
中でも、2代神渟名川耳尊(綏靖天皇)の即位前紀は過激だ。
[136年]3月、「神日本磐余彦天皇崩ず。時に神渟名川耳(かむぬなかわみみ)尊、特に心を喪葬の事に留む。其の庶兄手研耳(たぎしみみ)命、行年已に長けて、久しく朝機を歴たり」。
同4月、神武と東征を共にした手研耳命が2代大王に即位し、倭国を巡行した。
その際、「腋上(わきがみ)の嗛間丘(ふくまのおか)(福智山か)」に登り、国を望み
「ああ、良い国を得たものだ。内木綿(うちゆう)の狭い国だが、蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)(トンボの交尾)のような形の山々に囲まれた国だ」と言った。
これが、「豊秋津島倭(とよあきつしまやまと)」という国の名前の始まりと日本書紀は記す。
[137年]、神武を「畝傍東北陵」に葬ったが、その2年後に事変が勃発する。
手研耳命は「二の弟を害せむことを図る」。
記紀ともに「手研耳命の乱」とする一節だ。
古事記では、神渟名川耳尊の母で手研耳命の妃だった伊須気余理比売(いすけよりひめ)が歌を詠み、神渟名川耳尊に危険を知らせたとある。
「犀川よ 雲立ちわたり 畝尾山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす」
[犀川]は赤村から旧犀川町に流れる今川を指す。
赤村には今川の流路が直角に曲がった地点があるが、神武崩御のころは畝尾山(香春一ノ岳)に北流していたと指摘する地理学の専門家もいる。
神渟名川耳尊らは先手を取り、手研耳命を殺す。
「冬十一月、神八井耳命は手足が震えて矢を放つことができない。その時、神渟名川耳尊がその兄の持つ弓矢を取り、手研耳命を射る。1の矢が胸にあたり、2の矢が背にあたり、ついに殺した」。
3年間大王の位にあった手研耳命暗殺の記録だ。
※(管理人注) 手研耳命の乱は、腹違いの弟による天皇暗殺事件である。しかもその弟の母の伊須気余理比売(いすけよりひめ)は、神武天皇の妻であり、それを譲り受けた手研耳命の妻でもあった。さらに大物主の娘でもあった。
伊須気余理比売(いすけよりひめ)は、書紀では姫蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)のことである。この伊須気余理比売は、大便中に、矢に化けた大物主により女陰を突かれた勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)の娘であって(古事記)、つまり父は大物主ということである。それは物部氏の娘ということであって、ここで物部氏の力が復活する。
大物主について、記紀では直接語られることはないが、こうやってその子孫の系譜の中で、とつぜん顔を出すことがある。いくら隠そうとしても、ひょっこり顔を出さざるをえない神である。隠そうとしても隠し切れないもの、無理にそれを隠そうとするとどこかに矛盾が生じる。何かの間違いだろう、では済まないのである。それを何かの間違いで済ましたら、何も分からないのが古事記と日本書紀の世界です。
香春や田川に眠る天皇
2代綏靖天皇は[140年]に即位した。「葛城に都をつくり高丘宮(北九州市八幡西区上香月の杉守神社)という」。
[143年]、クーデターにかかわった神八井耳命は死後、「畝傍山の北(香春町宮原の前方後円墳か)に葬られた」。
綏靖天皇の没年は定かでないが、「倭の桃花鳥田丘上陵に葬る」とある。香春岳一ノ岳の南西約5㌔に田川市糒(ほしい)の天神山1~4号墳がある。この付近は「月の輪」とも呼ばれており、陵はこの中の1基と考えられる。
欠史八代の天皇には、奇妙な共通項がある。いずれも皇后が3人いるのだ。本文に1人、割注の一書に2人が登場する。
最も記述が多いのが「磯城(しき)県主の女」だ。磯城県は現在の飯塚市立岩周辺にあたる。
次が「十市県主の女」。十市県は旧若宮町[都地]だ。
2人はともに前王権の倭奴国に仕えた物部氏の一族。
[倭国の乱]は、神武朝の外戚(母方の親族)同士の主権争いの様相を帯びていた。
八代の宮や陵の所在が推定できるものを列記する。
3代[安寧天皇]=畝傍山南[御陰井上陵](香春町)
4代[懿徳天皇]=畝傍山南[繊沙谿上陵](同)
7代[孝霊天皇]=黒田の[廬戸宮](みやこ町黒田神社)
9代[開化天]皇=春日の[率川宮](田川市春日神社)
八代の天皇たちも、田川とその周辺に都を置き、近くの陵に眠っていると思われる。
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