搾取の方法は二つある。
一つは暴力によって搾取するもの、もう一つは金銭の力で搾取するものである。
前者の代表が奴隷制、後者はお金の貸し付けである。
前者は今は存在しないが、西洋社会ではリンカーンによって奴隷解放宣言が出されるまで、つい100年前まで存在した。
後者は今も存在している。
人にお金を貸し付けることによって利子を取り、元金以上の資金を回収する行為は資本主義の基本である。
お金を借りた場合、契約通りの利子を添えて返済しなければ、社会的生命が絶たれてしまうから、人々は必死になって借金返済に努力する。
この二つに共通していることは、他人の労働によって富を得ることである。自分は働くことなく、他人の労働によって発生した富を自分の富とすることである。
19世紀後半のの植民地主義と金融資本主義は表裏一体のものである。
暴力とお金の力という二つのものが合体して、西洋列強の植民地主義(帝国主義)が完成した。
自分は働かず、他人を働かせることによって自分たちが富を得るという方法の完成である。
金融資本家(銀行家)たちは富を貸し付けることによってその富を拡大していったが、その原資になった彼らの富の実態は実は怪しいものである。
彼らは他人から預かったお金を他人に貸しているだけである。
それどころか、他人から預かったお金以上のお金を他人に買い付けている。
西洋列強が植民地征服に乗り出そうする1848年は、マルクスの『共産党宣言』が出された年だが、マルクスは資本論の中で富の源泉は労働にあるという労働価値説を唱えている。
しかし同じ1848年に全く異なった司法判決が出されている。
『銀行家は預けられた預金を随意に処理する権限を有する』というイギリスでの裁判判決である。
『随意に処理する』とは『お金を貸し付ける』ということである。お金というのは権利の集合体だから、それ自体が権力になる。そしてその権力の源泉は他人からの借金である。つまり貸し付ける力が合法的に承認された。そのことが裁判所の判決として正式に認められたのである。
『1848年のイギリスの裁判「フォーリー対ヒルおよび数人」では、次のような有名な判例がある。
「預金者が自分のお金を銀行に預けた瞬間からそのお金は預金者の所有ではなくなる。そのお金は銀行家に帰属するが、預金者が返還を求めたときは、銀行家は当該預金を返す義務を負う。銀行家は、あらゆる意味に置いて、銀行に預けられて銀行家に管理を託されたお金を保有し、随意に処理する権利を有する。」
英米の法体系の下、イギリスの裁判官のこの判決は金融市場において大きな転換点となった。預金者が苦労して得たお金が、ある日突然その法的保護を失った。』
(『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』 宋鴻兵 講談社 P315)
これ以降、金融資本はめざましく発展していく。
マルクスは『富の源泉は労働にある』としたが、この判決は『富の源泉は他人の富(つまり借金)にある』ということを認めたのである。
『富の源泉は労働』とするマルクスと、『富の源泉は借金』とするイギリスの司法判断は、全く正反対のものである。
その後の歴史がどう動いたかといえば、後者の判断に従って資本主義は発展してきた。
金融資本(銀行家)は、他人の富を堂々と人に貸し付けることによって、自分の富を拡大してきた。それは他人が働いた富を自分の富とする搾取によって肥え太ったものである。
そのことと植民地拡大、いわゆる帝国主義は密接に結びついている。